2004年12月14日火曜日

本が好き、悪口言うのはもっと好き

 この本は、大学で先生に勧められて読みました。一読してもう大ファンになってしまって、高島さんの本は見付け次第買ってるつもりなんですが、それでも半分も読んでないというのは悲しいですね。ああ、読むべきものはいくらでもあるんです。ただそれに出会えないというのが縁とかなんとかいうものなんでしょう。

この本、なんといってもタイトルが振るっています。本が好きはいいですが、それに続くのが悪口と来ますからね。なんだかいたずらっぽいですよね。そして、私、こういう名前の付け方、大好きなんですよ。

この本の面白いのは、タイトルだけではありません。中身もなかなか、一癖も二癖もあって実に面白いんです。おかしみがあって、けれど内容を見ればちゃんと真面目。けど真面目というのは堅物という意味ではなくって、私なんかは見習わなければいけませんね。軽妙な文体が真面目を真面目一辺倒にせず、中身の充実と面白さを両立させるんです。ときには茶化したりもするのに、それが全然無駄だとか感じない。ああ、こういう本に出会うと私は本当に嬉しくなります。わくわくしながら読みます。それで、こんな風に書けるようになりたいものだなあと思うんですが、まあそうは問屋が卸さない。私の書くのなんて、見た目を真面目に装っただけのがらんどうです。あんこをけちったもなかみたいなもんですな。

高島俊男は中国文学が専門で、加えていろいろ鋭い人だから、読むと自分のいい加減さがはっきりして恥ずかしい。だって、すごく簡単に理路整然と説明されているんですよ。私にはその簡単、当たり前ができていない。おかしい、疑問だといいながら、その根っこを見付け出してはいない。言葉だ文字だ、あれじゃこれじゃと大上段に振りかぶって見せておいて、あちらこちらに隙だらけなのですよ。いや、もう恥じます恥じます、— 恥じますが、この恥を超えて面白さの方が大きいのだからたまりません。

高島さんの本には知る面白さがあります、わかることへの快があります、すっきりとものを考える筋道がたって明るくなります。いいことばっかりじゃありませんか。ええ、いいことばっかりなんです。少なくとも私にとっては、はずせない一冊ですね。

蛇足:

この本に、アメリカで起こったハロウィンの留学生射殺事件について書かれていまして、1992年の事件とのこと。もう十二年経ってるんですね(時のすぎる速さにびっくりです)。この事件に対する高島氏のコメントは、「人の誠意はどこででも通じる」と[……]言う人がある。[……]しかし通じないこともあるというものでした。そういうことのあることを忘れてはいけないという主旨で述べられています。

しかし、今や2004年二十一世紀を迎えてこの国は、外国のみならず国内においてすら人の誠意の通じないところまで落ちてしまったんですね。海外の地で苦境にある人たちをつかまえて、わざわざ石を投げようとする人がいっぱいいる、そんなところまで来てしまっているんですね。

私はこのことをもって、ただひたすら憂えます。日本はもう本当に人でなしの国になってしまったんでしょうか。

引用

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