
眼鏡ヒロイン三連続。なんてことはどうでもいいとして、『ようこそ。若葉荘へ』がめでたく完結いたしました。はじまった頃は確かに東宮院華憐がヒロインだったのに、気付けば荒井アラシがメインヒロイン位置に着けていたという漫画です。あまりに意外すぎた展開に、え、今どうなってるの!? とまどいながら読んだのも懐かしい。けれどその戸惑いに再びまみえる日がこようとは思いもしませんでした。ラストに向けての急展開、なんらの心の準備もなく、主人公もヒロイン(荒井の方)もラストステージに放り込まれて、私はついていけなくて目が点。こ、これは終わるな! そう思いはしたけれど、急転直下の大団円、本当になにがなんだかわからんうちに終わりました。
けど、その怒濤の激流に揉まれ、振り回されるのもまた楽しかったかもなあ。先がまったく予想できない、なんてったって、予兆がないんだもん。新たな展開、新たな前提がどしどし現れる中、えっと、これいったいどこに繋がってんだろう、なにぶん月刊連載ですから、前回を忘れてしまっているということはよくあることです。思い出そうとするも思い出せず、確認すれば新事実。でも、第2巻読んでると、明かされなかった新事実はまだあったようで、そうかあ、もっと振り回される可能性があったわけだ。それが実現しなかったのはつくづく残念ですが、けどラストの展開で充分かも知れません。それくらい激動でした。
男主人公がハーレム的シチュエーションに置かれる、そうした舞台を設定する場合、どうしても主人公は優柔不断にならざるを得ないのか、『ようこそ。若葉荘へ』主人公沢井健太郎もそんな具合です。平凡、優柔不断、そんなお前がなぜモテる!? でも、こいつを決断力ある魅力的な男にしたら、早い段階で東宮院に突進して、ものすごい勢いでケリがついちゃうから駄目なんでしょうね。そうしたら、荒井がヒロインの位置に躍り出ることもなかったわけで、だから沢井はそれでいい。むしろそうでないといかんかったのです。
すんません、荒井が好きなもので。
東宮院、荒井二人を筆頭にして、若葉荘住人のどたばたコメディ繰り広げられたわけですが、加藤メインエピソードがなかったのはちょっと残念。というか、他のキャラクターにしてもまだまだ掘り下げの余地、広げられる余裕があったと思うものだから残念です。深く心情を掘り下げていくタイプの漫画ではなかったとは思うのだけれども、それでも主に荒井の気持ちの揺れる様子はよかった。表向きは強気で粗雑で荒っぽいのに、実はプライドと自己否定との狭間に迷っていたというところなんてのは絶品で、沢井の中にあるしーちゃんのイメージと今の自分とのギャップに怯え、しかし今の自分を見てくれるようでないといやだという。だからこの話が荒井シナリオでもって決着した(した?)のはよかったなあ。なんて思うんですが、けどあの沢井はあんまりにも失礼だ。しーちゃんとしての荒井が好きなんでなく、今の荒井が、眼鏡の荒井が好きなんだといってやれ。それを沢井はあんな言い方をして、だからもう二三発殴られるくらいで丁度いい。というか、あんな娘に殴られるだなんて、むしろご褒美だと思います。
あとがきに、面白くなるのはむしろこれからじゃないのかみたいなことがありましたが、実際私もそう思います。私は多分、地の東宮院の方が気に入るはずで、しかしそれがなぜあの沢井を奪いあう!? というのはどうでもいいとして、けど本当にまだまだ広がる余地があった。そんなところで終わったものだからちょっともったいないですね。けれど終わるには終わるだけの理由があるのでしょうから、まだこの人たちの話を読みたいぞと、そう思えるところで終わったことがむしろよかったのだと思うことにします。

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十年二十年前ならいざ知らず、今更眼鏡を云々する気にはなれないし、それに私はメイドにも興味がないときています。委員長という肩書きに心動かされることもありませんし、巨乳なんぞとなればもってのほか。なのにこうした方面への傾きを強く感じさせる西川魯介の本が出ていると察知すれば、きっと必ず買ってしまうというのだから説得力がありません。けれど、西川魯介の漫画はすっかり高度専門化しちゃったなあ、特に眼鏡やらそういう方面の描写、話の展開、それからギャグなどもろもろにそういったこと感じること多く、その特化具合、すっかりできあがった西川魯介的世界に、私はそろそろ振り落とされるのかも知れないなと感じることがあります。特にここ最近の図書委員長ネタにおいてはその傾向色濃く、でもそういいながら新刊が出てるのを見かけたら買う。だから結局は好きなんでしょう。西川魯介を切るか、あるいは切られるか、そのどちらであるとしても、私はまだこの人の漫画をあきらめきれずにいるようです。
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『とりねこ』、鳥と猫という相容れない存在をタイトルに盛り込んで、そう、この漫画は対照的なるものの同居ものなのであります。鳥と猫、鳥は白文鳥、猫は黒猫、文鳥の名前は大福、和菓子で、猫の名前はマカロン、洋菓子、文鳥の飼い主はボーイッシュ眼鏡の美少女、猫の飼い主はフェミニンな美女。けれどこんなふたりには似たところがあって、それは自分のペット大好きというところです。ペットの文鳥を馬鹿にされて大げんか、結果アパートを追い出されることになった梅田ちはると、ひとり大好き、マカロンがいればそれでいいの、しかし人付き合い苦手が高じて弟にまで心配される七北田亜希。自分のペットを愛して愛して愛しているということに関しては負けず劣らずですが、それ以外は結構違っているふたりの同居をめぐる風景が描かれて、それがなんだか楽しい漫画です。あ、名前が春と秋で対照になっていますね。
先日、朝日新聞のコラム、天声人語に紹介されていた本、『わたしの母さん』が妙に気にかかったので買ってみることにしたのでした。いったのは大阪梅田の紀伊国屋書店。児童書の棚を一巡りして、見付けられず、そうだ、それで『



