2007年6月13日水曜日

Yotsuba&!

  あずまきよひこの『よつばと!』はやっぱり人気があるようで、評価も実際高いみたいですね。なんか賞貰ったとかってきいてます。でも、それも納得だなあなんていうのは、ちょっとファンとしてのバイアスかかった意見だと思うので、黙殺してくださるとありがたいです。さてさて、この『よつばと!』のいいところはなにかというと、万人が楽しめる可能性を持っている、ってところかと思っているんですが、つまりですね、子供というある種普遍的な存在が世界と出会っていくという物語。子供が読んでも面白いだろうし、また親になった人、あるいはもうおじいちゃん、おばあちゃんになろうという人、なった人が読んでも面白さを見出せるんじゃないかななんて思っているんです。もちろん、私のようにすでに子供でもないし、また親でもないという人間が見ても面白い。こういう、さまざまな年代、性別に訴える漫画というのは、やっぱりちょっと貴重だというように思っています。

で、ここで以前にもお伝えしましたが、この漫画は英語版も出ておりまして、その名もYotsuba&!。これ、出たのずいぶん前の話で、書誌を見れば2005年ですね。おととし。私は英語で漫画を読む趣味はないのですが、けれど好きな漫画が別言語で出ると知れば、読んでみたくなるのも人情で、そしてざっと読んでみて、訳に苦心してるところだとか、あるいは日本にあって現地にないようなものを、別のなにかで代用しているところに、うまいなあと思ったり、あるいは無理があるなあと思ったり。そういう楽しみ方をしています。

『よつばと!』は英語版が出た後も着々と巻を重ねているわけですが、そのわりにYotsuba&!の新刊は出ないので、アメリカではうけなかったのかなとか思っていたのですが、先日のこと、Amazon.co.jpからメールが届きまして、Yotsuba&!新刊が出るから予約しちゃいなよ、ってことみたいです。なお、4巻が8月、5巻は10月に出る模様です。

4巻といえば川遊びの回がある巻ですよ。わたし、あの回が結構好きで、なにごとにも動じず興味津々で取り組む恵那が魅力的だったり、なんかおてんば娘っぽいのに変に気の弱いところのあるみうらが可愛かったりで、そりゃもうどうしようもないんですが、ほんでもって風香の失恋だ。英語になるってんなら、あのグッバイマイラブはどう訳すんでしょう。Good-bye, My Loveならあんまりにもなんてこともない訳で、というか、あえて英語というだささが表現されないわけで、とくれば、こりゃフランス語だな。というわけで、Adieu, mon amour.あたりが本命。けど、amourはloveに対応する愛や恋を指す語なんだけど、恋人への呼びかけにも使われるからなあ。でも、間違ってもAdieu, mes amoursにはならんと思います(複数形で特に恋を指すんだそうです)

4巻ではラジオ体操の扱いあたりもちょっと気になるところです。で、5巻は! また今度書きます。まずは4巻を楽しみにしたいと思います。

  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 1. Texas : Adv Films, 2005.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 2. Texas : Adv Films, 2005.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 3. Texas : Adv Films, 2005.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 4. Texas : ADV Manga, 2007.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 5. Texas : ADV Manga, 2007.
  • あずまきよひこ『よつばと!』第1巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2003年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第2巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2004年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第3巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2004年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第4巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2005年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第5巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2006年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第6巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2006年。
  • 以下続刊

引用

  • あずまきよひこ『よつばと!』第4巻 (東京:メディアワークス,2005年),129頁。

2007年6月12日火曜日

ことはの王子様

  web拍手見てたらですね、「ことは〜」はお買いにならなかったのでしょうかとの問い合わせがありまして、このことは〜というのは、このBlogの読者さんには説明せずともおわかりだろうと思うのですが、渡辺純子さんの『ことはの王子様』でありますね。それも、つい先月の末に発売された第2巻をさしていることも明白でしょう。ええ、ええ、買っておりますよ。買わないわけがないじゃありませんか。けど、じゃあ、なんで記事として取り上げなかったのか。これにはちょっとだけ理由があります。

こととねお試しBlogには取り上げる基準ないしは優先順位というのがありまして、それはどんなかといいますと、

  1. 好きなもの
  2. 語りたいもの
  3. 今、自分の中でホットなもの
  4. 今の時期を逃すと取り上げる機会のなさそうなもの
  5. これまでに取り上げられていないもの

だいたいこんな感じかと思います。で、先月末に取り上げましたまんがタイムKRコミックス四タイトルに関してはどういう基準が適用されたかといいますと、だいたいこんな感じ:

雅さんちの戦闘事情
第1巻であり新鮮だった
最初はともかく今は結構好き
ビジュアル探偵明智クン!!
最終巻でありこれを逃すともう機会がなさそう
意外にもこれまで取り上げられていなかった
ワンダフルデイズ
今、自分の中では結構ホットな漫画
その上、意外にもこれまで取り上げられていなかった
ひめくらす
今、この作家は旬だと思う
さらに加えて、意外にもこれまで取り上げられていなかった

そうなんですよ。『ことはの王子様』は5月発売のKRコミックスにおいて唯一過去に取り上げたことのある漫画だったのです。いや、そうじゃないよ。『ROM-レス。』も取り上げてたわ。もちろんこの本も買ってます。しかし、今回完結の『ROM-レス。』を取り上げなかったのは、『みなむーん』の時点で四コマでこんなに引っ張るのもどうだろうと思ったからで、一応ひとつのカテゴリに偏りすぎないように気は使ってるんですよ。そうは見えないとは思いますし、そもそももう手遅れという感じもするんですが。

というわけで、『ことはの王子様』第2巻。第2巻読んでから第1巻読み返すと、そのあまりの雰囲気の違いに驚かされるというか、なんというか割合みんなおとなしくてですね、いやちとせは最初から変態ですけど。それにせのお様は時折にまゆかさんのことを思い出してみたりして、その度にことはの胸中はざわめくのでありました。なんていうような展開もあったりして、そしてそれが基調のカラーになっていたんだなあと思うんです。ですが、今やせのお様とことはの仲はほぼまあ確定ですから、そうした思いのすれ違いというような見せ方はなくなってですね、かわりにメイド連中の暴走ぶりを楽しむという、まあ主にちとせが暴れるんですが、そういう感じです。でも、ちとせのこういう役割が確定するまでは、執事の小清水さんが無茶な案件を持ち込むことが多くてですね、けれど最近、小清水さんってあんまり出てませんよね。それこそ、その他大勢の背景レベルにまで後退してしまって、栄枯盛衰、黄色い悲鳴をあげる役目が関の山という侘びしさです。

漫画の雰囲気が結構変わったというのには、やっぱりせのお様のまゆか熱がお冷めになったことが大きいのではないかと思います。もともとは恋心のすれ違い、ことはの気になるご主人様はことはではない別の人を思っていて、けれどそれでもせのお様は意識しないまでもことはを特別に思っていることは明らかで。こういう、ぱっとは燃え上がらない、穏やかに切ない恋心がドラマの軸だったんですよね。けれど、せのお様は今ではまゆかさんを思い出すことはなくなって、いわば中心となる軸が失われてしまったわけで、そしてその後新たな軸として見出されたのが、暴走するメイドたち、まあ大抵はちとせなんですが、マニアックな趣向でもって状況のかき回される様がメインになったというのでしょう。

