マイルス・デイヴィスの『クールの誕生』はクール・ジャズというスタイルを確立した名盤で、クール・ジャズというのは、アドリブを重視するバップに対し、綿密なアンサンブルを重んじるスタイルといったらいいでしょうか。私は大学で履修したジャズ史の授業でこのアルバムを聞かされて、どうしても続きを聴きたくてしようがなかったもんだから、自分でも買ってしまいました。すごくメロディが美しくてムーディで、そしてモダン。私の経験してきたジャズというのは、吹奏楽出身ということもあってビッグバンド・スタイルだとかが中心だったのですが、けれど私はコンボ・スタイルの方が好きなんだということを、『クールの誕生』を聴いて心から思いましたね。
ジャズのスタイルとしてはかけ離れていますが、アンサンブルを重視するという点においては、クール・ジャズとビッグバンドには共通点がありそうで、けれど私はビッグバンドもどきの一員になりながら、なんだかあんまりのり切れなくてですね、なんというか、私はあんまり自由じゃなかった。指揮者がいて、それに従ってやる音楽も悪くはないのですが、私にはどうにも好かないんです。もしかしたら私がみんなに打ち解けてなかったのが原因だっただけかも知れませんが、けれど私はプレイヤー一人一人と好きにやってる時の方が楽しくて、あの合奏のなかに引き戻されるのはなんだか気分が暗くなるようで、あまりいい思い出じゃありません。
こういう性質があるもんだから、ビッグバンドよりもコンボというのかも知れません。
マイルス・デイヴィスのクール・ジャズは、音楽がしっかりと練り上げられているもんだから、聴いているものを置いたまま、プレイヤーたちがどこかにいってしまうような不安感がなくって、ジャズの中では聴きやすいスタイルといえるでしょう。だからあるいは、次々と飛び出すアドリブのドライブ感に身を任せ、この先どうなるかまったく見えないという緊張感に楽しみを見いだしたい人には、少しおとなしすぎる、乙に澄ましていると聴こえるかも知れません。
ですが、このアルバムを聴いてもですね、ちょっと落ち着きすぎてつまらないとか、そういう風には思えないのですよ。なにしろ、超クールなアルバムです(実際、このクールという形容は、このアルバムタイトルから生まれたらしいですね)。聴いているとほれぼれとして、まるでどこかにつれていかれそうなほど魅力的です。なにがよいといっても、楽曲の構成でしょう。バップとかだと、プレイヤーの個性のメリハリが音楽のコントラストを作り上げて実にホットでありますが、クール・ジャズだと、曲にきっちりとメリハリがつけられています。ユニゾンでの演奏のポジティブに前進する気持ちよさがあるかと思えば、淡く弱音で奏されている音楽の、背景に動く対旋律の美しさ。言葉もでないですね。
でるとしたら、せいぜいうめき声くらいなものでしょう。感極まるほどによいと感じます。
- クールの誕生
- Birth of the Cool — US盤
私は昔サクソフォンを吹いていまして、サックスというとジャズの楽器という印象が強いですが、私のやっていたのはクラシックジャンルにおけるサクソフォンだから、ちょっと趣が違います。ですが、クラシカル・サクソフォンといいましてもね、サックス奏者にとってはジャズは避けて通れないものでありまして、だから私もジャズに興味を持って、いろいろ試しては見ました。参考にといろいろ聴いてみたり、またコピーしてみたり。そんな私の一番のお気に入りだったジャズ・サクソフォンはといいますと、ジョン・コルトレーンの演奏する『マイ・フェイヴァリット・シングス』。ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の佳曲を、ソプラノサクソフォンで熱くしかしクールに歌い上げる、ジャズ名盤中の名盤であります。
今日、私の最近読んでるのは四コマ漫画ばっかりでみたいな話をしたときに、最近の四コマはストーリーになってたりするのもあるんだってねみたいにいわれまして、ええ確かにストーリー四コマと呼ばれるようなのもありました。その第一人者は小池田マヤ。まんがタイムラブリーで連載されていた『すーぱータムタム』は怒濤と波乱のストーリーで読者の心をがっちりつかんで、私ももちろん好きで、小池田マヤの漫画は当時ほとんど全部そろえていました。小池田マヤのストーリー四コマというのは『
『マッハ!!!』というタイ映画を見たのは、たまたま券をもらったからだったのですが、本当に見といてよかったと思える映画で、なんというのでしょうか、ジャッキー・チェン若かりし頃の香港映画を思わせるようなわかりやすさが持ち味の、華麗なアクション映画でありました。
