2007年6月30日土曜日

五日性滅亡シンドローム

 実のところ申しますと、最初この漫画買うつもりはなかったのです。『五日性滅亡シンドローム』。後五日で世界が滅びるという、そういう常軌を逸したシチュエーション。けれどその滅亡というのがどうにも現実味がなくてですね、実際漫画中でもあやふやな噂レベルのものとして描写されているんですが、だったらなんでそんな程度の噂であれだけ右往左往する……? とにかくなんかつかみどころのない、正直なところいいますと、微妙よね。単行本出るとは思ってなかった。出てもきっぱり買う気はなかった。というのになんで買ってしまったのかというと、それはギミックといっていいのかな、漫画自体がというよりも、漫画を取り巻くもろもろも含めて、なんかおさえておいてもいいかなあと思うようなところがあって、半ば衝動的にレジに運んでしまったのでした。

一体なにが私に働き掛けたのかといいますと、口絵だったんですね。まんがタイムKRコミックスでは、冒頭にカラーページが書き下ろされるのが通例となっているのですが、『五日性滅亡シンドローム』はここに漫画をでなく、イラストレーションをおいたのですよ。イラストレーションには状況そして台詞が添えられていて、作者も後書きにていっているのですが、ライトノベルっぽい感じですよね。で、なんでこれで買うつもりになったのかというと、不思議ですよね、なんというかそういうライトノベル的世界観ってのに興味持ったというか、あるいは — 。

小松左京の『日本沈没』の映画リメイクされました。残念ながら私はどちらの映画も見たことはないのですが、以前、ちょっと興味深いレビューを読みまして、それはどんなかといいますと、旧作においては日本国民をいかにして救うことができるかという社会規模での視点があった、そのように主人公は動いていたのに、新作はというとヒロインしか眼中になかったというのですね。日本の国土が失われるという事態に直面して、そうなると日本という国は壊滅だろう、するとそこに住んで暮らしていた私たちはどうなる、脱出がなったとしても、国を失った我々の明日はどうなる、本来『日本沈没』という小説はそういうものをテーマとしていると思っていたんですが、新作映画においてはそういったものは遥か後景に押しやられて、主人公とヒロインの恋愛がクローズアップされるばかり、国家消滅の危機に際してもっとも重要であるのは、国や国民といった約束事ではなく、自分自身の内面にほかならなかったのだ、といった話。

『五日性滅亡シンドローム』は、あるいはライトノベル的とはっていってもいいのかな、その自分自身の内面というのが最大の興味対象であるのだと思います。後五日で世界が滅びる、しかしそういわれてもあまりに希薄なリアリティ。それは当然で、そうした噂に対応しているのは、あくまでも生徒たちに限局されて、まあ多少は周辺のことも描かれるのですが、それは結局は主人公たちが状況を捉えるためのエクスキューズみたいなもの、社会というものを捉えようとする視点がないのにリアリティが生まれるはずもありません。でも、それは最初から求められていないんです。世界が滅びるという噂があって、それを少なくない人が信じています。それだけで充分なのですよ。これだけの約束をベースにして、主人公周辺のもろもろを描ければそれでいい。むしろ、社会状況はどうだこうだいうようなリアリティは邪魔なんだといわんばかりです。

そして、このただでさえ希薄なリアリティはセカンド・シーズンに入ってなお希薄になって、セカンド・シーズンにおける滅亡の根拠なんかも語られるんですが、そうしたの見るかぎり、リアリティのなんのっていうのは端から拒否していることが明らかで、さらにいえば物語ることさえを必要としていません。だからこれはSFでもなければファンタジーでもない。世界は語られるまでもなくあらかじめ失われており、じゃあここにあるのはなにかといえば、主人公周辺の内面のささやかな反響、揺れ動きだけ。故にこれらはセカイ系と呼ばれるのかも、とかなんとか思うところもあったから、ひとつの例として手もとに置こうかなと思ったのでした。

なんかネガティブな文章になったけど、決して嫌いな漫画じゃないですよ。嫌いな漫画だったら、買う買わない以前に黙殺です。けど、おすすめの漫画ではないです。少なくとも、私と同じくらいの年代の人にはすすめられない漫画、っていうのは、私たちの年代っていうのは、まだどこか物語というものを求めているところがあるからで、きっとこの漫画では満足しないと思います。私にしても、これが四コマでなかったら黙殺したろうと思います。

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