先日、偶然その発売されることを知ったDVD、『CLOVER』を発送しましたよというメールが昨日入って、私は今日が楽しみでなりませんでした。帰ってくれば確かに到着していて、最近の物流はすごいなあ、じゃなくて、数年を待ってようやく『CLOVER』を見られるということがどんなに嬉しいことであるか。以前にもいいましたが、この映像は劇場公開された『カードキャプターさくら』の併映作でした。時間にして五分程度のショートショートムービーで、これはパッケージ化されないんじゃないかという心配があったので、目に、脳裏に焼き付けるような思いで見たものでした。けれど、それでも結構忘れているものなのですね。私が見て覚えていたつもりだったものと、今日届いたDVDの映像は食い違いを見せて、それはおそらく、私の漫画『CLOVER』に対する思いが映像を増幅させてしまっていたということなのでしょう。
私の記憶にある『CLOVER』はもっと濃密な印象があって、いやDVDに見た映像が散漫だといいたいわけじゃありません。そもそも五分というストーリーを展開するにはあまりに短すぎる時間で、原作のすべてを語るには無理があります。だから、原作のビジュアルが持つ印象を駆使し、エッセンスをうまく取り出して、物語るのではなく見せることに徹した。そしてそれは成功していると思います。その思いは今でも変わらず同じで、けれど私の中では、あの遊園地のシーンが知らない間に肥大していて、あの伸ばされた手の触れようとするシーン、そしてスウの和彦の名を呼びかける場面、すごく印象に残っている。そしてその印象の強烈さというのは、私の原作に入れ込んだ分だけ深まったんだと思うんですね。
今、私は『CLOVER』原作からは離れて、その筋も、雰囲気もおぼろげながらにしか思い出せません。悲しいけれど、七年の歳月というのはそういうことなんだろうなと思います。単行本は大切に保管していて、あの本の塔の立ち並ぶ部屋、どこにあるかすぐにわかる。いつでも読める。けど、大切に思ってるからいつでも読みたくはない。そんな感じで、特別に保管されているといっていい漫画です。
だけど記憶が薄れて、だから映像の持つ象徴性やなにかが伝わりづらく、なんかダイジェストみたい、あるいは映画の予告編みたいという風に感じられて、私にはそれがショックでした。思い出します。当時一緒に劇場にいった友人二人が、『CLOVER』には笑いそうになってしまったなんて不謹慎なこといいましてね、なにいってやがるんだ、素晴らしかったじゃないか、って私一人抗弁していたんですが、やっぱり原作読んでないと、原作にはまってないと伝わらんのだと思いました。あの時、劇場で、どれくらいの人が『CLOVER』に感情移入できたろう。もしかしたら、あの劇場、あの公開で感動していたのは私一人だったかも知れない。けれど、それでも私はよかったと思う。周囲とは隔絶していたとしても、私はあの映像に繋がることができたのだと思えれば、そうした孤独感はすべて帳消し。あるいは、そうした孤独感を共有できること自体が、この映像のファンとして特権的であるのかも知れません。
映像を見て、二度見て、その雰囲気にやっぱりいいなと思いながら、私は近々再び原作を読むだろうと予想します。実をいうと、スウのデザインに関しては、原作の方がずっと好きなのです。そして原作を読み、浸ってみて、もう一度映像に戻ってくるだろうと、そういう予感がしています。
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