けど、それでも当初の軸を継承しているところはあって、例えばそれはせのお様の従姉である秋緒と秋緒付のメイドであるリナなんだろうと思います。秋緒はせのお様を思っていて、しかしリナは秋緒を思っていて、もちろん秋緒はリナを嫌ってなどはいない。この関係は当初のまゆか、せのお、ことはのそれに同じです。けれど、彼女らはかなりメインよりのキャラクターであるけれども、それでも完全にメインにはなり切れないという微妙な位置で、やっぱりメインはせのお様とことはなんですね。だからリナの報われない思いの行方は、ことはの思いに比べ深く取り上げられることは少なく、だからこうした穏やかにして切ない胸中の嵐という要素は第2巻あたりではずいぶん薄れてしまっています。

今の状況は、微妙に迷走しているのかも知れません。第二の軸であった暴走メイドから、新たな軸に移行しようとしている時期なのかも知れません。今はまだその方向は見えませんが、この時期を超えたら新たな着地地点も見つかるのではないかな、なんて私は思っています。私自身、なにを書こうにも、書こうとするもの、いいたいことが見つからないなんてことはありますが、けれどそういう時期を抜ければ、また先に進めるものですから。

というようなわけで、そろそろ原点回帰的な動きがあるのではないかと思っています。

  • 渡辺純子『ことはの王子様』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 渡辺純子『ことはの王子様』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

2007年6月11日月曜日

まい・ほーむ

  あれほどむんこについてはいろいろ書き散らしているにも関わらず、『まい・ほーむ』に関しては口を閉ざしてノーコメントを貫いていたのは、あの親父さんがどうにも好きになれなかったからだと思うんです。『まい・ほーむ』。父一人子一人で頑張る堀川さんちの暮らしの風景が四コマにてつづられた、ちょいギャグ、けれど実際はほのぼのもの、 — と思うんですが、なんかね、読んでると苦労してるのは娘の舞だけかよみたいな気がしてきましてね、まあ、親父さんが子供なんですわ。この、子供という表現ですが、文字通り子供。お前、小学生かよ、ってなのりを家でも会社でもやってて、正直感情移入のしにくさはむんこ漫画における筆頭格であり、というか読んでていらっとくることもしばしばで、だからきっと書けばぼろくそになるだろうと思って黙殺したのです。けど、1巻読んで2巻も読んで、どんなに駄目な大人でも、舞にはこの親父さんじゃないと駄目なんかなと思うところもあって、こと日常を離れて二人でやんちゃに過ごすような話なんかを読むと、それまで親父さんに感じていた不快感なんてのは吹き飛んでしまうような楽しさがあって、そうかあ、こういう関係はあってもいいのかも知れないなと思うところもあるのでした。

けど、一体なにが駄目だったというんでしょう。駄目社会人を主人公(格)に据える漫画は、こと四コマに関しては枚挙にいとまのないほどにたくさんあるというのに(というか、植田まさしの漫画は大抵そんな感じだわね、『かりあげくん』とかさ)、また駄目親父に手を焼きながらたくましく生きる少女の物語というと『じゃりン子チエ』あたりが思い出されますが、これに関しては劇場版のLD買うくらいに好きだというのに、じゃあ『まい・ほーむ』の親父が受け入れられなかったのはなぜか。というと、それはキャラクターなんだと思うんです。当初、この親父はあんまりに浅すぎたように思います。まんま子供。親らしい必要なんてのはさらさらないとはいってもさ、甚だしすぎたのだと思うんです。どこまでいっても悪ふざけ、まともの範疇に入らないのはいうまでもないことで、かといって規範や常識を打ち破れるようなパワーがあるわけでもない。ただ迷惑なだけのアダルトチルドレン親父 — 。

と思ったら、本当にアダルトチルドレンだったというのは参ったな。こういうので免責というのはちょっと勘弁して欲しい。

けれど、最前にも少しいいましたけれど、舞にはこの親父があってるんだということが描かれているから、こうした駄目な大人だけれども、許容され得る部分も出てくるんだと思うんです。舞はむやみにしっかりしている小学生だけれど、子供らしさがないというわけでもなく、むしろ子供っぽいやんちゃや悪ふざけも嫌いじゃないという、そういうキャラクターなんです。だから舞は、時に親父に手を焼きつつも、けれど同じ目線でもって向き合って、対等な関係でもって遊んでいる。2巻収録の自転車の話なんてのはその典型でしょう。金がない。じゃあ、自転車でいこうやという適当なのりで遠出する、それだけの話なんですが、それがむやみやたらと面白い。親父も舞も生き生きとして見えて、普段はこうしたのは生活感あふれる四コマの中に数本紛れてくるといったところが、がつんとまとめてやってきて、そうかあこの親父は親父と思っちゃ駄目なんだと思った。舞の相棒なんだと、そう思ったらそれまでのもやもやみたいのがぱっと晴れて、がぜん面白さが増したのでした。

ただね、この作者の癖だと思うのですが、妙にいい話にしようとしたり、妙にシリアスにしようとしたりするところがあって、あんまりにそういう面が出てくると私はちょっと居心地悪くなってしまうたちなんですが、幸い『まい・ほーむ』はそういう方面薄味で、 — と思ったらちょっとずつ出てきてますね。でも、どうも後書き見ると次巻で完結の予定だそうです。となれば、あんまり人情味だとかなんだとか押し出すことなく、舞と親父の快活おふざけ生活メインのままに終わるのではないかと予想されて、これ正直いい引き際だと思います。仮にその向こうに暗さ、悲しさ、辛さがあるのだとしても、『まい・ほーむ』に関しては、掛け値なしの明るさ、楽しさ、元気さで、底抜けに楽しくいってほしいものだと思います。

  • むんこ『まい・ほーむ』第1巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2005年。
  • むんこ『まい・ほーむ』第2巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2007年。
  • 以下続刊

2007年6月10日日曜日

邪眼は月輪に飛ぶ

 漫画を好んで読む人、とりわけ少年漫画系の人にとっては藤田和日郎という名前は特別の響きを持っているように思うのです。古くは『うしおととら』において一世を風靡して、ヘビーでコアな漫画ファンからもライトな読者からも支持される漫画家、それが藤田和日郎という人だと思います。けれど、ここでちょっと白状しますと、私は藤田和日郎の漫画をきっちり読んだことはないんですよね。『うしおととら』は、最後の方をちょっと読みました。白面と戦うクライマックスの頃だったかなあ。海底にいる敵に人間、妖怪が連合組んで特攻してた、そんな頃を読んでいました(記憶でしゃべってるので違ってる可能性大です)。それと『からくりサーカス』。これは連載開始の頃から読んでいて、けど途中でリタイアしています。面白くないからとかじゃなくて、単純に『少年サンデー』の供給が断たれたから。あの、ゾナハ病の兄さんが死んだかなんだかしたところまでですね。正直なところいうと、これらの漫画きっちり全部読みたいんですが、今から読もうにも巻数が多いから、なかなか手が出ないという、そういう残念な状態になっています。

