2007年12月28日金曜日

CIRCLEさーくる

 人は変化を求めるようで、しかしどこか変わらぬことを期待しているのかも知れない。なんていったりなんかしちゃったりするのは、この漫画、『CIRCLEさーくる』が、どことなく八九十年代の漫画の空気を持っていると感じられるものだから。なんだか懐かしく感じたり、ちょっと切なく思ったり、万感の思いが胸中に渦巻くようではありませんか。八十年代当時、私はまだ中学生で、なんか自由そうでのびのびとした高校の部活動に憧れめいたものを持っていたなあ、って具体的には『究極超人あ〜る』あたりを思い出しているんですが、けれど『あ〜る』にかぎらず、時代の空気といったらいいのか、この漫画からはそうした匂いがするんです。部活動もの、わけのわからぬクラブが、群雄割拠できるというリベラルな校風に支えられたなんでもありな世界。そしてそれは当時の世相、漫画を愛するものたちが心待ちにしていたものにほかならなかったわけで、結果群雄割拠しましたよね、そうした漫画が。特に目的があるわけでない、最終到達点が示されることもないままに、自由な雰囲気に彩られた日常がつづられた漫画たち。そうした漫画は、その表現の仕方を違えながら分化、拡大していって、そして『CIRCLEさーくる』にまで繋がっているのかも知れませんね。繋がってたらいいなあ。

けれど、そうはいっても『CIRCLEさーくる』はそこまでなんでもありな漫画ではありません。大学の漫画研究会を舞台とするこの漫画は、非常に常識的な範疇にとどまっていて、アンドロイドも出ませんし、部室をかけて闘争するようなこともなく、穏当な、非常に穏当な学園もの、部活ものの空気を維持し続けます。そしてその穏当のかげに揺れる思いがある — 。気になる彼、気になる彼女。お互いに意識しながらも、それを素直に表すことのできないという不器用な心の行方。できれば踏み出したいという思いを飲み込んで平静を装う彼彼女らを見ていると、なんだ、ほら、青春よの。

こういうことって本当にあるのよ。私は彼のことが好き、彼も私の思いに気付いているようなんだけど、それを表に出そうとしないのはなぜなのかしらという話がかつてあって、それは迷惑がられているか、あるいは俺、もしかして自意識過剰だったりする? なんて具合に確証持てず踏み出すに踏み出せないでいるかの二者択一ではないだろうか。結果は後者だったわけで、ふたりはその後めでたくつきあうことになりました。そうした模様を第三者として眺めながら、青春よのう。そんなこと思っていたあの冬の日。

『CIRCLEさーくる』には、そうした光景が、人生のある一時期に訪れをみせる季節の風景が広がっていて、それもまた懐かしく、切ない気持ちをかき立てるんですね。きっぱりといえば、ボーイ・ミーツ・ガールもの。サークル内での和気あいあいとした空気に、ちょっと恋めいた風が吹き込むくすぐったさ。このまま恋愛一直線になったりしたら今の空気はなくなっちゃったりするのかも知れないけど、だからふたりの恋が進む景色を見せながらも、このまま変わらないでいてくれたら嬉しいと、ここでもまた変化を望みつつ変わらないで欲しいと思う、矛盾した感情にとらわれるのです。

しかし、この漫画に出てくる男性陣はいいね。女の子にも興味ないわけじゃないけど、それを表立たせない彼らの心情というのはぐっときます。もしかしたら彼らこそが、変化と現状の両方を希求する私の思いそのものであるのかも知れず、楽しい今がいつまでも続けばいいと願いながらも、刻一刻と時は過ぎ、いやおうなく変わっていかなければならない現実に気付かないほど子供ではない。そうした季節をとうに置き去りにしてきた私には懐かしいと思えるその現実は、その季節に今まさに立ち会う彼らには切ないと感じられるものであるのかも知れませんね。そして私は、そんな彼らに心を映すことで切なさを追体験している。ええ、私はこの漫画に懐かしさを感じ、切なさにふける、すなわち最高の心地よさを感じているんです。

  • 榊『CIRCLEさーくる』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

引用

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