

妹ブームが去って姉ブーム到来か — 、そう思っていた頃に始まったのが『あねちっくセンセーション』でした。姉にして先生だから、あねちっくセンセーション。ちょっと駄洒落。けど、この漫画が面白かった。主人公は弟の春人、おたくにして忍者? 正直よくわからない設定でありますが、それ以上にわからないのが姉のさくらで、姉戦士? もう、まったくわからないのですが、このふたりが毎回常識外れの姉弟げんかを繰り広げる。時に真っ向から対立し、時に共闘し、そしてなんでかほのぼのとすることもあって、いや、意外と姉弟愛感じさせる話の方が多かったようにも思います。闘うときには人間離れしたふたりだけど、それはそれで仲の良い姉弟であったのだと思います。そして、そんなふたりの物語は3巻で決着を見せて、ええ、最後には驚かされました。ええーっ、そんな展開有りなの!? むしろそれ蛇足っぽくない!? と驚きを持って受け止めたのですが、けれどそれでも面白かった、よかったと思えるラストでした。
春人とさくらの姉弟、そのふたりだけで展開された話ではありませんでした。他にもう二組姉弟があって、そしてクラスメイト、学校の仲間があって、時には対立する人もいたし、かき回されたりすることもあったのだけど、皆なんのかんのいって仲よさそうと思えるところが好きでした。少なくとも回を重ね、ラストに近づくにつれて、そう思える話はぐんと増えていって、ただ表に現れる関係だけじゃない深いところが感じ取れる様になっていって、それは本当に読みごたえがありました。
本当に、ラストに向けての流れはよかったのですよ。悪乗りといってもいいくらいのどたばた劇、過剰で大げさな戦いや思わせぶりでそしてちょっと深刻な悩みなどを描きながら、ひとりひとりの心残りを丁寧に解きほぐし、洗い流していく、その毎回のしめにほろりとなることも度々でした。やりきった、認めてもらえた、そうしたシーンを見るごとに、この漫画は学園ものでもあったのだなと再認識させられて、努力と成長、燃焼する青春、いいようはいくらでもあると思いますが、その描きようの確かさに、ほほ笑ましくも思い、そして振り返ってみてもいい話であったよなと思ったのでした。
だからこそ、卒業式の、ここという山に突如持ち込まれた、驚きの展開には面食らって、だって、それまで単発のネタとしか思ってなかったものがまさかの本設定昇格、ええーっ、あれってそういう伏線だったんだ! しかし、せっかくいい話だったのに! ここでこんな展開おっぱじめて、一体全体どうするんだと思っていたら、けれどそれもまた悪くないしめ方をされて、ああ、そうか、卒業式までの数回は先生としての物語の結末であったけれど、このラストは姉としての物語の決着だったのだなと、理解したのでした。
『あねちっくセンセーション』が第3巻で完結して、さみしくないといえば嘘になる、好きで、楽しみにしていた漫画でしたからね、派手で、面白かったし。けれどこうして綺麗に終わりを迎えたことの方が、なんだかずっと嬉しくて、ああ、楽しい時間でした、ありがとうございましたと素直にいえる、そんな気持ちになっています。
そして最後に一言。やっぱり、栗林撫子、彼女はとっても素敵だったと思います。だから、春人さんはがんばられますよう。このふたりの、進むようで進まんようで、進まんようで結局進んだ? そんな関係がほのぼのとしてもどかしくて、好きでした。
- 吉谷やしよ『あねちっくセンセーション』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
- 吉谷やしよ『あねちっくセンセーション』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
- 吉谷やしよ『あねちっくセンセーション』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。

「まんがタイムKRコミックス」は、もともとの四コマ漫画のラインがあって、そこに『まんがタイムきららフォワード』に連載されるコマ割り漫画のラインが増えて、そして今月から『