だから『邪眼は月輪に飛ぶ』を書店にて見付けたときには、そしてこれが単巻ものであると知ったときには、ああ嬉しいと、これでようやく藤田和日郎を読めるという思いでありましたね。買いました。中身も知らないのに。内容はというと、見ることによって生物を死に至らしめる異能を持ったフクロウ、ミネルヴァに命を賭して挑む猟師たち四人の物語。主人公は猟師鵜平に、拝み屋をする血の繋がらない娘輪、アメリカデルタフォースのマイケル・リード、CIAエージェント・ケビン。その誰もがうちに複雑な感情を押し込めながらも、ミネルヴァを追い仕留めるという目標に一致団結し、邁進する — 。その過程が素晴らしかった。

表にはミネルヴァという異形との戦いを配置しながら、その奥には人間のドラマを描いていて、特に主人公鵜平の胸に秘められた思いの鬱屈、この表現が素晴らしかった。どちらかというとシンプルなテーマ、シンプルな話であるのだけれど、それがぐいぐいと読むものの胸に押し込まれるように効いてくるのは、藤田和日郎の描き方の勝利であろうと思います。描き方とは、単に絵の力だけをいっているのではなく、話の運びにおいてもそうで、話の最後、最後の最後に明かされる鵜平の真実、そして鵜平が悔いも恥も乗り越えたあのコマがあれほどまでに力強いものとなったのは、入魂の作画にここに至るまでに少しずつ積み上げられてきた物語が乗ったからでしょう。半ば生きることをあきらめていたとしか思えない鵜平に生きようという思いを起こさせたのは、そして生き残るチャンスを与えたのは、娘輪への情であり、輪の父鵜平に向ける思いであり、そして鵜平とともに走った男たちの執念であったと思うのですね。

そしてそこには間違いなくミネルヴァの存在も効いていて、周囲に死をまき散らすという兇悪な能力のインパクトがまずあって、そして傲った人間どもの思惑を超えて翻弄する強さがあって、けれど生物としての悲しみもともにあって、 — いうならば悲しさを抱いたもの同士が命のやり取りをしていた。そして、その勝者となったものはその悲しみを乗り越えたのだと、そのように思います。

藤田和日郎は、つくづく真っ向勝負の人だと思います。シンプルな話だといいました。今は物語にせよなんにせよ氾濫して、大抵のことは語られてしまっていて、このような状況下で普通のことを語るというのは非常に難しいというのに、藤田和日郎は真っ向から取り組んで、普通を普通でないように語ってしまう。下手に描けばありきたりのそしりを受けるはめになりそうなところが、藤田和日郎にかかれば特別になってしまう。本当に、語る力のある漫画家だと思います。

2007年6月9日土曜日

大航海時代

 歴史もの中国ものがそれほど好きではない私には、コーエーのゲームはあんまり魅力的とは思えませんでね、それこそ『真・三國無双』のシリーズくらいしか遊んだことないのです。とはいっても、実は例外があります。それはなにかといいますと『大航海時代』でありまして、これ、高校生の頃だったと思うのですが、近所の電器屋店頭のワゴンにて投げ売りされているのを見付けまして、五百円とか千円だったのかなあ、これくらいの値段なら買ってもいいかなあなんて何の気なしに買って、そしてはまってしまったのです。どういうゲームかはタイトルが示しています。ヨーロッパは大航海時代、海にフロンティアを見出した冒険者たちの活躍するゲームであります。これが、これがべらぼうに面白かったのです。

ただ、私がプレイしたのはファミコン版で、妙に粗い画面で、地図なんかも微妙な感じの再現性。もし今再びプレイするとしたら、ええーっ、こんなにしょぼかったっけと驚くこと間違いなしであるのですが、けれどそのプレイしていた当時には、その映像の非力さ、表現性の乏しさに対し、不都合を感じたことなんてありませんでした。

プレイヤーはお家再興をもくろむ青年。最初は小さな船で、地中海沿岸にある港みなとを回って、オレンジやらなんやらを安く仕入れて高く売る。つまり貿易しながらお金を稼ぐゲームなんですよね。お金を貯めて、船のグレードアップをして、港にて船乗りを雇っては船長にして、ゆくゆくは船団組んで大交易をやるってわけですよ。けど、その歩みは実に遅々として、最初はそれこそ、地中海から怖くて出られませんでした。船の能力が低いとですね、嵐や時化で流されたりするんですよ。流されるだけだったらいいんですが、2番3番船が行方不明! なんてことにもなって、そうなったら大損。なので、本当に慎重に少しずつ船団を育てていって、スペインからポルトガル、そしてロンドンにまでいけたときにはちょっとした感動がありました。

そしてここからが本当の大航海なんだと思います。北欧へゆき、アフリカを回り、喜望峰超えてインドまでいって。そしてゆくゆくは日本にまで達するんですよね。途中途中で補給しながら、陸伝いにこわごわ航海して、そして自信がつけば大西洋横断ですよ。目指すはアメリカというわけで、本当に世界をまたにかける冒険が楽しめる。本当にふところの広いゲームだったと思います。

このゲームの基本は交易ですが、他にも武装して海賊を退治したり、あるいは自分が海賊になったり。悪事働くと出入り禁止くらったり軍に追われたりするから、海賊船を取り締まるほうがいいんじゃないかと思います。あるいは王室からの頼まれ事をうまくこなして名声やらいろいろあげて爵位貰ったりしましてね。こういう立身出世の面白さというのもあるゲームだと思います。

そういえば、このゲーム、宝探しもできるんですよね。宝の地図を手に入れて、まあこれがミッションだったりすることもあるのですが、断片としか言い様のない地図を手がかりに、目的地にまでいって、探して、宝を持ち帰ってくる。けど私はちょっとずるをしていまして、手もとにですね、世界地図を置いていたんですよ。宝地図に見える地形を、地図帳から探し出すんです。これやると、ほんと、宝探しは楽勝になります。本当なら、そういうずるをしないほうが宝探しの難儀さというのも味わえていいと思うんですが、効率を考えると地図だよと、反則っぽい遊び方もしたものです。

大学にはいって、音楽史の授業、最初の時間に記憶を頼りにヨーロッパの地図を書くという課題が出まして、この地図を誰よりも詳細に書くことができたのは、間違いなく『大航海時代』のおかげです。ヨーロッパのみならず世界の地理に精通することができる、地形を理解し、主要な港を把握し、そしてその土地で産出する品なんてものにも詳しくなって、実際私の世界地理に関する知識は、このゲームで得て、そしてこのゲームからいまだ抜け出せずにいるくらいです。

大学を卒業する頃、友人からPlayStation版の『大航海時代2』を貰いまして、遊びたいなと思いながら、いまだにはじめることなく、積んでいます。余裕ができたら、遊んでみたいですね。長丁場になることが予想されるゲームですから、よほどの余裕がないと駄目だと思いますが、けれどいつか必ず遊びたいものだと思っています。

FAMILY COMPUTER

メガドライブ

SUPER FAMICOM

PlayStation

SEGA SATURN

Windows

Nintendo DS

Sony PSP

2007年6月8日金曜日

ボクの社長サマ

  ちょっと年のいきかけた漫画読みにはおなじみだろう漫画家、あろひろしが四コマ誌にて連載している『ボクの社長サマ』。この漫画が始まったとき、私には実に意外と思われて、いや別にあろひろしが四コマ誌で書いちゃいかんという話はないのですが、しかし昔の馴染みの、結構好きだった漫画家が今読んでいる、どちらかといえばマイナーよりの雑誌にくるだなんて。本当に意外でした。けれど意外である以上に、その当初のぎこちなさには戸惑いばかりが感じられた、というのは以前にもいいましたとおりです。

