寺山修司はいうのです。
私が忘れた歌を だれかが思い出して歌うだろう 私が捨てたことばは きっとだれかが生かして使うのだ だから私は いつまでもひとりではない ……
いうまでもなく私たち一人一人は小さくはかなく有限で、そうしたことを思うとき、空しさや悲しさに押しつぶされそうな気がします。ですが、もし私が失われたその先に、私の忘れた歌や捨てたことばを生かして使う誰かがいるというのなら、ただそれだけのことで、悲しさや空しさに耐えることもできるだろうと思えます。
最初に紹介した詩は、寺山修司の『ぼくの人生処方詩集』のなかの一編「ひとりぼっちがたまらなかったら」。この詩に添えて寺山修司は、恋人をつくるほうがもっとよく効くことでしょう
だなんていっていて、それは確かにそうかも知れません。けど私には恋人では耐えられない瞬間があるように思えて、それはやはりその恋人も有限で、命にもかぎりがあれば、愛にもかぎりがあるだろうだなんて思っているわけなのですが、まあこんなこといっているからいけないんだというのはわかっているので、そうっとしておいてやってください。
私はこのBlogの他にもサイトを持っていて、その日々の書き散らかしは誰も目にせず、気に留められることもなくほうっておかれるのが大半ですが、ですが中には私の書き散らかしを拾ってくださる方もいる。このBlogにしてもそうです。誰かが読んで、その人のために、あるいはその人の知る別の誰かのために役立ててくれる、なにか思いが兆したところを別のかたちにしてくれる人もいる。
そうしたことの断片を伝え聞くことがあるたびに、私は無理してでもサイトを続けていた意味があったと思えるのです。
2005年も今日で終わり。明日からは2006年がはじまります。それをひとつの区切りとして、私は保留してきたすべての権利の一部を開放してみようかと思います。果たしてそれがどれだけの意味を持つのかはわかりませんが、ですがこれが私の言葉を拾う人にとって少しでも意味のあることだとすれば、躊躇はありません。
私が捨てたことばを生かしてくれる誰かがいるかぎり、きっとわたしはひとりではありません。
- 寺山修司,宇野亜喜良『ひとりぼっちのあなたに・さよならの城・はだしの恋唄』(For Ladies) 東京:新書館,復刻版,2004年。
- 寺山修司『愛さないの、愛せないの』(ハルキ文庫) 東京:角川春樹事務所,2000年。
- 寺山修司『愛さないの愛せないの』(寺山修司メルヘン全集) 東京:マガジンハウス,1994年。
- 寺山修司『人生処方詩集』東京:立風書房,1993年。
- 寺山修司『愛さないの愛せないの』(寺山修司青春作品集) 東京:新書館,1984年。
引用
- 寺山修司『愛さないの、愛せないの』(東京:角川春樹事務所,2000年),117頁。
- 同前,117頁。

松山花子は、ここ最近私のお気に入りに加わった漫画家で、この人を知ることになったのは
さて、
年末になると年賀状の用意に追われるというのが恒例になっていて、もう面倒くさいから今年はやんぺと思っても、なぜか他人の年賀状に巻き込まれてしまう……。職場でさ、今年最後の仕事が年賀状作成ってどうですか。おっさんら、それ私用の年賀状だろう。職員使って、他人の金使って作らせるだなんて本当に虫のいい話ですよ。それこそこういうのは町の印刷屋さんに頼めばいい話なんです。年賀状を数百枚か刷っていくらもうかるのかはわかりませんが、それで少しでも町が潤うならいいじゃありませんか。特に公的な地位にいる人間なら、町の人たちが少しでもよい正月を迎えられるようにはからっても罰は当たらないと思うのです。
今月のまんがタイムKRコミックスは『
クリスマスの歌はたくさんあって、明るく元気なものからしめやかなもの、大人のムード漂わせるもの、多種多様に渡ります。そんなたくさんのクリスマスソングの中からどれか一曲を選べといわれれば、私は迷わずThe Little Drummer Boyと答えるでしょう。イエスの生誕を祝うための贈り物を持たない貧しい少年が、そのかわりにと太鼓を精いっぱい叩く。そうした内容を持つ歌です。
インターネットラジオを流しながらの作業中。男性ボーカルにふと気を取られて、いったいこの歌は誰のなんという歌なのだろう。その頃私が聴いていたラジオは曲名の案内をしていなかったので、わからず仕舞いと思われて、ですが、数週間後だったか数ヶ月後か、あの歌が再び流れて、私はなんとか歌詞を記憶にとどめようとしたのでした。
渡辺純子さんの描く漫画はなかなかいい感じかも知れないなあと思った時期があって、以前にもいったと思いますが、
国語の教科書に載っていたのを読んだのがこの話に触れた最初で、昔の貧しかった時代、母親はどうしても家計を切り盛りするため少しでも無駄を省こうとして、けれどそのために大きなものを失ってしまうはめになって、私は藤二の気持ちで読んだものでしたが、今となっては母親の後悔のほうが深く胸に突き刺さります。たった二銭で、たった二銭でというやり切れない思いはどうしても消すことができないのでしょう。


