私たちが当然のものとして享受している文明は、いうまでもなくヨーロッパを源流とするものでありまして、ある意味絶対的な価値を持つものであると、そんな顔をして威張っています。けど、果たしてこの文明ってやつは、本当にどこから見ても素晴らしく無欠なものであるといえるのか。そういう疑念を、文明のただ中に暮らしている私たちに思い起こさせる可能性を持つのがこの本『パパラギ』です。
パパラギ? パパラギというのはサモアの言葉で白人のことです。サモア諸島はウポル島、ティアベア村の酋長ツイアビが、二十世紀初頭のヨーロッパを見聞し語ったとされる話を、ドイツ人エーリッヒ・ショイルマンが編集して発行した。それがこの『パパラギ』という書物で、その新鮮な視点、言説は大いに注目を集め、世界的なベストセラーとなりました。
私たちが享受している文明は、なにしろグローバリゼーションの風に乗って、地球規模に広がろうとするほどに強大で、その広がり方を見れば、ある種の普遍性があるようにさえ感じてしまいます。けれど、その西洋文明の思想というものはこれまで何度も問い直しをされてきて、例えば六七十年代に世界に吹き荒れた禅ムーブメントもそうした問い直しの一環でした。
だとすれば、1920年にドイツで発刊された『パパラギ』も、そうした問い直しの試みだったのでしょう。けれどそうして何度も問い直しながらも、私たちは根本的な変革を迎えることができていないんですね。それは私の生活を見直してみても明らかです。
ツイアビ酋長は「パパラギにはひまがない」というおっしゃる。ああ、そういえばこの数年の私の口癖は時間がないでした。やりたいことはいっぱいあるのに、時間がないからできないというんですね。足りないのは一日の時間だけではなく、人生に残された時間の総量でさえ足りないというにいたっては、これはもう狂気に近いものを感じさせます。けれどツイアビ酋長によれば、日の出から日の入りまで、ひとりの人間には使いきれないほどたくさんの時間がある
。ああ、確かにそうかも知れません、私には使い切れないほど時間があるのに、ただそれを見失ってしまったのかも知れません。
ツイアビ酋長は「たくさんの物がパパラギを貧しくしている」とおっしゃる。ああ、確かに私はたくさんのものに囲まれて、けれど魂を貧しくしている、魂の自由を失っています。
十二世紀のスコラ哲学者サン・ヴィクトールのフーゴーは、全世界が流謫の地であると思う人は完全な人である
といい、その人は世界への愛を消し去った
からだと説明します。その対局にあるのは祖国が甘美であると思う人
、彼は世界に愛を固定し
ており、いまだ繊弱な人にすぎない
。そう、ものに愛を固定する私は、繊弱な人なのです。たくさんのものを手にして、けれど本当に欲しいものは手にすることなく、その空虚にあえぐのが私なのです。捨てろ、捨てちまえという声を聞きながら、その最初の一歩を踏み出すことができずにいる。まさにものの奴隷であるのが私なのです。
ツイアビ酋長は「考えるという重い病気」についておっしゃる。ああ、じゃあ私はまさにその病気で、その上かなりの重症だ。私はいらんことばかり考えて、知識ばかり集めることに一生懸命になって、本当に大切な、目の前にあるものを見ようとはしなかった。そのために、本当の大切なものを、みすみす指の間からこぼすようにして失ってきたのですね。そして、それを今また手に取ろうとして、けれどまた考えすぎるばかりに手を伸ばすことができないでいる。これはもう、思考という病気に冒され、本当の判断ができていないということなのではないでしょうか。
ツイアビ酋長がパパラギの文明について下した判断は、もはや代替不能とも思える私たちの文明も、様々な生き方のスタイルのひとつにすぎないと気付かせてくれる警句です。けれど、山本夏彦翁もおっしゃるよう、もはや私たちはなかった昔には戻れないのですから、こうした様々な面倒やまやかしについて、すべてを引き受けた上で新しいアプローチをとるほかないのでしょう。
つまりは、私に関しては、自分の理想を現実のものとするよう、一歩目を踏み出さないといけない。それがすべての始まりであると思うんですね。それは、私にとって、意味のある一歩になるはずなんですね。
- 『パパラギ — はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』エーリッヒ・ショイルマン編,岡崎照男訳 東京:立風書房,1981年。
- 『絵本 パパラギ — はじめて文明を見た南の島の酋長ツイアビが話したこと』エーリッヒ・ショイルマン編,岡崎照男訳,和田誠 東京:立風書房,2002年。
引用
- 『パパラギ — はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』エーリッヒ・ショイルマン編,岡崎照男訳 (東京:立風書房,1981年),66頁。
- サン=ヴィクトルのフーゴー「ディダスカリコン(学習論)」,上智大学中世思想研究所編訳『中世思想原典集成』第9巻 (東京:平凡社,1996年)所収【,104頁】。
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