けど、今やすっかり往年の雰囲気、勢いを取り戻したというか、実にあろひろしらしいと思えるのりになっていまして、読んでいてすごく楽しいのです。萌え要素を盛り込もうとしていた頃とは違って、ネタのいろいろがよく回転してる、機能しているという感じでしょうか。あろひろしに独特な、常軌を逸した設定の数々。以前の漫画でいえば、『優&魅衣』なんて、ヒロインの一方が幽霊なのはまだしも、板金鎧着用一家の娘にいたってはもうとんでもどころの話じゃないし、それに主人公が眼鏡はずれて獣人化だもの。学校は無駄にロボットに変形する。マンホールと戦ってる人がいる。残念ながら、こうした変態設定は『ボクの社長サマ』には出てこなくって、……と思っていたら、やっぱり出てくるんですよね。

幽体離脱して小学生社長を見守るメイドであるとか、根性努力勝利で主人公を無駄にしごく秘書課主任だとか、空間を超えるほどの方向音痴ぶりを見せる後輩女子社員であるとか。こういうあり得ない設定のキャラクターを動かして、ネタとしてはべたかも知れないけれど、勢い、のりで突き進むその推進力はやっぱりあろひろしのそれだなあと思うのです。際限なくエスカレートする悪乗りぶりはあろひろし健在と思わせて、無駄に大風呂敷広げるところや空騒ぎの大騒ぎのしっちゃかめっちゃかな展開なんかも実にいきている感じ。さすがに社屋がロボに変形したりはしないけれど、非常識物件は普通に現れてきて、この非常識を楽しませてくれるところ、実にいい正統派のギャグ四コマであると思います。

しかし、萌えにチャレンジしようとして、どたばたのギャグになってしまったと思われた『ボクの社長サマ』ですが、第2巻の最後の最後に萌えキャラがバーンと出てきて、実に良い感じであったではありませんか。ええ、ひな人形のおヒナちゃんです。この前後編で展開されたひな祭りエピソードは、無駄に大げさな舞台を用意してのどたばた大暴れものにして、端々に現れるギャグも切れ味鋭く、また珍しい乙女主任を見ることもできて、実によい回でありました。爆発落ちなぞは今や古典であるけれど、古典すなわちオーソドックス。久々に見る最高の爆発落ちであったと思います。

蛇足

板見先生の造形は非常に素晴らしいものがあると思います。凛々しいボブ、最高です。キャラクターはあれですが……。

  • あろひろし『ボクの社長サマ』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社.2006年。
  • あろひろし『ボクの社長サマ』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社.2007年。
  • 以下続刊

2007年6月7日木曜日

メイド諸君!

 書店にいったら『メイド諸君!』の第2巻が出ていて、以前に読んで、どうにもつかみあぐねて気になっていた漫画でありましたから、なにをおいてもまずこれを読んでみて、そしたらなんか以前にくだくだややこしいこといってたのが馬鹿みたいに、普通に読むことができました。タイトルにもあるように、メイドが主人公の漫画。といっても家政婦としてのメイドではなく、メイド喫茶の従業員を巡る漫画です。おそらくヒロインは二人。お上りさん、関西弁がキュートなちょっとのんびり系、千代子と、メイド喫茶の秩序に命を懸けているのか、妙にかりかりとして官僚的な言説態度が光る歩がそうで、この実に対照的な二人を描くことでなにをかを表現しようとしているのだと思います。そしてそれはおそらくは、自我であるとか自立であるとか、そういった方向なんじゃないかなと思っています。

けど、その反面ものすごくおたくにとって都合のいいファンタジーが、これでもかこれでもかと盛り込んであって、正直私は読んでていたたまれなかったよ。これ、絶対わざとだと思う。自分に自信の持てない、対人関係に自信の持てない、そういった自分が行きつけの店の女の子にほのかに恋心を抱いたと思いねえ。知りあいたいが手段がない、話しかけたいがきっかけがない。そんなとき、都合よくその子の身に起こったトラブルを助けたり、そうしたら向こうから興味を持ってくれたり、ってなにこの妄想を見透かしたような展開は! 絶対これ、わざとですよ。こうした展開を、わざとあざとさをともに見せることで、おそらくはおたくであるだろう読者に対してチャレンジしてるんです。被害妄想なのか知れませんが、けど私にはそうとしか思われない。これはお前たちの、ちょっとずれた妄想の物語なんだよと、耳元でささやく声が聞こえそうなぐらいですよ。

けどそれが面白いんですね。妄想がぶちまけられたような展開をストレートに受けて、思わずにまにましながら読むのもよし、反面そのチャレンジしてくる厳しさに身もだえするのもよし。私は現状では半々かなあ。少なくとも物語が動き出した分、1巻よりも楽しみやすいと思いますし、この時点で通読すればまた新しい読み方もありそうだなと、そういう感じです。

私は思っているのですが、きづきあきら、サトウナンキの漫画は、綿密に作られているように見えるけれど、読者の判断に委ねられる領域というのもかなり広めにとられていて、だから読者はその時々の自分の問題をその余地に注ぎ込んで、漫画を自分に引き寄せるようにして読むのだと思います。なので、こういう読み方がマッチする人にはすごく面白い、あるいは意味のあるものとして読めるのだと、そしてあるいは漫画をその実際以上に広く深くして読むのだと思います。

もしかしたら買いかぶりすぎているのかも知れないということはままあります。ですが、それでも私の突かれたくないところを、絶妙な加減で押してくれるものですから困ります。突かれたくないはずなのに、突かれると嬉しくなる。変な話ですが、けどきづきあきら+サトウナンキファンには多かれ少なかれそういった気があるんじゃないかなと思っていて、だからみんな、これは私の物語なんだ! とか思ってるんです、きっと。そしてそう思わせるうまさがあるのだと思います。

蛇足

三角の口して、変な顔になってる野口歩がむやみやたらと可愛く感じられます。生意気なくせにうぶ、いい感じにおたくっぽいという、私の好きなタイプかも、と思う人は多いはずだ。けど、現実に出会うと厳しいことも多いから、やっぱり歩も千代子もファンタジーなんだよなと思う次第。あーあ、現実ってつまんないよね。

  • きづきあきら,サトウナンキ『メイド諸君!』第1巻 (ガムコミックスプラス) 東京:ワニブックス,2006年。
  • きづきあきら,サトウナンキ『メイド諸君!』第2巻 (ガムコミックスプラス) 東京:ワニブックス,2007年。
  • 以下続刊

プロバイダからの回答

昨日の問い合わせに対する返事をいただきました。

あまりにもデメリットが多いと感じられた、ブラックリストに登録されたIPに対する、閲覧レベルでのブロックですが、これはあくまでも次の処置までの一時的対抗策であるとの回答をいただけました。またアクセス制限も解除されているらしいので、アクセス制限を受けてまごまごするという心配はなさそうです。

とりあえずこれからほどこされるSPAM対策ですが、一体どのようなものになるのか。多少の心配もないではありませんが、今の状況を乗り越えるに充分なものとなることを期待したいと思います。

