2007年5月5日土曜日

トニーたけざきのガンダム漫画

  書店にて遭遇した赤い彗星が表紙の漫画本。シャアのパーソナルカラーを基調色とした表紙に、線画のシャア・アズナブル。ぱっと見には安彦良和絵かと思われたのですが、ところがなんだかちょっと違う。タイトルにはトニーたけざきという名前があり、もちろん著者もその人、トニーたけざき。なんかパロディみたいですね。で、買おうかなどうかなと迷って、そして結局買った。読んだ。面白かった。極め付けに面白くて、それから数日は同年代のガンダム好きにお勧めしてまわって、それくらい面白かったんですね。

この漫画のなにがよかったかといったら、それはガンダムというアニメへの愛でありましょう。ガンダムという素材が縦横無尽自由自在に料理され、やり過ぎ一歩手前あるいはボーダーを越えるくらいにまで踏み込んでパロディされているというのに、それが嫌みもなく笑えてしまうというのは、作者がガンダムの世界にどっぷりとはまって、そのもろもろをしっかりと吸収咀嚼しているというのが実感として伝わってくるからなんだと思うのです。読者はガンダムを共通体験として共有して、台詞の断片であるとか、あるいはかつて思ったかも知れない突っ込みどころやなにかを心中に抱き込んでいるから、トニーたけざきのパロディのいろいろが直撃するように感じられて、面白い。こんな解釈もありか、ああこれは自分も思ったことあるわ。ここまで共感というか、友達同士で馬鹿話してるみたいな感覚の得られるパロディは、また珍しいのではないかと思います。

さて、私はこの漫画は最初のシャア表紙だけで完結なんだろうかなんて思っていたのですが、実はその後も続いていたみたいなんですね。それが『トニーたけざきのガンダム漫画 II』。書店にておでん缶を手にするアムロ表紙を見付けたときには、一も二もなく手に取って、買って、読んで、度肝抜かれた。漫画としては、正直なところシャア表紙の方が好みだったんです。セーラさんのGブルに向ける愛の深さや、ハヤトとガンタンクの愛憎であるとか、こういうのがとにかく好きだった私には、ちょっとアムロ表紙の方は物足りなく感じられる。いや、違いますね。物足りないのは漫画としての面白さ。はっきりいって見どころが違うのです。

ガンダム世代はプラモデルも好き。ガンプラが社会現象になったのをお覚えでしょうか。入荷日にはおもちゃ屋に行列をなして買い、作り、汚し、飾り、自分なりのガンダム世界を醸成していった、そうしたいろいろが一挙に浮かび上がってきて、胸が詰まったかのような思いでした。すごい! まさにその一言。今や至高の域にまで達したガンダムのプラモデル。それらを惜しげもなく大量投入し作り上げられる、リアル志向のジオラマ漫画ですよ。うわあ、よくこんなの作ったなあ。モビルスーツのみならずジオン兵まで作り込まれて、いやがうえにも高まる臨場感。そこへ投入されるのは、我らが超兵器ガンダムっていうんだから、また度肝を抜かれました。

よく残ってたなあ。いや、なにがかといいますと、クローバーから出ていたガンダムのダイカストモデルですよ。時はスーパーロボット時代。兵器として描かれるガンダムとは一線を画した、合体変形ロケットパンチのおもちゃが存在していたんですよ。それがリアル志向のザクの前に現れて大暴れさ。

こんな感じにリアル志向と非現実的おふざけが共存するところにこの人の真骨頂はあるのかもなと思いましてね、だって大量に押し寄せるザク、ザク、ザクの群れ。擬装を施し埋伏していたザクが現れるところなんかは、嫌になるほど格好いいっていうのに、その後の展開はなんですか。馬鹿馬鹿しい。けど、普通なら思いついても手間のかかりすぎるこうしたことは実行しないんです。それをこの人は十全にこなして見せて、だから馬鹿馬鹿しさが極まって感動作になった。いや、ほんと、これは名作ですって。ちょっと他には類を見ない素晴らしさが、この一冊には結実しています。いや、二冊か。

味わいを変えて展開する、トニーたけざきのガンダム世界。三冊目が出るなら、きっと私は買いますね。というか、きっと買うから、三冊目も出してください。想像だにもしなかった、素晴らしいガンダム世界をかたちにしてくださることを期待して、また数年を待ちたいと思います。

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