2007年6月11日月曜日

まい・ほーむ

  あれほどむんこについてはいろいろ書き散らしているにも関わらず、『まい・ほーむ』に関しては口を閉ざしてノーコメントを貫いていたのは、あの親父さんがどうにも好きになれなかったからだと思うんです。『まい・ほーむ』。父一人子一人で頑張る堀川さんちの暮らしの風景が四コマにてつづられた、ちょいギャグ、けれど実際はほのぼのもの、 — と思うんですが、なんかね、読んでると苦労してるのは娘の舞だけかよみたいな気がしてきましてね、まあ、親父さんが子供なんですわ。この、子供という表現ですが、文字通り子供。お前、小学生かよ、ってなのりを家でも会社でもやってて、正直感情移入のしにくさはむんこ漫画における筆頭格であり、というか読んでていらっとくることもしばしばで、だからきっと書けばぼろくそになるだろうと思って黙殺したのです。けど、1巻読んで2巻も読んで、どんなに駄目な大人でも、舞にはこの親父さんじゃないと駄目なんかなと思うところもあって、こと日常を離れて二人でやんちゃに過ごすような話なんかを読むと、それまで親父さんに感じていた不快感なんてのは吹き飛んでしまうような楽しさがあって、そうかあ、こういう関係はあってもいいのかも知れないなと思うところもあるのでした。

けど、一体なにが駄目だったというんでしょう。駄目社会人を主人公(格)に据える漫画は、こと四コマに関しては枚挙にいとまのないほどにたくさんあるというのに(というか、植田まさしの漫画は大抵そんな感じだわね、『かりあげくん』とかさ)、また駄目親父に手を焼きながらたくましく生きる少女の物語というと『じゃりン子チエ』あたりが思い出されますが、これに関しては劇場版のLD買うくらいに好きだというのに、じゃあ『まい・ほーむ』の親父が受け入れられなかったのはなぜか。というと、それはキャラクターなんだと思うんです。当初、この親父はあんまりに浅すぎたように思います。まんま子供。親らしい必要なんてのはさらさらないとはいってもさ、甚だしすぎたのだと思うんです。どこまでいっても悪ふざけ、まともの範疇に入らないのはいうまでもないことで、かといって規範や常識を打ち破れるようなパワーがあるわけでもない。ただ迷惑なだけのアダルトチルドレン親父 — 。

と思ったら、本当にアダルトチルドレンだったというのは参ったな。こういうので免責というのはちょっと勘弁して欲しい。

けれど、最前にも少しいいましたけれど、舞にはこの親父があってるんだということが描かれているから、こうした駄目な大人だけれども、許容され得る部分も出てくるんだと思うんです。舞はむやみにしっかりしている小学生だけれど、子供らしさがないというわけでもなく、むしろ子供っぽいやんちゃや悪ふざけも嫌いじゃないという、そういうキャラクターなんです。だから舞は、時に親父に手を焼きつつも、けれど同じ目線でもって向き合って、対等な関係でもって遊んでいる。2巻収録の自転車の話なんてのはその典型でしょう。金がない。じゃあ、自転車でいこうやという適当なのりで遠出する、それだけの話なんですが、それがむやみやたらと面白い。親父も舞も生き生きとして見えて、普段はこうしたのは生活感あふれる四コマの中に数本紛れてくるといったところが、がつんとまとめてやってきて、そうかあこの親父は親父と思っちゃ駄目なんだと思った。舞の相棒なんだと、そう思ったらそれまでのもやもやみたいのがぱっと晴れて、がぜん面白さが増したのでした。

ただね、この作者の癖だと思うのですが、妙にいい話にしようとしたり、妙にシリアスにしようとしたりするところがあって、あんまりにそういう面が出てくると私はちょっと居心地悪くなってしまうたちなんですが、幸い『まい・ほーむ』はそういう方面薄味で、 — と思ったらちょっとずつ出てきてますね。でも、どうも後書き見ると次巻で完結の予定だそうです。となれば、あんまり人情味だとかなんだとか押し出すことなく、舞と親父の快活おふざけ生活メインのままに終わるのではないかと予想されて、これ正直いい引き際だと思います。仮にその向こうに暗さ、悲しさ、辛さがあるのだとしても、『まい・ほーむ』に関しては、掛け値なしの明るさ、楽しさ、元気さで、底抜けに楽しくいってほしいものだと思います。

  • むんこ『まい・ほーむ』第1巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2005年。
  • むんこ『まい・ほーむ』第2巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2007年。
  • 以下続刊

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