大変珍しい(というほどでもないと思いますが)、習字がテーマの漫画。情熱的で天才肌の成瀬真琴と、沈着冷静で努力家の御前崎薫という二人のヒロインが、切磋琢磨しながら自分自身の書を見付けるストーリー、といえばなんだかものすごく陳腐ですね。いや、けれど見ていただければわかると思うんですが、決して習字一辺倒の漫画ではないんですよ。習字を軸に恋愛も絡めた、ヒロインの葛藤友情もの、といった感じでしょうか。ごつごついろんなところに頭をぶつけながら、むきになって食い下がりながら、自分の可能性を広げる女の子漫画という見方が私は好き。ええ、私はこの漫画、結構好きだったんです。
けどね、ちょっと残念だったのは、途中からラストにかけて失速しているのが目に見えるようで、特に最後の最後、ラストなんかは尻切れトンボみたいな感じがするんです。もしかしたら、この漫画人気がなかったのかも知れません。だから、打ち切りみたいな扱いだったのかも知れません。本来のメインヒロインであったはずの真琴も、結局薫の当て馬みたいになってしまって、元気のあるヒロインも好きな私としてはちょっと消化不良気味でした。いや、正統派ヒロインといった感じの御前崎さんももちろん好きだったので、あの終わらせ方自体には文句はありません。
文句があるとすれば、その展開の見せ方だったのでしょう。失速しているという表現をしましたが、別の言い方をすればすごく雑な感じがしたのです。当初、物語がこれから始まっていこうとするときの膨らませ方とかはすごくうまくて、私はその生き生きとした感覚に魅かれていたのです(そしてその躍動を体現したのは、真琴というキャラクターだったと思うのです)。けれど最終巻あたりではその生命感が失われてしまっていて、なおざりに過ぎる感じがして、序盤から中盤にかけてのノリが好きだった私にはあまりにショックな結末でした。
テーマはしっかりしていたと思います。書を、思いを伝えるためにするか、あるいは文字のもつ意味にとらわれることなくただ字形の美だけを追求するかという対立があって、そしてその劇的対立は文字をすることの本源に立ち返ることにより、誰かになにかを伝えようとする意志として決着するんですね。そこには文字の美があり、しかし文字の力は字形だけではなく、そこに存在する思いにもよるのだという、ああ、だからこそショックでした。もし丁寧にラストの展開が、もっと丁寧に、デリケートに処理されていれば、物語はもっともっとダイナミックに広がって心を打ったろうに、きっともっと面白く心を踊らせる漫画になったはずだろうに。とまあ、そんな風に私は今も惜しんでいます。
この漫画を読んで数年後私は習字を始めるんですが、そして今も続けているんですが、誰かになにかを伝えるために筆をとるということはまずありませんね。なによりまだうまくないということもあるのですが、それよりも唯美的に唯美的に進ませる力が書にはあるんですよ。書字の美は、読める読めないということを超えて、そこに残された痕跡がただ美であるというふうに、いうなれば御前崎薫的姿勢に向かわせるなにかがあるんですね。
これは書に限らず、音楽、文芸、絵画、すべての芸術に見られる傾向で、いわばひとつのロマンティシズムなのですが、それを超えて本質に立ち返るというのは大切なことだなと思います。だからなおさら、『ラブレター』のテーマはひとつの正解であったと思うんですね。
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