しかしそれにしても、一番悪いのはいうまでもなくSPAMであるわけですが、いうならばBlogや掲示板という他サービスに寄生する彼らが、DoSまがいのリクエスト攻勢をかけることで、その宿主を殺してしまう。そこに自殺めいた不合理を思います。快楽や利益をあまりに追求しすぎるあまりに、自身の生息する環境を駄目にしてしまうというのはよくある話ですが、ことSPAMの異常ともいえる苛烈さを見れば、人間のこうした側面が人間という種を破滅させるのだろうなと納得できるようにも思えます。

2007年6月6日水曜日

荘村清志のギターで世界の名曲を

 NHK趣味悠々はこのところギターに力を入れているようで、ギター弾いている私には実にありがたい感じ。ほら、フォークソングとかエレキギターとか、とにかく毎年一度はギター関連の講座を開いてくれているんですね。その度に私はテキスト買って、ちょこっと弾いたりしているのです。まあがっつりと取り組んだりしないのが私の悪いところなんでありますが、けど今回はがっつりと見る価値がありそうだぞと。いや、こういうと語弊がありますね。別に今までのが見る価値が低いとかそういうわけではないんですよ。ただ、今回はテーマがクラシックギター。アンプを通すわけでなく、伴奏をやるわけでもなく、ギター一本で音楽の世界を作り出そうというアプローチ。私のやりたいことに関しては、非常にためになるんじゃないかなと思っているというわけです。

テキストは早々に買ってきて、実際に弾いてみたりもしていました。内容は初級編と中級編に分かれ、初級編の曲目は、

  • 夏の思い出
  • 千の風になって
  • オーバー・ザ・レインボウ
  • マリセリーノの歌
  • 鉄道員
  • 禁じられた遊び

対して中級編の曲目は、

  • ロンドンデリーの歌
  • 11月のある日
  • カバティーナ
  • 聖母の御子
  • アルハンブラの思い出

思い出に始まり思い出に終わるようですね。あと、参考曲として、

  • ドナドナ
  • 月光

が収録されています。

私、この曲目を見て、やっぱり『禁じられた遊び』は外せないんだなと面白く思っていたのですが、というのもこの本でいくつ目の楽譜になるんだろう。私はこれまで別の楽譜でもってこの曲をやっていたのですが、いやね、やっぱりギターやるとなるとこの曲は外せないところがあります。自分がというよりも、聴く人のためといってもいいと思うのですが、とにかくこの曲の知名度、人気はものすごいです。ギターというとこの曲といってもいいくらいにまでなっていますからね、聴く人の反応が違うのですよ。ものすごくアピールするということで、もちろん私も弾けるようにしたというわけなのです。

けど、この本に入っている『禁じられた遊び』はこれまで私がやってきたのとは一部、ごく一部ですが違っていて、こっちの方が正しいのかもは知れないのですが、でも長調のケーデンス1小節前には違和感があります。この本ではV-V-Iとなっているんですが、I-V-Iの方がしっくりくるんだけどなあ。だってイエペスもI-V-Iで弾いてるよな、なんて思いながら、結局はI-V-Iで弾いています。

この講座の第一回を見てみての感想はというと、荘村清志が単音で『夏の思い出』を弾くところを聴くことができるというのはなんという贅沢なんだろう、というそんな感じでした。実際問題として、単音でシンプルにメロディを弾くというのは結構難しくて、単純だからこそ誤魔化しにくく、弾くものの音楽性があらわになるという、そういう恐ろしいところがあるです。ですが、さすがプロは違うと思います。すごく美しく弾く。ということで、私もこうしたシンプルなメロディに改めて向き合いたいと思ったのでした。

こととねお試しBlogは現在アクセス制限中

こととねお試しBlog[旧お試しBlog]は現在アクセス制限がなされています。

この措置は、先日私も経験しましたトラックバックSPAMがきっかけとなってほどこされたものです。私が最初の中規模なSPAMを受け取った翌日であったと記憶していますが、まともに閲覧ができないまでに状況は悪化していました。おそらくは大規模なSPAM行為がおこなわれているのだろうと推測して、そしてこの推測は当たっていました。

最初のトラックバックSPAMをうけた時点でトラックバックの受け付けを停止していたため、幸い私はその被害を被らなかったのですが、稼働に対し支障が出るほどのSPAMを受け取って、Blogサービスの提供者は全Blogへのアクセスレベルでの制限を加えることに決めた模様です。なぜこのことに気付いたかといいますと、そのアクセス制限がほどこされたと思われる日に、私自身がアクセスをブロックされてしまったからです。異なるホストからアクセスしたところ正常に表示されたため、自分がブロックされていることがわかった。正直、ショックでした。

私がブロックされるのは、私の利用しているプロバイダの所有するIPのいくつかがブラックリストに登録されているためであるようです。そしてこうしたブロックされるIPは他の大手プロバイダにおいても確認されており、すなわちそのIPが割り当てられている人間は、私のBlogにアクセスすることすらできません。正直それは困る。ただでさえ落ち気味のモチベーションが、ここにきて底を打つほどに下がりそうです。なのでサービス提供者に対して、以下のようなメールを送りました次第です。

お世話になっております。

アクセス制限の件、諒解いたしました。先日のメールを書きました後、IPアドレスを変更させてアクセスできるようにはなっておりました。

この度の措置は、これまではコメント及びトラックバックを受け取るaction.phpにおいて用いられていたアクセスブロックを、すべてのファイルへのアクセスに対し拡大的に施したものと考えましてよろしいでしょうか。以前はコメント及びトラックバックのリクエストを受け取った後にブラックリストに基づきはじいていたものが、今はそのリクエストを受ける以前にアクセスレベルではじくように変更されたものと理解しています。

処理の増大により正常稼働ができなくなったための処置と諒解しますが、それにしてもこの方式はデメリットの方が多いように感じます。コメントやトラックバックがはじかれるのはやむないとしても、閲覧レベルの規制はなんとか回避できないものでしょうか。

正直なところを申しますと、今回の処置は、貴サービスの魅力を決定的に損なうものであると感じています。コメントへの規制の時点でSPAMではない通常の書き込みがブロックされるとの連絡を多々受け取っており、また自分自身のコメントもたびたびブロックされていたのですが、その経験からかんがみますと、今回の規制により、結構な数の善意のユーザーの閲覧がブロックされているものと思われます。

すべての原因は、SPAM行為にあるということは承知しており、貴サービスも被害者であることは理解しています。ですが、もう少しサービス利用者及び閲覧者においてもデメリットの少ない方式をとっていただくわけにはまいりませんでしょうか。現状では、角を矯めて牛を殺す結果にもなりかねないと危惧しております。

これで改善されるのかどうかはわかりません。もし改善が見られない場合は、他サービスに乗り換えるかも知れない。それくらいにまで思っています。

2007年6月5日火曜日

24のひとみ

  Clover』のDVDを買ったときの話なんですが、なんと、このDVD、値引きのために1500円を割りまして、そう、このままだと送料がかかってしまうという事態に陥ってしまったのです。だから私はなにか買って送料無料にしようと、例によっていつものごとくAmazonのおすすめをさまよいまして、そんなときに面白そうかなと思ったのが『24のひとみ』でした。これ、少年チャンピオンに連載されている漫画のようですね。商品の説明見てみれば、どうも嘘つき教師が主人公みたいです。嘘つきであることを公言して嘘をつきまくる、そういう漫画であるようで、なんだか面白そうだから内容も詳しく知らないまま注文したのでした。もし面白くなかったら嫌だけど、まあ漫画の一二冊で済むならたいしたことはないかなと、そんな気分だったのですね。