この漫画の帯には、
最近、なんだか懐かしおもちゃみたいなのをまたちょくちょく見かけるようになってきましたが、ブームなんでしょうか。昔よりも
私は、なにもこれだけにかぎったことではないのですが、食べ物飲み物に関してどうも節操なく、たいていのものは喜んでいただきます。飲み物ならば、コーヒーも飲みますし紅茶も飲む。お茶だけにかぎっても、紅茶、中国茶、日本茶、抹茶、なんでもいただきますよ。とそんな節操のない私は、中国茶を入れる専用の道具もちゃんと持っていて、中国では茶壺と呼ぶのですが、中国茶を入れる用の急須から茶盤、問香杯といったものまで持っている。これでもって中国茶を入れますとなんか独特の非日常感が得られましてね、ただのお茶でもなんだかすごいご馳走に思えてくるという、ちょっとした贅沢気分が味わえるのですよ。
さて、そんな私が中国茶を楽しもうというときに頼りにするのは、文春新書に収録されている『中国茶図鑑』という本でして、ちょっと中国茶に興味を持ってるんだー、というような人、ちょうど私みたいな人、にはうってつけの教材となるでしょう。新書ですからそんなに大きくなくサイズも手ごろ、けれど内容は結構充実していて、私が以前
私は一時フランスの音楽を買い集めていまして、その時の選別基準はもう目茶苦茶。洋盤のワゴンセールを見かけたら仏盤らしいものを根こそぎ買うという、そういう手当たり次第といっていいようなやり方だったのですね。けれど、意外やこのやり方は悪くなくってですね、どんな人かは知らないけれど超クール! というアルバムがうちには結構あるんです。
西洋人から見れば日本というのはいかにも神秘に満ちた国だったようで、そもそもベースになる考え方が違います。西洋は合理主義に基づいて事物を弁別せんとしましたが、そもそも東洋においては一見非合理としか思えないやり方で物事の真実に向かおうとして、そしてそれはある種の成功を見ているわけです。計測可能であることに重きを置いた西洋からすれば、さぞや日本のやり口は奇妙で神秘的に見えたことでしょう。西洋人がそれまで絶対的ととらえてきた理屈を、真っ向から否定するかのような態度でもってことにあたる。なにしろ、力学やなにかといったメカニズムを否定した上、言語で説明するということさえはなからあきらめているとしか思えないのですから。しかしこの不確実で非合理にしか思えない方法をとりながらも、振舞いといい芸術といい、そのなされることは一流国のそれだと、幕末の日本を見た西洋人は口を揃えていったといいます。西洋とは全く違ったやり方でもって築き上げられた文化に接し、あたかも奇跡のように感じたとかいう話を聴けば、驕れる西洋に一撃を与えた当時の日本の程度がわかろうというものです。
この間、音楽をやっている友人連中(といっても、私の場合は音楽に関わらない友人の方が少ないんだけど)集まって、アンサンブルの下準備みたいなことをやったのですが、その合間にとりあえず今現在私に歌える歌を披露したりしたわけです。例えばそれは『
私は芳文社のまんがタイムだけではなく、双葉社のまんがタウンも買っているのですが、昨日発売のまんがタウンオリジナル(2005年7月号)掲載の『うちの大家族』にはやられました。なんというんでしょうかね。私はこの人の漫画を読むときは、力を抜いているんですよ。身近によくあるナンセンスを拾い出してきたようなネタといい感じに脱力した作風が重野なおきの味だと私は思っているもんだから、自然そうしたギャグの雰囲気に読む側もあわせるわけです。
もうずうっと前のこと。学生時分、私は少しでも自分の知識やら見識やらを広めたくて、いろいろ古典の類いに手を出してはわからないなりに咀嚼しようと懸命でした。ヘーゲルの『
誰にも素直になれない思いというのがあると思うのですが、私にとっては『

今日は、というか、今日も職場で字に関するごたごたがあって、それはつまりコンピュータの扱える文字、扱えない文字の問題です。
この漫画のヒロインつぐみは、アパートの一室に引きこもって出てこようとしないいわゆる引き籠もりタイプでありまして、けれどその暮らしは質素ながらも実に朗らかで、暗さや悲嘆なんてものはかけらもないんです。そんなつぐみを見てると、私もどちらかといえばインドア派ですから、こういう暮らしというのにはなんだか憧れてしまったりしていけません。けれどもね、忘れちゃいけないのですが、つぐみはアパートから出ようとしない駄目な人のようでありながら、実はそうではなくて、在宅でできる仕事を見つけては精を出す自立した人なのです。楽しみや趣味もあれば、たびたび訪ってくれる友人もあって、実際のところ、私なんかよりもずっと立派だよなと思うのです。
