2007年5月10日木曜日

七時間目のUFO研究

 kikulogに掲載された紹介をきっかけに読み進めてきた、藤野恵美の七時間目シリーズ。本日、その最新刊である『七時間目のUFO研究』を読み終えました。これまで怪談占いを取り扱ってきた七時間目シリーズは、三作目にしてUFOという少し毛色の違った題材を取り上げて、ともない主人公も少年に変更されるなど、ずいぶんとその雰囲気を違えました。とはいっても、その根底にある態度は変わっていません。私たちがときに憧れ、ときに怖れる不思議、怪異の類いに向けられるのは懐疑の視線です。いや、懐疑とは頭から信じないということではないのです。懐疑とは、その字句が示すように、疑いを持つということ。それは果たして本当なのだろうかと、興味をともに検証を試みようという態度のことです。信じる信じないという極端に走るのではなく、その中間に立ち、信じるべきか信じぬべきか、自らそのものに相対してはかり、決めようとする姿勢を懐疑的というのであると思っています。

そして、この本はその懐疑的ということを、おそらくはこれまでの二作よりももっとも濃厚に打ち出しています。それは安心できる思考停止と苦しみを伴う懐疑的態度の対比というかたちで描かれて、正直、ちょっと苦いですね。主人公は少年。私はてっきり、元気で活発であるとか、そういった少年像が描かれるものと思っていたのですが、主人公のあきらは思った以上に内省的でナイーブで、けれど少年は自らに問いかけながら、自身のよりどころを見つけ出そうともがいて、ついにその立つ位置を自分自身の中に見つけ出す。『占い入門』が少女が他者との関係性の中に自分の位置を見出す物語とすれば、『UFO研究』は少年が自己の内面に分け入り自らの寄って立つ足場を築くまでの物語であったといえるように思います。こうした物語の常とはいえど、少年の勝ち取った新たな自身のありようは多少の苦味もともなって、それはすなわち少年期は終わりを告げ青年になろうとしているということなんだろうなあと思ったのですが、少年期における(精神的)親殺しという古典的なテーマを踏襲するにあたり、乗り越えられるべき対象が父親ではないというところが現代なのかも知れないなと思ったりもしたのでした。まあこの現代は、私自身をも含んでいることはいうまでもありません。

しかし、今度の物語はテンポがすごかった。ペットボトルロケットを打ち上げているときに、不思議な飛行体を目撃する。この事件を発端に、あれよあれよと物語は進んでいくのですが、そのテンポのはやさに私もついつい釣り込まれて、常にはない速度で読み終えてしまったのでした。多少詰め込み気味であったかも知れません。表のテーマであるUFOとその周辺について、UFOという現象を懐疑するだけでは足りないと見たか、利益のためには真実も曲げる諸力のあることや、与えられた答えに疑いもなく群がる思考停止した群衆についても触れるなど、意外と思えるほどのストレートさでもって昨今の社会状況に批判的な目を向けています。正直私はここに拙速を感じたのですが、これは今私たちの置かれている状況に対する著者の危機感の現れなのでしょうか。巧遅は拙速に如かずといいます。今このタイミングでこの本が書店の新刊の棚にあるのは、子供たちにとっては重要なことであるかも知れません。そしておそらくは、私たち大人にとっても同じではないかと思います。

ともあれ(こっから蛇足)、私はこの本読んで、ちょっと反省した。自立するでもなくぶらぶらしてる自分を見てさ、高等遊民と揶揄されながらも開き直っている自分を見てさ、はっきりいってあきらくんに後れを取ってるものなあ。正直、恥じるよな。

というわけで、私はまずあきらくんに追いつくところからはじめたいと思います。

  • 藤野恵美『七時間目のUFO研究』HACCAN絵 (講談社青い鳥文庫) 東京:講談社,2007年。

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