商品の説明には極悪非道なんて文言もあって、実際どんなにひどい嘘がつかれるんだろうと思っていたのですが、思ったよりもさっぱりとした印象で、さらっときれいに流れる感じ。後味の悪さみたいなものもないから、この点はよかったなあと思っています。いや、だってね、極悪非道の嘘つき教師なんていわれると、妙に大げさなドラマが展開された上にいやな後味が残ったりするかもなんて思うじゃないですか。けど、すごく淡々としています。嘘は嘘で畳みかけるように次々次々重ねられていくのですが、あんまりにテンポよく切り替わっていくものですから、深まる暇がないというか、そもそも深める気がないというか。だから、読後感も爽やか。結構ひどい嘘もある、というか、むしろひどいやつの方が多いんですが、とにかくテンポのよさがすべてのネガティブさを帳消しにしてくれるから、嫌だとかむかむかするとか、そういう悪感情も生まれにくいみたいです。

と、こんな具合に、人間的に間違った主人公がのうのうとしてる様を楽しむ漫画であるわけですが、けどもしかしたらだんだんといい人設定になってきたりするんじゃないかな、だとしたらいやだななんて思ったんです。ほら、よくあるでしょう? 話が進むほどにみんな善人っぽくなっていって、最初の粗削りだったころのが面白かったよなみたいなこと。悪人も善人もみんな馴れあっちゃって、面白いんだけどちょっと違うんだよななんてことは往々にしてあります。けど、この漫画に関してはそういう心配はいらないようで、だってそもそも心の通いあうところが絶無といっていいくらいに希薄です。教師と生徒がいて、また同僚教員とのかかわりもあるというのに、そこに人間的情のゆきあうところが見えません。きれいにぬぐいとってあって、馴れあうどころではありません。

だから、口ではひどい嘘をつきながら実のところ生徒を温かく見守っているひとみ先生とか、嘘ばっかりいってるどうしようもない人だけど、俺達、先生のことわかっちゃってるからさあ、みたいな生徒は出てこないし、今後も出ることはないでしょう。嘘つき教師は、純然たる機能として要請されるままに嘘をつき、生徒を、同僚を、あるいはたまたま関わっただけの人を振り回し、突き放し、傷つけて、そして嘘をつかれるほうは歩み寄ろうとしては阻まれ、理解しようとしてはあきらめ、どうよこの乖離感。ここまで徹底するとむしろすがすがしいと思います。少なくとも、なんとなくいい話にもっていっちゃいましたというような、微妙な展開にむずがゆくなることがありません。この徹底ぶりは素晴らしいと思います。

けれど、ここまで後味の残らないというのは、テンポや型の徹底だけの問題ではないでしょうね。この漫画が基本的に感情移入を拒んでいるからだと思っているのですが、ひとみ先生は悪意ある風なことをいいますが、その台詞に現実味はなく、言葉の向こう、表現の向こうに心のあるようには思われない。この無機的なところ、悪意のあるようでそもそもなにもないという空白な感じが、嫌悪感を増幅させることなく笑いにとどめさせる最大の要因なのでしょう。だから、もし心や感情といった類いを感じさせる表現でもってこの展開をされたとしたら、面白い面白くないの以前に、きっと私は耐えられなかったと思います。

  • 倉島圭『24のひとみ』第1巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,2006年。
  • 倉島圭『24のひとみ』第2巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,2007年。
  • 倉島圭『24のひとみ』第3巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,2007年。
  • 以下続刊

2007年6月4日月曜日

アポロン ゲームミュージックBOX — メモリアル・サウンド・オブ・ウィザードリィ

 「題名のない音楽会21」(テレビ朝日系)の司会者で、ピアニストの羽田健太郎(はねだ・けんたろう)さんが2日、肝細胞がんで死去した。58歳だった。通夜は6日午後6時、葬儀は7日午前10時から東京都港区元麻布1の6の21の麻布山善福寺で。喪主は妻幸子さん。

羽田健太郎氏が逝去されたとのこと。ああ、ショックだな。以前にも少し触れましたが、羽田健太郎氏はピアニストであり作曲家、クラシック方面だけではなくドラマ、アニメなどのBGM作曲といったポピュラー方面でも活躍されていた方で、有名どころは『超時空要塞マクロス』ですけど、私にとっては『名探偵ホームズ』だったかな。あのユーモラスで楽しげなBGM、ハネケン作品だったんですよね。こんな風に、知らないところで氏の作品に触れている。また、演奏家としてのハネケンは、かつてニュースステーションで、桜の下で弾いたり、滝のそばで弾いたりと、生中継で即興で、これはという音楽を聴かせてくれて……、演奏家としても作曲家としても、意外な身近にあった、そういう人が羽田健太郎だと思います。

こんな私がもっとも多く触れてきた羽田健太郎というと、それはWizardryのBGMを抜いて考えることはできないでしょう。Wizardryはファミリコンピュータに移植された際にBGMが付けられたのですが、その作曲家が羽田健太郎氏でした。バロックを思わせる雰囲気でありながら、ロマン派的な重厚さも湛えていた#1の音楽は、そのオープニングテーマの段階でユーザーを魅了してやみませんでした。旧のユーザーの中にはWizにBGMは不要とこの音楽をOFFにするものもあったといいますが、私にはそんなこと考えもできないことです。私がもっとも長時間プレイしたゲームは、ぶっちぎりでファミコン版Wiz #1でありますが、だから私がもっとも長く耳にして、馴染んできたゲームミュージックというのはハネケンの#1、そしてついではWiz #2のBGMだったのではないかと思います。

以前、羽田健太郎氏について書いたというのは、アポロンから出ていたWizサントラが復刻されたという記事においてでした。私、あの時点で迷っていて、欲しいなとは思っているのだけど予算の面で厳しいなんていっていましたが、けれどもう迷うのはやめようと思います。つまり、買った。約一年前に出た完全限定盤ですが、どうやら通常出荷で受け付けている模様で、だから本当に完全になくなってしまわないうちに買っておきたいと思ったのでした。

数日のうちに数年ぶりにWiz #1を聴くことになろうかと思いますが、その際には、 — いや、これは不謹慎だからいうのはやめよう。ただ一言、祈る気持ちは忘れずにありたいと思います。