『
昔、声優やアニメが好きだった友人は、深夜ラジオを楽しみにして聴いていて、遠くの地域の放送をノイズの中から拾い、また録音したものをポータブルプレイヤーで持ち運んでは聞いていました。私も声優やアニメは嫌いでなかった、どころか好きな口だったのですが、なぜかラジオには興味がなくて、高校、大学に通っていた頃、ラジオを聴いたという記憶はほとんどありません。こんな私ですから、『ラジオでGO!』の第一話を見た時に、自分にはあわない漫画となるかも知れないと思って、それはひとえに私にラジオへの愛が欠けているから、その一点での判断でした。声優とアナウンサーふたりのパーソナリティが送るラジオ番組にきっとなじめないだろうと、勝手に思い込んでいたんですね。
三日にあげず『

WindowsとMacintoshはいったいどちらが優れているのか。私はこの手の不毛な問い掛けが大嫌いです。だって、罵りあわねばならないほどに両者に違いはないのだもの。ユーザーインターフェイスに関しても、使い慣れたほうがいいOSという程度のものに過ぎず、だからどちらかを必要以上にくさす意見に対しては、この人は見場が変われば本質にたどり着けない程度の人間なのだと、そう思うようにしています。さて、そんな私でも認めなければならないことがあります。それはWindowsのあるアドバンテージなのですが、なにかといいますと — 、付属のゲームです。なんと、Windowsには標準でピンボールがついてくるのですよ。それもしっかり遊べるレベルのピンボールが! これは本当にうらやましかったですね。私はピンボールが好きなのです。残念ながら貧乏なので、実機の経験は乏しいのですが、Macintosh用のピンボールゲーム買って、黙々と打ち込んだ日々もありました。私がコンピュータを買った頃って、ピンボールソフトが結構あったんですよね。最近ではあまり目にしなくなりましたけれど、時に無性に遊びたくなる、ピンボールにはそういう魅力があるのです。こんな私です。とよ田みのるの『FLIP-FLAP』に引きつけられたというのは自然なことでありました。
先日、思いがけず入手がなった『
私がレディーズコミック誌『You』で楽しみにしているもの、その筆頭にくるものはなにかというと、やっぱり『
行き付けの病院の待合には、集英社のレディーズコミック誌『You』が置かれていて、待ち時間に読んでいます。最初は『
少女漫画でも少年漫画でも、男子禁制の場所に紛れ込んだ男子であるとか、あるいはその逆、そういう設定を持ったものは本当に多くて、なんでなんでしょうね? 夢のシチュエーションとでもいうのでしょうか、性別を偽り隠れるようにして暮らすものがあるかと思えば、こちらは男子一人パターンに多いと思うのですが、圧倒的に優位な立場にある女性陣に翻弄されてしまうであるとか、けどいずれにしても夢のシチュエーションなんでしょうね。本来ならいるはずのないイレギュラーとしての異性が、思わず巻き起こしてしまう恋愛のドラマ。性別偽ってるケースなら、好きなあの娘と親友になってしまって、だからこそ自分の真実を明らかにできない! なんてのはパターンでしょうか。そして性別を偽らないケースであれば、身の回りに魅力的な異性が山ほどあって、それはさながらハーレム! というのがパターンとなるのかも知れませんね。

そもそもなんでこの漫画を買おうと思ったのか、それがわかりません。だいたいタイトルがタイトルで、『ロリコンフェニックス』。もう、どうしようもない。しかし、タイトルだけならまだしも、中身も結構な台無し感漂うものでありまして、変態大決戦? 半裸、サスペンダー、ゴクラクチョウの覆面で武装(?)した主人公フェニックスが、少女を狙う悪漢、BL団を相手に大立ち回りするという、まさしく正義のヒーローものである、みたいなんですが、どう見ても変態大決戦でしかないという切なさ。というか、あからさまに同類ですから……。フェニックスそしてBL団ともに彼岸にあって、わずかに立ち位置を異にしているだけといった塩梅のこの漫画。それがもう見事にばかばかしくて、しかしそのばかばかしさが面白さの肝でしょう。とはいいますが、あんまり人に勧めて、同意もらえる面白さではないかも知れません。明らかに人を選ぶ、それが『ロリコンフェニックス』です。

