2008年1月29日火曜日

姉妹の方程式

    姉妹の方程式』、完結です。最終回、連載で読んで、そして単行本で読んで、なんか心がぽっかりした感じ。私、この漫画、好きでした。思えば、途中から買いはじめた『まんがタイムきらら』誌。最初は『三者三葉』読みたさに買っていて、けど『姉妹の方程式』、はっきり覚えてる。一美が小説の資料にとトーテムポール買ってくる話がありました。あれが、私の初『きらら』であったのですね。何年何月号とかもうわからないけど、あの号の『姉妹の方程式』はしっかり記憶に残っています。最初はその価値に気付かず、けどいつそのよさに気付いたんだろう。単行本、一巻、買ってからだっけ。印刷の、描線の、その色気に惑わされました。伸びやかな線、繊細でけれど表現力に富む線。素敵な線を引く人だなと思って、それからは魅惑されっぱなしです。チャーム? そうかも知れない。けれど、多分それだけではないとも思っています。

なににこんなにひかれたんだろう。最初は確かに描線だったのかも知れないけど、けどやっぱり漫画にだと思うんです。寡黙でグロ好みの長女一美、スポーツ一直線の次女十子、BL大好きおたくの三女百江、そしてヒロイン、しっかり者の四女千薪。個性的な姉妹の暮しにまつわるどたばた。貧しいながらも楽しい我が家、時にはけんかしたりもするけれど、いつも変わらずげんきであって、そして姉妹の仲のよさ。この漫画の魅力は四人の仲、その関係に集約されているのではないか、そのように思っています。

長女次女の高校生組、三女四女の中学生組、それぞれに距離感というか温度差というか、違えているのです。ちょっと大人びた関係を保っている年長組、けれど十子と百江となるとそうでもなくて割とわあわあと子供っぽさを残して、じゃあ年少組はそれよりも幼いかというと決してそういうわけでもない。それぞれの関係が、それぞれにできあがっています。それもごく自然に、いかにもこういう関係はあるのではないか、そう思わせる風合いを持っていて、実によく練られています。あるいはキャラクターの個性がそうした関係を自ら作りだしたのかも知れませんね。

たとえば千薪です。家族の中でもっとも貧乏に適応し、ゆえにしっかり者に育った千薪は、上の姉にも厳しく無駄遣い指摘するなどして、ある意味誰よりも大人びているのだけれども、上の姉たちはそうした千薪を頼りにするだけでなく、可愛い小さな妹として庇護しようという気持ちにあふれています。関係が一方通行じゃないのですよ。一美から見た千薪、十子から見た千薪、そして百江から見た千薪、それぞれに違いがあれば、また千薪から返される視線もそれぞれに違いを持っているとわかります。そして、この思いの行き合うところに、お互いを思いやろうとする気持ちが感じられて、ああ姉妹はこの姉妹でなければいけないんだ、四人が揃って家族なんだなっていうのが伝わるようなんですね。基本的にはコメディで、ことさらにお涙頂戴みたいなことはしない、そういう漫画だけれども、時にすごく染みて、ああなんかいいものに触れることができた、そんな気持ちになれるんです。

4巻の帯にのせられた、ありがと。の文字。見るたびに、なんかくすんだみたいに悲しくなってしまいます。これは、ただ悲しいではないですね。寂しいんだ。もう、この姉妹に関わることができないということが、すごく切ないと感じられて、なんだか泣きそうです。ああ、大きな存在であったんだね、今、まさにそう思っています。そんな私にとって、最終巻の後書きに記された言葉、なによりも嬉しく、気持ちは泣き笑いです。最後は笑顔じゃなきゃいけないね。寂寥感は思った以上だけど、笑顔で、またねと手を振って別れる、そんな気持ちで読み終えたい最終巻でありました。

そして野々原ちきさんには、お疲れさま。なんだか『きらら』誌における一つの時代が終わったかなと、一段落ついたかなと、そんな思いがしていると言い添えたく存じます。そして、また楽しい漫画を見せてください。新しい漫画に、今まで姉妹に感じていた思いを再び得ることもあるだろう、また違った新しい感慨を得ることもありましょう。そのように思いながら、ひとまずはお疲れさま。そして姉妹には、さよなら、またね、そしてありがとうございました。

  • 野々原ちき『姉妹の方程式』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 野々原ちき『姉妹の方程式』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2005年。
  • 野々原ちき『姉妹の方程式』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 野々原ちき『姉妹の方程式』第4巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。

引用

  • 野々原ちき『姉妹の方程式』第4巻 (東京:芳文社,2008年),帯。

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