引用

2007年6月3日日曜日

ウィザードリィ エクス2 — 無限の学徒

  Wizardry XTHをはじめたのは去年の秋。もうじき夏の到来するのを待とうという時期になって、ようやくクリアしたのであります。って、以前、1月ごろにクリアしたとかいってなかったか? いや、いってましたね。過去の記事を探ってみると、1月28日にクリアしたとのこと。で、今またクリアというのはどういうことかというと、そのクリアの質が違うのです。1月時点でのクリアはメインシナリオを消化しエンドロールを見たという意味においてのクリア。で、今回のクリアというのは全クエストをすべて完了したという意味においてのクリア。けど、実際のところをいうとまだまだ先はあるんですよね。スレッド(迷宮)は十ほどが未踏破だし(星が付いてないという意味においてはもっと増えますが)、アイテムもまだまだ集めないといけないし、それにモンスター図鑑だって埋まってない。称号もまだですね。と、まだまだ尽くしではあるのですが、一旦はここでXTHからは離れようと思ったのでした。いやね、ちょっとXTH疲れしたものだから。どうしても勝てない固定敵がいるから、そいつを倒せるまでレベルをあげつつアイテムを集めるというのにちょっと疲れがさしたんです。なので、心機一転XTH2をはじめることにしました。ええ、もうじき廉価版がリリースされるというXTH2ですよ。けど、私は廉価版が出るかどうかさだかでなかったから、市場にあるうちにと思ってばーんっと購入済みなのです。多分、これ買ったの、1月頃だったと思うのですが、通常の値引きで買ってるものですから、ちょっと微妙な気分といえば微妙な気分かも知れません。

本当の意味で最初からXTHをはじめるというのは、XTH1を開始したあの時以来でありますね。いやあ、舐めてましたね。昨今のRPGに比べるとXTHは難しいよなんていわれますが、序盤に関してはオリジナルよりもきついんじゃないでしょうか。少なくとも、オリジナル(本当の意味のオリジナルは別だけど)の序盤に関しては、なんとか勝つことは可能というバランスだけど、XTHに関しては勝つことも難しいなんてことがあるからかないません。ええと、初戦はがたがたで敗退。で、次の戦闘では戦士が一人死亡して敗退。その後、呪文禁止域に踏み込んでしまったうえ敵と遭遇して、逃げそこねてまた死亡。レベル1の時点でRIPが2になってしまいました。いやあ、参りますよ。だって、いきなり十体前後の敵と戦わねばならんわけで、しかも奴ら仲間呼びやがりますからね。勝てるかー、と思って逃げようとしたら逃走できないなんていわれて、まあ今回は最初から超術士いれてたからなんとかなったけど(超術呪文Lvl. 1に逃走用呪文があります、最初忘れてた)、けどもし戦戦盗僧魔魔という旧いスタンダードパーティだったら全滅してたかもなあ。

この非常にシビアなバランスが許容されるのは、新たにパーティスキルという要素が加えられているからだと思います。クエストをクリアしたりするとゲージが増えていきましてね、こいつを消費することで超必殺技を繰り出すことができるのですよ。敵全体をぼこぼこに殴るようなスキルとか、あと絶対に逃げられるというスキルとかがあって、もし最初からこのスキルに意識が向いてたら、RIPは0のままだったでしょう。ああもう、悔しいなあ。無駄に死なせてしまった。蘇生できたからいいけどさ、けど年は取らなかったものの生命力は2ポイント減ってるものなあ。私は初期パーティは基本的に出たボーナスポイントでやるように決めてるから、この2ポイントというのも馬鹿にはならないんですよ。だって、BP8とかのキャラクターですからね。正直、序盤から辛いわ。

XTH2において迷宮探索ができるようになるレベルというのは、だいたい3か4くらいでしょうね。ある程度呪文も揃って、レビフェイト(浮遊呪文、これがないと漏電床に踏み込んでダメージうけたりする、っていうかうけたよ、何度も!)が使えるようになって、それからかなあなんて思うんですが、ああ、後マリト(敵複数攻撃呪文)も使えないときつい。これらが揃ってからかなあ。今、私のパーティは戦戦盗僧超魔なんですが、とりあえず複数攻撃呪文を使えるのが目下一人しかいないので、非常に進めにくいです。後衛のうち一人はいずれ司祭に転職する予定ですが、超術士あたりが転職するのかなあなんて思ってますが、まあともあれ今はそれどころじゃありません。

けど、敵と戦って一撃でH.P.の半分くらいをもっていかれたりすると、ああWizardryやってるなという気分になれるからたいしたものです。というか、オリジナルのWizでもそんなにはきつくなかったでしょう。正直XTHはこのへんのバランスきついです。だって、XTH1での話ですが、君主の献身が状態異常やらなんやらではずれると、それだけでパーティ壊滅の危機ですよ。敵の一撃で300とかダメージくらって、ちょっと待て、こっちは一番H.P.高いやつで1200くらいしかないんだ。それこそ、ノーム僧侶あたりがくらったら、一撃で死にかねない。もう、クリティカルヒットがどうこういうレベルじゃないなあと思います、っていうか、今日なんて2000超えたぞ、2000! ほんま、どういうバランスなんだと思います(まあ、Ω種が相手だったからしかたないけど)。

と憤慨したふりしてますが、けれどこういうのがXTHなんだろうなと思います。下手したらころっといくってわかってるから、慎重に慎重を重ねて進撃する。私は今はちまちま初期クエストをこなす日々ですが(っていうかまだ一日しかプレイしてないけど)、敵と戦う可能性のあるクエストは、極力後回しにしますから。その周辺の敵は漫画読みながらでも勝てる、くらいにしとかないとイベント戦ではもちません。で、漫画読んでると通常戦でも死人が出たりするから、気を抜けないんですよね。

久しぶりに一からはじめるXTHは、アイテムの勝手もシステムの勝手も違って、すごく新鮮な気分です。XTH1に関しては、正直もうあらかたいろいろが見えてきてしまってるから、わくわく感が少ないんですね。けどXTH2は知らないこと、わからないことがいっぱいあって、ただ迷宮もぐるだけで高揚するところがあります。この感覚、Wizをやるっていうのはこいつを味わうためなんだろうなあって心底思いますね。

蛇足

XTH2はXTH1に比べていろいろフレンドリーになってて、だってね、こんな序盤で相性開放アイテムが手に入るとは思ってもいませんでした。なので、通常は盗賊に装備させている恋の指輪、レベルアップ時には貸し借りしながら、少しでもH.P.の伸びるようちまちまやってます。序盤レベルでこれというのは、ちょっと反則気味だと思うけど、正直ありがたいですよ。

2007年6月2日土曜日

とめはねっ! — 鈴里高校書道部

 書店平積みにて遭遇、表紙に大筆掲げた娘が元気一杯にかかれた『とめはねっ!』という漫画、その表紙からもタイトルからも書道ものというのが明らかです。そうかあ、再び書道の漫画が出てきたかと、ここで私は『ラブレター』を思い出して切なくなりました。『ラブレター』は、元気な娘と真面目な娘が書道にて切磋琢磨するという漫画で、面白かったし好きだったんですが、人気なかったんでしょうか、結構残念な終わりかたしました。竜頭蛇尾な印象、残念で仕方なかったです。こんな具合に書道漫画には変なトラウマみたいなんがありまして、だから『とめはねっ!』みたときも素直には手に取ることができず、けれど書道というあえて地味な題材に取り組もうとしているところに敬意を表したいと思い、買って、そして読んでみたのでした。

面白かったです。地味だけど、まあそれは題材が題材だから仕方ないとは思うんだけど、けれどこの漫画自体もちょっと地味目の印象。背景を含む全体的に書き込みはあまりされないタイプ、線も最小限まで整理されていて、そのためか画面が非常にすっきりとして感じられます。でもまた逆にこれでもって不安になるんですが、っていうんは、面白いと思って先を楽しみに読んでたら、急に慌てて畳んで終了みたいになったら嫌ですよってこと。いやね、ほんまに打ち切りというのは、作者もきっとそうだと思うんですが、楽しみに読んでいた読者にしてもショックなものなのです。

