2008年1月22日火曜日

臍下の快楽

 いちいちいう必要なんてない、それこそ当たり前のことではあるんですけど、漫画にはその時々の風俗、時代の空気というものがよくよく反映されるものだなあと思うんです。『臍下の快楽』、第1巻が出たのは1994年、第2巻は1997年、ということは連載の開始は1991年くらいからなのかな? 平成がまだ一桁だった頃、バブル景気の後退は1991年だそうですが、けどまだ充分にバブルの残照は残っていて、テレビではドラマ化された『東京ラブストーリー』が大ヒット。不況だなんだといっても、まだまだ余裕もあったし楽観もしていた。ジュリアナ東京がオープンしたのが1991年、踊り狂う若者がメディアで取り上げられ、まだまだいけるかもという、展望ではなくて願望でしょうね、やけっぱちみたいな熱気が一部に漂っていたんだけど、気付いたらジュリアナは店じまいしていて、時代の雰囲気もずいぶんと冷え込んでいました。

『臍下の快楽』が連載されていたのはそういう時代だったんですね。バブル以後。私が大学にはいったのは何年だったっけ。1993年ですか。そうか、ということは私が学生やっていた頃に、ほぼ同年代の若者を取り上げて漫画にしていたというわけか。道理で、この漫画見て変に懐かしさを覚えるわけです。描かれる若者のファッション、心情、もろもろがなんだか懐かしい。テーマとなるのは恋愛というよりもほぼセックスで、流されるまま、雰囲気で、というのもあれば、好きで好きで仕方がないというような湿っぽいもの、別れても関係を持ってしまってずるずると、いろんなあり方が出てくるんだけど、なんか捨て鉢な感じもしてやりきれないなあ。自堕落とはいわないし、退廃的ともいわないんだけど、だってセックスなんて当たり前だし、女性が複数人と関係を持つことだって、個人的にはどうかと思ったしそりゃとがめる人もいたんだけれど、そういう人はいた、別に普通に。夏、大学の飲み会で、彼氏持ちの女の子が前日から彼氏の家に泊まってうんぬん、そんな話、聞きたかないなあ、しかも本人から、というかそれセクハラだろう。そんな時代だったような気がします。

そういえば、『東京ラブストーリー』のヒロイン、赤名リカが「カンチ、セックスしよ」とかいって、穏健な家庭の風景に冷たい風を吹き込んだりしたもんだっけ。それから数年して、本当にセックスは特別なもんでもないと社会的に認知されたみたいになって、私はそうした世相になんだか軽薄さを感じ、軽蔑するでもなく、遠巻きに冷めた目で、眺めるでもなく眺めていた。人生の真空地帯にいるとうそぶいて、そうした世にまみれることを潔しとしなかった。 — つもりだったんだけど、今からこうして振り返ってみると、私もその軽薄な時代の子だったんだなあ、否も応もなく、そうした時代の空気を吸っていたんだなあと、今になってそんなこと気付かされるとは思いませんでした。

漫画としてはどうですかといわれると、短編のぎっしりとつまった文庫。たまには目先の変わったものもあって新鮮だけど、基本的に自分世界を吐露しようとするようなのばっかりだから、一気に読み通すのは正直しんどい。けど、男らしさに抵抗しつつも結局男でしかない私には、女の子理論ばりばりの漫画は異世界感じさせて面白いのだと思う。違和感しか感じないのもあるけど、それはそれで、共感してしまうようなのもあるけど、それもそれで、感動とかまるでしないけど、淡々と、ふーん、なんて感じで、当たり前のように読んで、当たり前のように感じている。けどこれは、あの時分をあの年代で過ごしたものにしかわからないだろうとも思います。私が『軽井沢シンドローム』に面白さを見出せないように、この漫画がさっぱりだって人はきっとある、それもたんとあるだろうと思う。けどなんとなく気になるっていう人もいる、私がそうだったように。なんとなく引っかかるって人は、あのなんかぼんやりした時代を思うことのできる人なんじゃないかと思います、結局私がそうだったように。

  • 安彦麻理絵『臍下の快楽』第1巻 東京:ぶんか社,1994年。
  • 安彦麻理絵『臍下の快楽』第2巻 東京:ぶんか社,1997年。

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