2004年12月1日水曜日

自殺について

 ショーペンハウアーの『自殺について』は、そのタイトルの直截さが興味をそそるからなのか、結構読まれているみたいですね。実際本も薄くて読みやすそうだし、ショーペンハウアーという名前もなんだか聞いたことがあってすごそうだ。けど私がこの本を買った理由は本当に馬鹿馬鹿しくて、岩波文庫で一番安かったから、というものなんですね。総ページ数107ページ、価格は260円(本体252円)。他にも薄い本といえば、有島武郎『一房の葡萄』が114ページで360円。夏目漱石『硝子戸の中』が138ページもあるのに300円。価格でいえば『自殺について』がぶっちぎりです。

限られた予算でいろいろ読みたいという時代があったんですね。まあ、買っただけで読んでないというのも多いので、結局無駄にしてることはいうまでもないんですが。

一時期、ポケットにこの本とモリエールの『人間ぎらい』が一緒に入っていたことがあって、別になにか精神的にどうこうということもなくただ単なる偶然であったのですが、もし今事故に合いでもしたら無理矢理自殺にされてしまうといって、笑っていたことがありました。そもそも『人間ぎらい』は喜劇であるし、ちゃんと中身まで斟酌してもらえれば自殺なんてとんでもないとわかってもらえそうなものですが、えてして世の中というのは表層的なところでもって判断しがちです。

『自殺について』は、ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』への『付録と補遺』から抜き出された小論なのですが、岩波の表紙によるとその『付録と補遺』というのは主著以上に愛読されたとのこと。私もその例にもれず、というかそれ以上に悪く、なにしろ主著を読んでいません。だって長いし高いし、とこういう読者はきっとたくさんいらっしゃることでしょう。

主著を知らない私にとっては、こうした小論の断片がショーペンハウアーのすべてでありまして、けれどこうした部分だけ見ても、この人は食えない人であったということがわかります。ひねくれてるしさ、それになんだかえらそうです。そういう時代だったのかも知れませんが、なににしても大げささが目に付いて、まあこれは翻訳のせいもあるかも知れません。けれどいっていること自体は確かにその通りでなんですね。ああ、ああ、そうかも知れないねえとうなずいて読める(まあ翻訳がごりごりの岩波文だから、あれなんですが)。結構私たちも実感してるようなことが書かれているわけです。

この本が私に与えた見識といえば以下のようなものでしょうか。曰く、人生はそも虚しい。曰く、苦痛はそれを思えば思う程より苦痛になる。曰く、自殺は悪夢が自ら夢を覚まさせるが如し、苦痛に満ちた生が自ら生をうちやぶってどこかおかしいことがあるだろうか。特に最後の自殺に関する考え方は、私にとって大きなものとなっています。

苦痛があまりにも続いて、どうしようも逃げられないとなったときの最後の逃走手段は自殺なんだと思ったのです。けれどこれはちょっとした逆説で、苦痛というのはそれをとめる手段がわかっていると、つまり限界点というのが見えると、まだもうちょっとがんばろうという気持ちになれるもなんです。ほら、仕事が嫌で嫌でしようがない時とかに、ああもうやめようとか、いつでもやめてやるとか、そういう気持ちになるとなんとか我慢できたりする。人生についてもそんな感じなんだと思うんです。もうどうにも駄目でしようがないと思ったら、その時は死んでしまったらいいと考える。自分はこんな風に考えるようになって、けれど実際に自殺に踏み切ることはなさそうです。

けれど、世の中にはがんばろうがんばろうとする人が多いから、苦痛の臨界点を超えて死んじゃうんだと思うんです。堪え難い苦痛から逃げる手段は、自殺の他にもたくさんあるはずなんです。大抵死ななくっても、なんとか苦痛を和らげる方法というのもあるはずなんです。なのに、そうした方法を逃げとかいって許さない社会がある。がんばれがんばれと煽るだけ煽って、落後者に目を向けない社会がある。私はそれを憎んでいます。

もっと世の中に、やめるチャンスというのがたくさんあって、また、再チャレンジできるチャンスもあったならば、死なずに済んだ人は多いはずなんです。ですが、どうもままならないのが世の中でありまして、だからせめて、いやんなったらいつでも死ねるんだくらいの軽い気持ちで、この思いをお守りみたいにして、最後の一線だけは踏み出さないですむようにして欲しいというのが私のお願いです。

  • ショウペンハウエル,アルトゥール『自殺について 他四篇』斎藤信治訳 (岩波文庫) 東京:岩波書店,1979年。
  • ショーペンハウエル,アルトゥール『自殺について』石井立訳 (角川文庫 — 名著コレクション) 東京:角川書店,1984年。

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