『とめはねっ!』は、主人公は男の子、だと思ったんですが表紙からしたらこっちの娘か。柔道部期待の新人望月結希がひょんなことから書道に取り組むことになってしまった、というのが基本のところ。字を書くのが苦手で、コンプレックスといってもいいくらいであるのだけれど、持ち前の負けず嫌いも手伝ってか、腰を据えて習字に取り組もうという、そういう意気込みが気持ちいい漫画であります。

そして、もう一人の主人公格、大江縁、ちょっと気弱な一年生男子。筆まめな祖母の字を手本に、カナダにて八年手紙を祖母と交換し続けたという、そういうバックグラウンドが斬新だなと思いまして、というのはこの主人公格二人で綺麗に対比が作られていると思ったものですから。男子と女子、能筆と悪筆、まったくの未経験と小学校で多少経験、そして気弱と強気。弱っちい男子に強気女子が出会って、男子は女子にほのかな憧れを抱いてるんだけど、女子にはそれがちっとも通じないといったような、繊細と大胆という対比も面白いかも。こうした、まったくもって対照的な二人が、対照的な取り組み方で、対照的な字を書いていくという、こういう構図、仕掛けはすごく楽しいと思えるものでした(そういや『ラブレター』も対照的だったな。天然と努力、破天荒と整然)。

書道という地味ながらも深く、面白い芸術の場を舞台に繰り広げられるボーイ・ミーツ・ガールものとして読んでも楽しそうだけれど、第1巻の時点ではそういう雰囲気はまずもって皆無で、だからこれからどうなるのかなというのがまた楽しみなところで、大江縁は自信を持てばきっと堂々とした字を書くのだろうという気がするからまあいいとして、問題は望月結希でしょう。実は私は習字をやっていたからわかるのですが、書くものの中に美しい字のイメージというものが存在しないと、字というのは上達せんのです。まさしくそれが私。手本を前に習ってみても、長年染みついた悪筆の癖、悪いイメージが邪魔をしてうまく書けない。素直に美しい書字に向かってきたものは、それだけですでに有利。つまり、望月は不利からのスタートなのですよ。だから余計に面白いと思うんです。果たして彼女の字をどのように育てるか、彼女がどのように変わるのか、それがすごく興味深くて楽しみなのです。

さて、実は私は今は字を書いていません。諸般の事情で習いにいけなくなったし、それに時間の問題もあってなかなか書けない。今、私がギターに取り組んでる時間をすべて字に注いだら、きっとがらりと違う字を書けるようになるとはわかっているんだけど、それは結局はギターが弾けなくなるという問題を引き起こすわけで、ああひとりの人間に与えられたリソースはなんて少ないんだろうと悲しくなります。でも『とめはねっ!』読んだら、また無性に字を書いてみたくなってきました。けど今度書くなら、自分一人でやるんではなくて、こうしたクラブ活動するみたいにしてできたらどんなにかいいだろう。刺戟にもなれば張り合いもありそうだと、そんな風に思います。

ところで、河合克敏って『帯をギュッとね!』の人なんですね。そうかあ、道理で投げが綺麗なわけだ。というのは置いておいても、こういう情報を知れますと、長く続いて、長く楽しめそうな予感がしますよね。ほんと、これからの展開を心待ちにしたいと思います。

2007年6月1日金曜日

みなむーん — 4komaDX

 書店で見かけたときには思わずエロ漫画かと思ってしまった『まんがみなむーん』。著者はみなづきふたごで、おおっと、この名前には覚えがありますよ。それもそのはず、裏表紙見てみれば、『港湾署デカビタ誌 — 刑事さんの美しき多忙な日誌』と『美味しくごはん』が収録されているとわかります。いや、懐かしい。この漫画、ずいぶん前に芳文社の四コマ誌に連載されていたもので、結構好きで楽しみに読んでいたのですよ。記憶が正しければ、ちょうどこの頃に私は、実話系を除く芳文社の四コマ全誌を買うにいたりまして、病膏肓に入ったという話ではあるんですけど、まあそれくらい私にとって四コマが熱かった時代であるのです。まだ萌え系、DV系は萌芽の時期であって、主力はオールドスタイルから抜け出したかわいい系。『デカビタ誌』は『まんがタイムジャンボ』にて、『美味しくごはん』は『まんがタイムスペシャル』にて、それぞれ連載されていたのですが、今こうして久しぶりに見てみると、これ初期の『きらら』で連載されてたんだぜー、とかいわれたら信じてしまいそうな感じです。そうかあ、『きらら』というと特別な感じがしたものだけど、別に全然地続きなんじゃね。

『港湾署デカビタ誌』は刑事物、刑事ドラマのりなのかな? 私はその方面は疎いのでよくわかりませんが、この当時って『踊る大捜査線』あたりが大ヒットしてたんじゃなかったかな。けど『デカビタ誌』は力いっぱいギャグ漫画です。ちょっとグータラな女刑事朝子が事件解決、犯人逮捕に向け走り回ったり、けどそれ以上に友人にたかったり遊びに興じたりしているシーンの方が多いという、そんな感じの漫画です。けど、そういう不真面目といえば不真面目な朝子と同僚たちのどたばた、読んでいて悪くないんですよね。いい感じに脱力してるからかな。肩の力抜いて、毎日を楽しくいこうやみたいな感じがいいんだと思います。いたずら心を忘れず、なにか仕掛けてにやにやしながら見てるみたいな、けどやるときには全力疾走だぜ。こういうのりが緩急をつけて、飽きさせないのかなと思います。

こうした感じは『美味しくごはん』にもやっぱり感じられて、こちらはタイトルが示すように料理もの。調理師学校の学生たちのどたばたとした日常を愛でる漫画です。主人公はあほ毛がチャームポイントの元気娘金本恵、かと思ってたら、どうも太郎丸健太っぽいなあ。でも、誰が主人公っていうんじゃなくて、金本に健太、そしていつも眠そうな安藤早苗の三人がそれぞれに主人公なんだろうなあと、そういう感じ。で、私この漫画が好きで、例えばタイトルが好き。『美味しくごはん』。すごくストレートで可愛い感じ。登場人物たちも、真面目かどうかといわれると不真面目方向に振れ気味な娘たちなんですが、けどそのグータラ感はすごく好き。金本の感情にあほ毛が揺れる、その表現も好き。なんか楽しくって、ハイっていうのとはちょっと違う、けどテンションが低いわけでもない、そういう穏やかにぎやかなのりが好きだったんだと思います。

でさ、買ってから気付いたんだけど、表紙の娘って金本なんよね。ええーっ、こりゃわかんねえよ、可愛くなりすぎやっちゅうねん。といいますが、実際絵の雰囲気は違ってますよね。各扉に現れる金本をはじめとする娘たちの表現と、表紙の表現はやっぱりしっかり違っていて、時代の趣味の変化かな。確実に時間は流れてるんだなと思う一コマであります。

あ、そうそう。連載時から思ってたんだけど、112ページの扉に現れる安藤。この絵がすごく好きだったりします。ロングコートのポケットに手を突っ込んで、土筆をみている。足もとはブーツ。やっぱり女の子の可愛さは布の量に比例するのだと実感できるイラストレーション、素敵です。