歌舞伎を見にいってきました。演目は『御所桜堀川夜討 弁慶上使』、『義経千本桜 吉野山』、そして『恋飛脚大和往来 玩辞楼十二曲の内 封印切』から「新町井筒屋の場」です。私は歌舞伎に関しては詳しくないので、それぞれがどういう風に分類されるものであるか、適切簡潔に紹介することはできないのですが、『弁慶上使』は姫の身代わりにと自分の娘を手にかけてしまう武蔵坊弁慶の男泣きにむせぶ話、『吉野山』は桜の見事に咲いた吉野山での静御前と忠信の華麗な舞、『封印切』は遊女を身請けせんがために手を付けてはならぬはずの金に手を付けてしまった男の話、最後にすべてを女に語り、頼む、一緒に死んでくれと、悲しい恋の物語であります。
けれど、私は現代に生きる人間だから、それも近代にとりつかれた人間だから、筋については釈然としないところも大いにあって、なぜ姫の命を救うために、奉公人であるとはいえ娘の命を差し出さねばならぬのか。娘を生き別れの父親に引き合わせねばならぬ、母おさわは必死で救命の懇願するけれど、娘しのぶはというと、はい、死にますと納得してしまっていて、わあ、すごいな、封建制って! 今の世の中もユートピアとは言い難いけど、こうした時代を思えば天国なんじゃないかって思った。とまあ、こんな感じであるから、感情移入しにくくてですね、参るんですよ。同じ見るならずっぽりはまり込むようにして見たい。けど、それを阻むこうした筋、背景となる社会の構造が非常に厳しくて、けどそれでもですよ、男泣きにむせぶ武蔵坊弁慶を見て、たまらずもらい泣きですよ。ああ、役者っていうのはすごいね。感情にものすごく訴える。納得とかへったくれとか関係なく、ぐいぐいねじ込んでくるような凄まじさがある。ああ、すごいわ。情の世界、情念の世界であると、心の底から思いました。そして、その情念は私の心情の根っこにも渦巻いているのだと思ったのでありました。
昔、大学院での授業、文楽について学ぶ機会がありました。井野辺先生の『日本の音楽と文楽』をテキストに、文楽、義太夫を聴くという、そうした授業内容だったのですが、その時に聴いたのは『菅原伝授手習鑑』の四段目『寺子屋』であります。まあ、これもすごい。
菅原道真の息子菅秀才がかくまわれている寺子屋に、追っ手松王丸がその首もらいうけんと迫る。秀才を守らんと源蔵は、寺子屋の子供のうち、器量がいいのをひとり選んで、身代わりに首を取る。首実検をする松王丸、確かに秀才の首もらいうけた。しかし、松王丸は秀才を見知っているはず、やれおかしやと思っておったところに、松王丸が戻ってきていうことには、その子供こそは我が子小太郎、秀才の身代わりとするために、たったひとりの息子を源蔵が寺子屋に送り込んでいたという。我が子の最期を聞かせて欲しい、そう頼む松王に源蔵は、立派であったと、身代わりをというにあいわかりましたと承諾し、立派に死んでみせました。そうであったか、我が小太郎の最期はそうであったか、男泣きにむせぶ松王丸の慟哭が、聴くものの涙をこれでもかと絞るのですね。
でもさ、考えてみればひどい話なんですよ。これ、松王丸の子とわかったからいい話なんであって、そうでなかったら死んだ子はあまりにあまり。いや、ちょっと待って。松王の子でもあんまりに理不尽だよな。けど、それでも、主君の御為、我が子の命を投げ打つも致し方なしとする、まさしく義理人情、情念渦巻く世界であります。そして、これが感動させるんだ。どこかに理不尽、納得いかなさを感じつつも、それを押し流してもらい泣きさせてしまうそこに太夫の力がある。いやはや、日本の伝統芸というのも捨てたものじゃない、というか、伝統芸っていうのは半端ではないですよ。よく伝統芸能について、古くさいだのいってまともに評価しようとしないような態度とる人っていますけど、とんでもない、それは損をしています。西洋でも、東洋、日本でも、古典といわれるものは、長い歴史をもって培われた技芸があり、そして簡単にテクニックといって説明できない、いうならばデモーニッシュな、人知を超える領域に踏み込んでいるような、そんなところがあるんです。
もちろん、よいものは新しいものにおいても見られ、古典だったらすべていいというのは間違いだけれども、けれど普段見聞きする機会のない古典、まれにかいま見る機会を持てば必ず、もっと知りたい、もっとその深みを覗きたいと、そんな欲求にとらわれます。日本の古典の物語、すごいのありますからね。確かに納得いかないようなのもあるけれど、それでも受け入れざるを得ないような力あるもの、山ほどありますからね。願わくば、そうしたものをもっと知りたいなあ、そんなことを思うんです。
デアゴスティーニあたりが、週刊『日本の文楽』とか、週刊『歌舞伎の世界』とかやってくれんもんかなと思います。無理なのかな。けど、一番いいのは劇場に通うことなんですけどね。やっぱり、劇場っていいですよ。
- 井野辺潔『日本の音楽と文楽』大阪市:和泉書院,1998年。
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