中学二年生だったな。同じクラスになった川口が『究極超人あ〜る』を貸してくれて、今まで漫画といえば藤子不二雄くらいしか知らなかった私の視野は一度に広がったのでした。おたくへの一歩は友人が切り開くというのはよくいわれる話で、小田中や田嶋、宮崎といった川口周辺の友人たちが私に及ぼした影響は大きく、私はゆうきまさみのファンになり、アニメも見るようになり(ああ、栄光の『アニメ大好き』よ!)、いや、本当に人生が変わりました。いいように変わったのか、あるいは悪くなったのか、けれど私は彼らに感謝しこそすれ、恨んだりなんて気はさらさらありません。

今ではちっともSFを読まなくなってしまった私ですが、子供のころはファンタジーやSFは好きで、ジュール・ヴェルヌなんかは最高にお気に入りの作家でした。彼の作品はSF古典中の古典で、そもそもその当時にはSFなんて言葉はあったのかどうか。いずれにせよ、当時の科学知識と未知への好奇心を持って書かれた作品はどれも躍動感にあふれていて、翻案ものの数々を見ても、その人気のほどはうかがえるのではないかと思います。
私の知人に柊あおいが好きな男がいて、その人はというと、新書サイズで持っているものでも
体力がないだなんていっていますが、だいたいそもそも不摂生が悪いのですよ。
なんだか、私は隔週で風邪を引いていて、どんだけ体力がないというんだろう、なっさけないなあ、なんて思うのです。そういえば、昔こういうパターンで倒れていたキャラクターがいたっけなあ、といえば、それはもう『卒業』の中本静でしょう。もうそれこそ、
子供のころ購読していた学研の科学、多分広告かなんかが掲載されていたんじゃないかと思うのですが、電子ブロックという響きにはいやに科学的な含みがあって、欲しかった。いったいこれでなにができるのか、そもそもどういうものであるのか、昔の私はちっとも理解できていなかったのですが、それでもなにかすごそうだぞという予感があったものだから、内心憧れていたものでした。
最初に断っておきますが、私はこの本は読んでいません。今日、たった今見終えたNHKのドラマ『クライマーズ・ハイ』を見ただけで書いています。それも、前編を見ただけで。けれど、たったその半分を見ただけで、なんだか書きたくなってしまった。私にとっては、そもそも見ようとしていたドラマではなく、家族がニュースの続きに見始めたものを一緒に見たという、そんな消極的で希薄な見始めでしかなかったのですが、どうにも目を離せなくなってしまい、途中でコンピュータの前に座ったにも関わらず、どうしてもドラマが気になってしまってテレビに戻った。力のあるドラマ、物語であったと思います。
『
サンフランシスコ郊外の町で発生する謎の連続殺人事件。完全なる犯罪に誰もが怖れを抱き、しかし犯人は依然として不明のままだ。謎の殺人犯とはいったい何者なのか。
公開時に流されていたテレビCMが怖くて、トラウマのようになった映画。それが『ハウリング』です。キャッチコピーは「五分前は人間だった」。じゃあ、今はなんなんだというと狼男なんですね。人が狼になるというシーンをCMでも流すんですが、狼男がいるところにモザイクがかけられていて、その不鮮明さが、そこに得体のしれないなにかがいるんだという強烈なメッセージとなったのでした。
『じゃりン子チエ』のアニメは、関西に育った人なら何度も再放送で見たことがあるんじゃないかと思います。ホルモン屋を切り盛りする薄幸の美少女竹本チエちゃんとその親父テツ。そして逃げた女房ヨシ江はんの、どことなく水臭くて、けど本当のところはものすごく濃厚なつながりができあがっている様が気持ちよくって嬉しくなります。濃いのはなにも親子三人だけでなく、破綻家族を見守る地域との絆も半端ではない。おばあはん、おじいはん。お好み焼き屋、カルメラ兄弟、そして忘れちゃならない花井先生。ああ、お巡りさんもいたっけね。チエちゃんを取り巻く人間関係は、誰もがどこか駄目だったり無茶だったりするけれど、大事なものはしっかり持っているから、私はこのアニメがとにかく好きだったのでした。
立て続けに子供を狙った犯罪が起きて、こうしたことは決して最近だけのことではないし、洋の東西を問わず綿々と繰り返されてきたことも
『遠い夜明け』は父と一緒に行った映画で、試写会の券があたったかもらえたかで、どんな映画かわからないけどせっかくもらったんだからいってみましょうと、それくらいの軽い気持ちであったことを覚えています。映画の内容についてはまったく知らず、だから面白くなくってもいいや。新京極に出て、映画館の一階にはマクドナルドがあったから、当時はまだ高嶺の花だったビッグマックを持ち帰りにしてもらって、映画館で食べたのが楽しかった。私も父もあれを食べるのははじめてで、なんというか食べにくいの一言です。かぶりつくと、真ん中の段が向こう側に脱落するんですよね。と、こんな気楽な気持ちで臨んだものだから、映画のインパクトはこのうえもないものになりました。
地球温暖化がなんだか具体的に感じられるここ数年。このまま地球が暑くなっていったら、私らはどうしたらいいんだ、みたいな嫌なことを思った人も多いんじゃないでしょうか。日本はきっと熱帯になるんだろうなあ、とか、極地の氷が溶けて横浜は海に没しちゃうんだろうなあとか、あるいは、昔は日本にも四季があったんですね、なんてラジオでいわれる未来が待っている? いや、そうじゃないんだ、このまま暑くなるんじゃなくて、再び氷河期が訪れるのだよ、というのがこの映画。変わり者で知られた気象学者の警告を無視する経済大国の大統領。だがしかし、地球規模での大環境異変はもう人間には止められないほど間近に迫っていたのです! 君は生き残ることができるか?
