2004年12月13日月曜日

吉良上野介を弁護する

 年末恒例といえば歌合戦だったのが、このごろでは格闘技の興行であるようで、実際私も大晦日はどうしようなんて迷います。ところで、暮れにはもう一つ忘れちゃならない興行演目があります。第九? いや、ちゃいます。ヘンデルの『メサイア』でも『くるみ割り人形』(これはチャイコフスキー)でもなくって、もっともっと日本的なもの。そう、『忠臣蔵』ですよ。

四十七士は雪道踏みしめ吉良邸に駆け、一打ち二打ち三流れ、夜陰に響くは山鹿流陣太鼓。とまあ、こんな風に書いてるとあたかも私が『忠臣蔵』を好いてるように見えるかも知れませんが、実は嫌いです。なにが嫌いといっても、吉良の殿様の扱い。もう私は、吉良の殿様がかわいそうでかわいそうでならないのですよ。

いやさ、落ち着いて『忠臣蔵』を見返してみれば、そもそも悪いのは誰かという話なんです。果たしてそれは吉良なのか? いやいや、大体ことの発端はお城の真ん真ん中で白刃振りかざして刃傷に及んだ内匠頭ですよ。だって、今に当てはめて考えてみればこんな具合ですよ。国会議事堂にて党首乱心、他党の党首に突如拳銃発砲。っておいおい、なにがあったか知らんが、いきなり暴力に訴えるとは何事であろうかという話なのです。

実際吉良の殿様は名君として名高い方だったそうで、藩政も安泰、人柄も温厚だったとか。そんな殿様が、内匠頭をいじめていじめていじめ抜いた。イジメかっこわるい! というこのいじめがどうこうというのも今では疑わしいんだそうです。本当にいじめがあったのか、そもそも恨まれるにいたる確執はどうだったのか、丹念に史料を調べると、どうもグレーゾーンに入っていってしまう。いや、むしろ内匠頭の逆恨みなんじゃないかという見方も出てくるんですね。

今やすっかり固まってしまった『忠臣蔵』の構図を、果たして真相はどうだったのかと解き明かすのが『吉良上野介を弁護する』で、まさに吉良の殿様は悪くなかったんじゃないのかい、むしろただただ被害者であったんじゃないのかいという、そうした新しい視点を提供するのが本書なのです。

とはいうものの、この本自体さして新しい本でなし、ましてや吉良の殿様はいい人だったというのはもうずっと前からいわれてることなので、そうした言説を検分する本というほうが正しいでしょう。けれどね、やっぱり世の中は見慣れたものがいいようで、数年前にあった比較的史実にそった『忠臣蔵』は、らしくないといって人気がなかった。

そんなわけで、やっぱり今も吉良の殿様は悪者にされてしまってるんですね。

覚えもないのにいきなり切りつけられたかと思えば、翌年暮れには逆恨みの浪士に押し込まれた上、殺害されるんですよ。あまりに哀れ、踏んだり蹴ったり泣きっ面に蜂の吉良の殿様、今ではすっかり悪者卑怯者みたいにいわれて、だから私はいうんです。

吉良の殿様は可哀相だ、吉良の殿様はかわいそうだというんです。

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