ええと、クリアしました、『
今日は、家族が出かけていてうちには私一人。こんな時にはなにをするかというと、まあ
さて、うどんを茹でると決めて、そうなるとうどんのつゆが必要になりますな。だしは、粉末のかつおだしでいいや。じゃあ後は醤油とみりんでも入れるとして、けれどいったいどれくらい入れたらいいものか。
『幼稚の園』は小坂俊史の新作で、四歳児ながら年長組に編入された微妙な幼稚園児、一条ルルが主人公。けど、年長組っていくつなのさ、ええと、六歳だそうです。うん、確かに微妙。でも、子供の一年って大きいから、実際にはかなりの早熟なんでしょうね。って、先生相手に小憎らしいこといってるルルを見ていると、それが到底六歳児相当には見えません。つうか、あんたいったいいくつなんだ。小学生だってそんなのいないだろ、ってひねぶりで、このへんはさすが小坂俊史だと嬉しくなる味わいです。思わずにやりとさせられる、けどこんな子供いやだな。心の底からそう思わされて、けどそんな子供になんのかんのいいながら付きあっているめぐみ先生。ほんと、見上げた人だと思います。というか、この人が突っ込み役か。ある意味、この人がいないと成立しないという、重要な役どころでありますか。
人間っていうのは、いくらでも変わりゆくものなんだなということを実感しました。というのは、『ろりぽ∞』、最新刊である第5巻を読みまして、そうしたらこれがまあべらぼうに面白いわけです。こんなことをいうと申し訳ないけど、この漫画は私にとってはちょっと微妙な位置にある漫画でありまして、それこそ最初の頃は面白がりようがわからないでいたのでした。好きか嫌いかでいえば、好きです。けれどこうして取り上げようとなると、どうにもこうにも書けなくて、だから

書店にいったら『
松山花子の四コマは、辛辣といえば辛辣だけど、読めば、ああ確かにそうかも知れないと思わされるとこも多分にあって、だからこれは辛辣というよりはむしろ真っ当なのだと思っています。ただ、身も蓋もないということにかけては折り紙付き。通常ならば、建前だとか世間体だとか、あるいは普通はそうだからという思考停止によって、言及されることのない暗黙の諒解ごとが、ぺろんとあからさまにされて、それが妙に快感なのです。基本的にはストーリーを持たない一ネタ完結スタイルの漫画だから、何巻から読んでもいいし、どのページから読んでもいいという、そういう気楽な付き合い方ができるのは御の字で、けれどまとめてがっつり読めば、準レギュラーとでもいうべき人たちもいるとわかります。いわばシリーズとなっている彼ら彼女らの主張、歪んだ認知、偏った認識、性癖がもう楽しくって仕方がなくて、そして時に突き刺さる正論。松山花子、好きだわあ、ひしひしと思います。
私は控えめな女性が好きです。ゆえに、控えめ女性がヒロインである『L16』はかなりの威力をもって私に迫ってきて、性格が控えめな姉、春香さんに、体型が控えめな妹、奈々香ちゃん。ああ、もう、綺麗だったりかわいかったり、美人だったりキュートだったり、素敵だったり可憐だったりして、もうどうしようもないな。って、どうしようもないのは他でもなく私自身であるんですが、でも見てるだけで仕合わせなんだから仕方ないじゃないか。って、正当化にならない正当化をしたところで、簡単に説明をば。『L16』はレディー・シックスティーンの略でありまして、すなわちヒロインは元気さが魅力の妹さん、奈々香であります。12歳離れた綺麗なお姉さんに憧れて、目標にしている。その頑張りと背伸びと空回りがまたかわいいという漫画であるのですね。
2008年6月は『
『
これも以前いっていましたね。
— けど、私の愛した『Lの季節』の音楽とは、紛れもなくこれだったんです。もっさりしてるかも知れないし、表現においても限界が感じられるかも知れない。少ないリソースの中、がんばって作ったんだろうなあと思える響きが耳に懐かしく、そしてこの懐かしさが胸の奥にこだまして、もうたまらないですね。あの夏の景色さえも思い出せそうです。一日の大半『Lの季節』やってて、そうしたらプレイ時間の半分くらい天羽さんがわあわあいってるから、家族にはちょっと不評だったかも。川鍋を問い詰め、上岡に迫り、そして星原とともに危機に対峙する天羽さん。凛々しかった。いい娘だよー。って、実は天羽さんは『
私が『Missing Blue』を中断したのは、ずいぶんとおたく向けシフトがなされてしまったという、そのためだったと思っています。実は私は『Lの季節』においては現実派でありまして、私たちの日常からそれほどかけ離れていない、そんな世界において語られる怪異、そうしたところに魅力を感じていたものですから、どちらかというと幻想よりでスタートする『Missing Blue』はつらかったんです。いや違うな。私は幻想界も嫌いでなかった。じゃあいったいなにが問題だったのかというと、丹雫瑠羽奈がですね、ねえ、キスしてよ、キスしてよー、ってねだるシーンが序盤に出てくるんですが、それがですね、どうにもこうにもなく耐えられなくってですね、多分あの攻撃を耐え、事件に遭遇するまで読み進めていたら違ったんでしょうが、うん、きつかったんだろうなあ。それに、時間がなかったんだ。2001年でしょう? 仕事してたもんなあ。『Lの季節』の頃はまだ学生で、しかも大学って夏休みべらぼうに長いでしょう。朝バイトにいって、帰って『Lの季節』プレイして、夜バイトにいってという — 、いや、んなことねえよ。もう卒業してたわ。けど、私はそんとき浪人中で、時間有り余ってた。週に三日大学図書館でバイト、朝と夕は駅でバイト、つうことは、よけいに時間余ってたわけか。駄目な生活してたんだなあ。いや、今もあんまり変わってないような気がするんだけどさ……。
脱線しながら、いったいなにをいいたいのかというと、ゲームできなくて悔しいっていってるんです。安くもないゲームを買って、まともにプレイできてないなんて最低です。特に『Missing Blue』は期待してたんだから。キャラCDとか、ちゃんと買ってたんだから。なのに中座した。悔しい。しかも、『Lの季節』、『Missing Blue』。こうした連なりがあるから、『Lの季節2』は『N』ではないなんていう断わりを入れるんでしょう?
『ふら・ふろ』は『まんがタイムきららキャラット』に連載中の漫画、けど四コマじゃありません。一見普通のコマ割り漫画、けれど一ページごとに小さなネタの締めがあって、そしてそれらネタを繋ぐ大きな流れが緩やかにある、そうしたタイプの漫画であるんですね。一ページ漫画という呼び方もするみたいですが、最近の四コマにも見られる、ストーリーを小さなネタの連続で繋ぐという話の運び方と、コマ割り漫画の表現方法、それがこの漫画の持ち味にうまくマッチして、読みやすく、面白いです。ページごとにネタが締められることで生まれる、一定のテンポは小気味よく軽快で、一ネタにページまるまる使われることで、ゆったりとした雰囲気はより強まって、このゆったりしながらも軽快という感じがですね、女の子ふたりの、特になにか事件が起こるわけでもなんでもない日常とそこでのおかしみを描くのに、実によくマッチしていると思うのです。
『Lの季節』の2が出るってよ! ってはじめて聞いた時、どちらかというと乗り気でなくて — 、もちろん興味はありますよ。けどそれよりも怖れの方が強くって、なぜ今更というのがひとつ。なにしろ1999年発売のゲームです。およそ十年が経って、あまりにも状況は変わりました。ゲームを取り巻く状況も変わった。作り手も、たとえオリジナルスタッフ再結集を謳うとしても、以前と同じではありえないでしょう。そして最も問題なのは、私も変わったということです。十年の月日はあまりにも長すぎます。もう私にとって『Lの季節』は思い出で、それも美しい思い出で、だからその思い出が壊れるようなことがあったらあんまりだと思い、怖れたのですね。けれど、登場人物に天羽さん鵜野杜さんを見て、さらに星原さんも見付けて、これは買わないなんてありえない。思い出の後押しを受けるようにして、購入を決定したということを