塹壕戦には興味があります、だったらこの映画を見るべきでしょう、なんてことを
書店への買い出し、レジ前でのこと。ひときわ大きな表紙とその色、そして魅力的なキャラクターが目を引いて、立ち止まりましたね。鮮やかとはいいがたい、少々くすんだ赤が基調の表紙に、赤毛の女の子がレーション? 食ってる表紙です。娘の服装や描かれている乗り物もろもろ見れば、どうも軍もの臭いのですが、それがどうにも魅力的でありましてね、しかし高いんだろうなあ。本のサイズは26センチ、大型本に分類してもおかしくない判型であるのですが、これなら三千円はとるだろうなあ。そう思って確認したら、なんと千五百円てな具合で、思わず安っ! 買うことが決まった瞬間でした。
今日、ドラえもんの1巻を懐かしく思い出しながらの帰り道、のび太が昭和の時代の子であったからこそあの話は成立したのかも知れないなと思われて、いや、だってね、のび太にはなんのかんのいっても子孫がいるのですよ。歴史を書き換えるべくドラえもんを送り込んだセワシです。本意だか不本意だかはわからないけれど、それなりに進学して、それなりに職業を持って、それなりに結婚をして、子供も持って、いうならば人並み。人並みが仕合せであるとは限らないけれど、人並みの人生を歩んだのび太は、たとえ晩年が借金まみれであったとしても、多少はましだったんではないかと思ったのですね。なにせ、今では人並みを求めても得られずあえいでいる人がいるっていいます。そう、のび太がもしも平成の子であったら、不登校からひきこもりに、あるいは進学したとしても就職に失敗し、起業も叶わず、フリーターないしはニートと呼ばれるような立場に追い込まれていたかも知れないな。そんなこと思ったんですね。
理想のボールペンを求めての旅路の途中、今現在におけるお気に入りは
手帳問題、一段落いたしました。ええと、買ったんですよ。今なにかと話題のFilofaxです。いや、ほんと、この数日は日ごとに新たな展開があるという、実にエキサイティングな毎日でありまして、発端は14日の水曜日のこと。手帳が欲しいがどんなのがいいのだろうと、ぶらり見回った店頭に発見した茶色の革のシステム手帳。ああ、なんかいい風合いだなあと思ったのですが、値段が少々高めだったので頭を冷やそうと思って、その場は撤退。けれどうっかりブランド名を控えるのを忘れたのですね。だから、翌日木曜日、そのブランドがイギリスのものだったという記憶を手がかりに検索して、FilofaxのKendalというモデルというところまで突き止めました。そしてその翌日、金曜日、RSSリーダが気になるニュースを拾ったのです。
私のやっている
家庭で作るブルーブラックインクについて書いてみようと、引っ張り出してきた本『


その存在を知らないまま、偶然に出会った『


昨日とりあげた『
眼鏡を外すと美少女というのはよくよく見られる設定ではありますが、眼鏡を外すと女子高生になるというのは斬新というか、他に類を見ません。かくしてこの漫画『はっぴぃママレード。』は、世にも珍しい眼鏡を外すと女子高生になる主婦がヒロインの漫画であります。というか単に女子高生というスタイルに非日常性を求めるさなえさんが、普段の自分らしさを感じさせる眼鏡というアイテムを忌避しているだけ、であるような気もするのですが、まあそんなことはどうでもいいことです。36歳の子持ち主婦が、かつて病弱であったために断念せざるを得なかった高校に通いたいと、息子の通う学校に入学、クラスメイトになってしまったことからはじまるドキドキコメディ四コマ、それが『はっぴぃママレード。』であります。
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『乙姫各駅散歩』の単行本が出ると知った時、嬉しかった。龍宮からやってきた乙姫が浦島太郎の子孫の家に居候をする。それだけの漫画です。けれど、それだけのことがこんなにも豊かに感じられるんだから、まったくもって侮れません。まだ幼さを残す乙姫のまわりには、ゆったりとして穏やかな時間が流れていると感じられて、読んでいるだけでやすらいだ気持ちになれます。浦島太郎の子孫である江太は、少々線は細いけれど、優しくて情の深い少年で、乙姫にちょっと引かれるところもあるのかな。けれど恋愛のそれというほどでもない。だからといって友人のようでもない。ちょっと恋するような憧れをもって、家族というか親戚というか、そういう近しい距離にいる、そんな彼らの出会う風景が愛おしく感じられて仕方がないんです。なんだかすごく幸いな漫画、情の深さ、温かさが染みてきます。
『PEACH!!』は『

去年でしたかおととしでしたか、『

『S線上のテナ』は『

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『コンシェルジュ』、これが素晴らしい。その存在は以前から知っていたんですが、なんとなく敬遠してきて、というのは、うんちく系の漫画といいますか、そういうのはちょっともういいかなと思うところがあったものですから。ですが、それは誤解でした。おとつい、水曜日、天満橋の
単行本読み終わって、人物紹介見るまでまったく気付いていなかったんですが、この漫画、四人そろって花鳥風月だったんですね。それはさておき、『くろがねカチューシャ』は『
