2005年9月1日木曜日

ドラえもん

 私が最初に読んだ漫画は、紛れもなく『ドラえもん』。第16巻、父がよそからもらってきたのでした。私がまだ幼稚園児だった時分で、それまで本といえば絵本くらいしか知らなかった私は、漫画という表現にはじめてであって、ぶっ飛ぶほどの衝撃を感じました。もしあの時、父が『ドラえもん』をもらってこなかったら、きっと私の人生は大きく変わっていた。おそらく漫画を読むよりも文字の本を好み、いや、どうだったものでしょうか。人生にもしもはありませんから、結局はどちらでも同じであったのかも知れません。けれど、私にはあの時の出会いがなければ、今はきっと違っていたとしか思えないのです。

なにが変わっていたか。きっと私は、今ほど漫画を読まず、少年時代は取り分けそうだったでしょうから、科学に対する憧憬を育てる暇はきっとなかったろうと思います。私の中生代の生物に対する憧れは間違いなく漫画でもってはぐくまれ、それは例えば第16巻に見る「宇宙ターザン」であり、そして映画『のび太の恐竜』であり、明日語られるだろう『恐竜のひみつ』で — 、私の知識や知恵の大半は、漫画というメディアを通じてもたらされたことは疑いないのです。

なかでも『ドラえもん』は芳醇でした。サイエンスやテクノロジーへの憧れがあり、憧れとともに反省と批判があり、それらは豊かなエモーションとともに、まだ子供であった私に注がれたのでした。世の中を見る目は、憧れだけでは妄信となり、反省批判だけでは萎縮して自由さがない。ですが、藤子不二雄の目は今から考えても確かであったと思うのです。藤子不二雄は『ドラえもん』という漫画を通して、科学技術がもたらすものを見据え、よいものはよい、悪いものは悪いとちゃんと答えました。そして、人間が生きるうえで大切にすべきものがなにか、ちゃんと答えました。私はそうした藤子不二雄の語りかけを『ドラえもん』から感じて、こうして育って、私の情緒の根底には『ドラえもん』が抜き難く存在しているというのです。

世の中には漫画は数多あり、素晴らしいものもそうでないものもたくさんあって、漫画家だってそうです。私はそうした漫画や漫画家に思いをはせるとき、きっと藤子不二雄を思わないではいられません。藤子不二雄は紛れもなく私にとっての最初の漫画家で、漫画という世界の創造者のごとき位置にあるのです。いや、そりゃ私も漫画の発展した道を知っています。手塚治虫もほかの偉大な漫画家も知っていますが、ですがそれでも私にとっては藤子不二雄こそが第一で、藤子不二雄だけは私の魂を構成する重要な一部になっています。

ほかの漫画家 — あるいは作家でも作曲家でもかまいません — がいなくとも、私の今は変わらなかったろうと思います。けれど私の魂から藤子不二雄を取り去ろうとすれば、きっと大出血とともに絶命します。

  • 藤子不二雄『ドラえもん』第16巻 (てんとう虫コミックス) 東京:小学館,1979年。

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