2005年10月8日土曜日

のび太の恐竜

 普段、あまり恐竜だとか自然科学系の話をしないものだからか、恐竜博に行きたいという話をしたら、多趣味ですねとか意外ですねとかいわれることが大概で、というか、以前『世界最大の恐竜博』(ブラックビューティやセイスモサウルスが来たやつですよ。大阪では1994年に開催されました)を一緒に見に行ったやつにまでそんなことをいわれたのはさすがに心外でした(薄情者め、あん時も私が誘ったんだ)。

私はそもそもからして恐竜が好きなのですよ。はじめて触れた漫画『ドラえもん』第16巻での宇宙ターザンにはじまり、はじめて手にしたひみつシリーズは『恐竜のひみつ』。じゃあ、はじめて見た映画はなんだったかといえば、それは『ドラえもん のび太の恐竜』でありました。

映画ドラえもん。今見れば、当時のものはどう映るんでしょうね。やはり素晴らしい名作と感じるか、あるいは思い出が映画を実際以上のものに膨らませてしまっているのか。あの時劇場で見て、その半年後のテレビ放映で見て、それ以降は一度も見ていないから、また見られるとなればなんだかおそろしいものがあります。子供のころに好きだったものが、今見返せばたいしたことのないものとわかる。私はそれを怖れているのです。

いや、ドラえもんに関してはそうした心配はきっといらない。当時はビデオもなく、映画にせよテレビにせよ、リバイバルや再放送のないかぎり、一度見ればそれが限りでありました。だから、多分当時の私は、そのたった一度の機会を本当に真剣に見て、心に刻むようであったのだと思います。細かなディテールまでは思い出せませんが、あの暗い劇場の雰囲気、そして興奮とともに見たであろう映像の迫力は、胸のどこかに残っているのです。

『のび太の恐竜』は、ずいぶん後になって買った大長編で読み返すことがあるのですが、今から見れば懐かしい直立したティラノサウルスとかが時代を感じさせて、けれど物語の素晴らしさや中生代という我々の想像力をかきたてる魅惑の時代への憧れがびりびりと伝わってくるから、古くささは感じないんですよね。大長編ドラえもんを買うときにも感じた怖れは、こうして杞憂に終わって、だからきっと私は最初の映画ドラえもんを見ても、その質の高さに打たれることでしょう。

思い出は思い出として美しいままに、そして新たな体験としてこの映画を再び見ることもできるのではないかと、そういう予感がします。

ちょっと余談

私の見た『のび太の恐竜』は『モスラ対ゴジラ』との併映で、私がこのとき見た『モスゴジ』で覚えてるシーンというのが、大八車に家財一式乗せて逃げる人たちってのも変な話です。ずっとこのシーンがなんの記憶かわからず、高校のころにテレビで『モスゴジ』をみてようやく気付いた。そんな次第です。

もうひとつ余談

来年のドラえもん映画は『のび太の恐竜』のリメイクだそうですね。ラフスケッチを見ればなんかいいかもと思いますが、けどなんだかおそろしい思いもするのは同じです。

このリメイクを否定的に見る人もいるかと思いますが、私はただ、よい映画になることを祈っています。

  • 藤子不二雄『のび太の恐竜』(てんとう虫コミックス:大長編ドラえもん;第1巻) 東京:小学館、1983年。
  • 藤子不二雄『ドラえもん』第10巻 (てんとう虫コミックス) 東京:小学館、1976年。

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