「幽遊白書」読んでも「うしおととら」読んでも毎回泣く
という人がいはりましてね、いやあ涙腺が壊れ気味の人ってどこにでもいるんだなあ。でも、涙腺の壊れっぷりなら私も負けてませんよ。というわけで、私が読むと必ず泣く『銀のロマンティック…わはは』で対抗してみようと思います。ええ、この漫画は絶対泣くんですよ。読めば泣きますし、思い出しても泣きますし、あらすじを説明しようとすれば、言葉にする前に泣けてくる。— 多分こういう人って多いんじゃないかと思います。川原の読者は、きっと私のいうことわかってくれると思います。
私ね、いつも思うんですけれども、人間には感情のスイッチというのがあって、特定の条件がそろうとスイッチがオンになるんですよ。だから何度見ても、何度読んでも泣いてしまう、いつも同じシチュエーションで涙が止まらなくなる。これは自然なことだと思うのです。
ただ、その涙のスイッチが人それぞれなわけです。私みたく川原漫画の人もいれば、特定の少年漫画でオンになる人もいる。『劇的ビフォーアフター』を見て泣く人もあれば、10歳のわんこが犬ぞり引いてる姿に号泣する人もいる。実に人それぞれであると思います。
ただ、私の場合、ちょっと『銀のロマンティック…わはは』で泣きすぎたきらいがあって、なんというのか、パブロフの犬とでもいったらいいのか、このタイトルのわははだけでちょっと泣きそうになってしまう。このわははの前の三点リーダー…が私のスイッチを押す、溜めになってしまっているみたいなんですね。
川原の漫画というのは、実にこのわははの一語に集約されるんではないかと思うんですよ。基本的に、悲劇のどん底にたたき込まれたような主人公が明るく健気に生きていくという様を描く川原漫画ですが、やはりそれはどこかに悲劇の影を引きずっていて、けどそれを決して表立っては描かない。悲しさやつらさを奥に隠して笑っている。ただただ静かに微笑んでいる。それがわははであると思うのです。その前に三点リーダーが置かれたわははであると思うのです。
川原の漫画には、いつもどこかにこのわははが感じられます。物語がハッピーであるにせよそうでないにせよ、川原漫画の登場人物はわははの精神を忘れず、どんな悲しいこと、つらいことがあったとしても、この精神でもって、その人それぞれの日常に立ち返っていくだろうという予感がするのです。
きっとこのわははに力づけられる思いのするという人はたくさんいると思います。そして私は、力づけられるとともに泣いてしまうんですね。
駄目だ、スイッチが入った。文章になりやしません。
- 川原泉『甲子園の空に笑え!』(白泉社文庫) 東京:白泉社,1995年。
- 川原泉『銀のロマンティック…わはは』(花とゆめCOMICS) 東京:白泉社,1986年。
0 件のコメント:
コメントを投稿