ラジオで聴いて耳を疑ったというか、なんじゃこの曲はというか、いや曲がどうとかというのではなくて、問題は編曲だったのです。なんというのでしょう。銃声が使われてるのですよ。フレーズの終わろうとする小節の最終拍に拳銃の発射音が毎回響いて、私はこのむちゃなアイデアに腰も砕けんばかりに驚いてしまいました。銃声の使われている曲というのは意外と多いのですが、たいていはここぞというところを見計らって一発(ないし数発)使うから効果的なのであって、例えば久石譲の『
私はそもそも昔からバッハをはじめとするバロック音楽が好きだったのでありますが、中でも『無伴奏チェロ組曲』が好きでして、というのも、実際自分もこの曲を(チェロではないにせよ)演奏してきて、思うところが多いというせいなのでありましょう。大学にサクソフォンで入学して、最初に練習してくるようにと渡された曲が『無伴奏チェロ組曲』の第一番でした。ジャン=マリー・ロンデックスによってサクソフォン向けに編曲されたものを使ったのですが、なにしろ私はその頃オーセンティシティなるものにとりつかれていたもんだから、原典版やら自筆譜やらを図書館で借りだしまして、すっかり楽譜を書き換えてしまったのも懐かしい思い出です。
なんでかわからないんですが、私は仕事先でコンピュータの保守みたいなことをするようになってまして、特定のコンピュータに不具合が出たら、データを救出し、コンピュータを再セットアップし、データを書き戻し、設定を整えリリースするという、— けど、なんでこんなことやらされてるんだろ(つまり契約外なのじゃ)。まあ、世の中にはいろいろよくわからない事情があるんです。
テレビから耳に覚えのあるサウンドが聴こえて、はっとして思わず顔あげました。おお、こりゃDonovanじゃんか! けど悲しいかな私はDonovanには詳しくなく、なにしろDonovanというのがバンド名なのか個人名なのかも知らんとくるんですから最悪です。そんないい加減なリスナーですから、当然曲名もわからない。好きで、散々聴いた曲なんですけどね。ほとほと困ってしまいましたよ。
最近のアニメにはどうにもこうにもついていかれない私ですが、平成もまだ一桁だった頃のになりますと目がないといいますか、もう言葉もないほどに好きなんですね。以前紹介しました『
ふたごが可愛い! 『ふたご最前線』はそのタイトルの示すように双子が主人公の漫画なのですが、その子供らがませてて可愛いんですよね。
実は今日は
今日は中国帰りの友人を、ちょっと打ち合わせに顔見せをかねて訪問しまして、そこで教えてもらったのが『射雕英雄伝』。今、中国で人気沸騰中のテレビドラマなのだそうです。日本語では『しゃちょうえいゆうでん』と読みまして、ちょうの字は本当は周に鳥と書くのですが、環境によっては出ないので雕を当てることが多いようです。
皆さんはご存じでしたでしょうか? 今日、五月四日はアリスの誕生日です。アリス? アリスといえばあの世界的に有名なアリス、アリス・プレザンス・リデル(後のハーグリーヴズ夫人)に決まってるではありませんか。あの、不思議の国を旅した少女です。
鬼平犯科帳の映画をテレビでやってましてね、鬼平なんて私は久しぶりに見るんですが、ああやっぱりこいつはいいわあと骨抜きになってしまいます。中村吉右衛門演ずる長谷川平蔵のかっこいいこと。いや、恰好いいのは平蔵さんだけじゃありゃしませんぜ。周りを固める脇役からも渋味苦味の味わい深く、はたまた演出見せ方も実に堂に入って立派。ええ、こいつはいいですよ。毎週のテレビを楽しみにしていた昔を思い出しました。
私は、ついこないだから体調を悪くしてしまって、ほんの二日程度ではありますが寝込んでいました。腸が塞がったために起こる苦しみに七転八倒してみたり、熱に浮かされておかしな夢にうなされてみたりと、でもまあ一日二日で快方に向かうようなものですから、たいしたものではありません。一応、明後日には完全復旧している予定。まあ、予定通りには物事運ばないものだから、どうなるかはちょっとわかりかねますけれどもね。

『アルバート・ヘリング』はイギリスの誇る作曲家ベンジャミン・ブリテン作曲のオペラでありまして、その全体にかわいらしさの漂う作品は、なかなかに気の利いて楽しく、面白いものに仕上がっています。オペラというと、なんかゴージャスな宮廷風恋愛みたいのを、こってりと表現したものみたいに思ってらっしゃる方もいらっしゃるかわかりませんが、この作品はそんな感じじゃなくて、やはりそれは二十世紀という時代の作品であるからでしょう。
