2008年1月24日木曜日

恐竜100万年

 BBC『ウォーキング with ダイナソー』で書いた翌日にこれを取り上げるだなんて、まったく意地の悪い人だなあ、などと思う人もいるかも知れませんけど、もちろん私にはそんな意図なんてちっともなくて、ただ純粋に懐かしみたいだけなのであります。『恐竜100万年』、新聞はテレビ欄に興味をそそるタイトルを見て、これは絶対見なくては、わくわくしながら映画始まる時間を待ったことさえ懐かしい。だって『恐竜100万年』ですよ。恐竜に100万年が続く。あんまりに時代が近すぎる上に、タイトルだけでは内容がまったく推測できません。これはぜひこの目で確かめないといけないなあ、そう思わせる絶妙のタイトルでありました。

放送は確かテレビ大阪だったと思うのですが、昼間、二時ぐらいからやっていたんですよね。そういう時間にさりげなくやるということは、大作を期待してはいけない、それこそある種の覚悟が必要ということであると、私は理解していたのですね。そして見た『恐竜100万年』、すごかった。原始人類がいる、そして恐竜もいる。そう、恐竜が人類と共存する世界なのです。あり得ないなんていってはいけない、そうオーパーツが告げている。ほら、恐竜土偶ですよ。恐竜をかたどったとしか思えない土偶がメキシコで発見されているのです。これはすなわち人類が恐竜と共存した時代があった証拠なんだよ!

まあ、まともに取り上げるのもどうかという話ですが、この映画に関してもそういったのりで見るのがよさそうです。あるいは、かつての恐竜観、1966年の映画らしいですね、四十年前の恐竜に対する見方を追想するのもまたおつなものでしょう。のっしのっしと尾を引き摺って歩く直立獣脚類も懐かしい。そう、かつて恐竜はゴジラのように体をまっすぐにして歩いていたのです。それがわずか十年二十年で、脚を支点として頭と尾をバランスするように進化した。この急激な進化のスピードが恐竜を絶滅に追い込んだのだ、っていうのはあさりよしとおの漫画のネタですが、冗談はおいておくとしても、恐竜に対する理解は六七十年代から八九十年代にかけて、飛躍的に進歩したのです。私なんかはまさにその頃に少年時代を過ごしていましたから、子供の頃の常識があれよあれよと塗り替えられたわけで、科学というのはすごいなと、そう思うほかない経験でした。

私が『恐竜100万年』を見たのは、丁度そうした過渡期にあたる頃に一度、それから先だっていっていました昼間の放映、この頃にはもう新しい恐竜観が行き渡っていて、だから正直この映画は古くささの方が強くて、恐竜というよりか怪獣映画、そんな風に感じたものでした。合成や特撮に関しても、よりリアルさを増したものを目にしているわけで、正直なところちゃちだなあといわざるを得ず、当時、九十年代でさえそうだったのだから、今のCGばりばり、アニマトロニクスばりばりの映像に慣れた目にはもうどうしようもなく映るかも知れません。

けど、六十年代当時には、これが最先端映像だったんでしょうね。コマ撮りで動く恐竜と人類の死闘、その合成は見るものの度肝を抜いたものと思われます。それも大人が見て楽しんだ、少なくとも大人をターゲットにしていた映画であります。今からしたら子供だましに見えるけれど、その当時には至極真面目に作られていたろう映像。なら、今それを見る我々は、襟を正し、恐竜映画の先達に敬意を表すべきなのだと思います。いや、実際の話、突っ込みどころは多すぎるくらいにあるし、映画としても微妙なんだけれど、けどそんなに悪くないんですよ。だからもし、テレビでやるようなことがあったとしたら、きっと私はまた見るだろうと思います。

0 件のコメント: