2007年12月22日土曜日

デイドリームネイション

 私にかぎらず多くの人は、どこか高校時代というものを懐かしむ、それも自分の高校生時分というよりも、こうあって欲しかったなという夢の高校生活を求めて、ゲームに、漫画に、あるいはアニメにさすらうのではないかと思うことが私にはあります。だとしたら、どんな高校生活がよかったんだろう。さすがに私はもうたいがいな歳ですから、今から高校なんてわけにもいきません。だったらせめて大学生に戻りたいなあ、それでパソコン部というか電脳部というか、そういうのに入ってみたいっていったら、もとそういう関係の部活に入っていた人が、正直おすすめしないとアドバイスくださいました。また別所でのこと、今やりたいことはなにかないのかねと聞かれたものだから、学生に戻りたいと答えてみたら、職業訓練校を紹介されたりしましてね。いや、そうじゃないんです、そういうこといっているんじゃないんです。

『デイドリームネイション』は、『○本の住人』そして『百合星人ナオコサン』のkashmirの送る夢の高校生活漫画。漫研に所属する女子ふたり、荻野と小岩井を軸に展開される、普通のようで普通ではない、いうならば現実と非現実の狭間に放り込まれたような感覚が心地いい、日常ものであります。

最初私は、表紙の印象から無軌道な若者たちによって紡がれる日常ものかと思っていたのですが、やっぱりkashmir作だからなのか、そこはかとなく普通でない感じが漂っていて、それはなにも尋常でない存在が鎮座ましましているからとか、そういうレベルの話ではないのです。むしろそうした存在の非日常性は日常に侵食され、まるで普通のものであるかのようなそんな扱いになっているというのに、普通の領域にあるべきもののほうがおかしさの源泉となっています。発想から言動から常軌を逸していて、こんなですから、自然漫画の雰囲気もどことなくおかしく、けれどそこには私の憧れの日常が見え隠れしているようで、そうか、ラ■ュタは本当にあったんだ、こんな学生生活送りたかったなー。本当の意味での駄目さを露呈させてしまうのであります。

意味不明なことを口走り、実行するハイテンション気味ののりが間欠的に吹き出しながら、全体的にはローテンションに落ち着いて感じられるというのもまた味であると思うのです。その味わいをベースとして、趣味性の高いネタがそこここに顔を出し、それが通じればきっと面白さも増すのでしょうが、けれどわからなくっても、そのわからないという状況をも楽しめてしまう、そこがkashmirの世界であるのだと思います。そして『デイドリームネイション』、この漫画は、他のタイトルに比べてもまだ一般的なスタイルに根ざす部分が多いから、ええと言い換えればマイルド目、他のものがいきすぎててついてけないっていう人でもおそらくは安心で、けれどこの人の作風に参っちゃってる人にしても物足りないっていうこともないだろう、いいバランスの上に成り立っていると感じます。

しかしだ、この人の絵は、なんだ、ほら、悩ましいね。特に荻野、彼女のすくすくとした肢体に現れる色気には心かき乱すなにかが確実にあって、けれどそれ以上のエロには決して発展しないという、そのおあずけ感にくらくらしそうです。けど、一番きたというのが第一話のショタ風味、あの一連の流れで、そうかあるんだ — 、どうも私は知らないあいだにずいぶん駄目な方向に流されてしまっているようです。自分の意思で泳いでたどり着いた岸じゃないの、なんて声も聞こえてきそうな気もしますが、いいんです。こんな駄目な私には、このうえもなく心地よい『デイドリームネイション』の世界が、なによりの慰め、癒しなのです。

  • kashmir『デイドリームネイション』第1巻 (MFコミックス アライブシリーズ) 東京:メディアファクトリー,2007年。
  • 以下続刊

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