2008年11月25日火曜日

Junction, taken with GR DIGITAL

PedestrianGR BLOGのトラックバック企画、2008年11月のテーマはなにかといいますと、、道であります。しかし、道と一言にいっても、いろいろ趣向を凝らせそうなテーマで、最もシンプルに考えれば風景写真としての道があるかと思われますが、よりテーマを抽象的に捉えることで、幅広い展開もできそうに思います。人生の岐路、これが私の生きる道、等々。そうした主張の仕方に、写真を撮る人、選ぶ人の個性が現れてくるのではないかと思うから、GR BLOGに寄せられるトラックバックを見るだけでも楽しく、また新たな気付きもある。刺激を受けるのですね。

さて、私はそうしたイメージを広げるのは苦手ときているので、即物的に道を撮りました、そういう写真をピックアップしてみました。

最初に大阪は十三の景色を撮ったものを出してみましょう。夕刻、いよいよ日が沈もうという頃に撮ったもの、渡り掛けの歩道橋から臨む、阪急のガード下に落ち込んでいく道路であります。

Street

そして、同じく大阪ではありますが、こちらはもう少し都会といいますか、JR大阪駅の向かいですね。いわゆる大阪キタであります。右にJR駅ビル、左は阪神百貨店ですね。

High road

大阪、大阪と続きまして、今度は京都です。四条通りですね。ちょうど、新京極をでたところ、横断歩道を渡る途中で撮っています。

Shijo Avenue

以上三枚を見てもおわかりかと思いますが、私はどうも左右対称、シンメトリカルな構図が好きなようですね。といいましたところで、真打ち登場です。再び、大阪は十三に戻っていただきまして、これがもう見事なシンメトリカル。それはもう、我が目を疑うほどに左右対称でありました。

Junction

真ん中に鏡はありません。

おまけ

見ろ、道が川のようだ!!

Flooded road

Flooded road

いやあ、洒落にならなかったです。事務所が浸水しちゃって。

2008年11月24日月曜日

聖母たちのララバイ

 NHKでやってる歌謡ショーを見ていたら、岩崎宏美がでていまして、私、子供の頃、この人の『聖母たちのララバイ』が好きで好きでたまらなかったんですよ。この人のデビューした頃については、幼すぎてよくわからない、だから『ロマンス』とか『シンデレラ・ハネムーン』とかはほとんど覚えになくて、もう、それこそ、『聖母たちのララバイ』以降一色といった感じでした。もっと有り体にいえば、『火曜サスペンス劇場』の主題歌のラインが好きだったのですね。ほら、『家路』とかもヒットしたと思うのですが、とにかくああした曲調が好きで、しかし子供の頃の私が『火サス』のエンドテーマが流れるような時間まで起きていたとは思えない。再放送とかで見てたのかしら。ともあれ、好きだった。そして、そうした曲を好きだというのは、間違いなく『聖母』があってのことだと思うのですね。

しかし、なんでこんなに『聖母たちのララバイ』、ひいては岩崎宏美が好きだったものか。唐突ですが、私には従姉があって、その名前が博美でした。だからというわけでもあるのですが、幼稚園の頃は郷ひろみが好きで、しかし岩崎宏美の頃には、さすがにその呪縛からは自由になっていました。だから、純粋にその曲調、歌いぶり、そして歌詞、内容にひかれていたのでしょう。あ、そういえば、ピアノの先生の名前も博美だったな。突然思い出してなんだけど、私がピアノを習っていたのは先生が好きでだったのだから、いや、だからといって名前だけで岩崎宏美を好きになったということはないはずです。

高校を卒業してすぐくらいでしょうか、私はこの人のベスト盤を買っていて、それは『全曲集』というタイトルで、さすがにこれが全曲を網羅してるだなんて思いやしなかったけど、でも主要な曲は押さえているのかなあ、そういう思いもあって買ったことを思い出します。あの頃、『ママは小学4年生』が大ブームでしてね、ええと、私の中での話なんですけど、その主題歌を歌っていたのが益田時代の岩崎宏美で、『愛を+ワン』、私はやっぱりこの歌好きでしてね、久しぶりに聞いた岩崎宏美にすっかりやられちゃって、それでベスト盤を買ったというわけです。いや、買わずにはおられなかったといった方がいい。私の当時行き付けのCDショップに岩崎宏美『全曲集』を見付けて、たまらず買ってるのだもの。それくらい、『聖母たちのララバイ』を聴きたかったんですね。

しかし、この歌を聴くたびにいつも思うのですが、二十代半ばの女性が、母となって疲れた男達を抱き留めようという内容を歌っていたという、1980年代の世相を考えるとなんか切ないものがあります。80年代頭は、景気減退期だったらしいですが、そうした状況で疲弊していた男達は、この歌を聴いてほっとするものがあったのかも知れませんね。そうした世相を捉えて作られ、そうした世相が受け入れヒットした、後からいうのは簡単なんですけどね、でももしかしたらそうだったのかもなって思うのです。

DVD

オムニバス

2008年11月23日日曜日

女郎蜘蛛

おそらく次は『女郎蜘蛛』でお会いすることになるかと思います。

他のタイトルを差し置いて『女郎蜘蛛』を選んだのは、苦手なジャンルから片づけていこうという意図からであったのですが、プレイしはじめて、ちょっと困りましたね。だんだん楽しくなってきたんですよ……。さて、詳細を語る前に『女郎蜘蛛』について少々。これは、PC-9800シリーズ向けのゲームであるのですが、『遊べる!!美少女ゲームクロニクル《PC98編》』といういかしたムックにプレイ可能なゲームが収録されているものだから、Windowsでも遊べます。メーカーはストーンヘッズ、ブランドはPIL、ジャンルは縛り系SM、といったわけで、これは自分には合わないなと思っていた、思っていたんですね。

けれど、そうはなりませんでした。未亡人とその後見人が支配する北畠屋敷にて夜な夜な繰り返される執拗な責め。仕事を得られると聞いて屋敷を訪れた主人公は、毎夜、責めに加わることを余儀なくされ、しかしなぜこのようなことがおこなわれているのか。責められるのは、ほかならぬ未亡人未砂緒とその娘である蝶子。謎が渦巻く北畠屋敷にて、主人公は秘められた真実を暴くことができるのか!? 大ざっぱにいうと『女郎蜘蛛』はそういうゲームで、日中は屋敷の謎を暴くべく行動するアドベンチャーゲーム、夜は女達を縄で縛り責めるという育成、おっと間違えた、調教シミュレーションゲーム、ひとつのゲームにふたつのテイストが用意されているのですね。

さて、はじめた当初、残念ながらそうした趣味を持ち合わせていない私は、夜間のシミュレーションを、単にパラメータをあげるだけのルーチンワークとして捉えてプレイしていまして、縛るたびに上昇するプレイヤーキャラの疲労度、それが100になる前に縛りを完成させ、効率的に各種パラメータをあげよう。本当にそれだけの、まさしく作業というべきプレイを淡々とこなすだけでありました。

けど、ええと、北畠屋敷にはもう一人娘がありまして、茉莉絵というのですが、この娘だけは責めを知らなくてですね、本当に明るくていい子なんですが、当初庭にいくと茉莉絵にあって話ができる、そうした時間を持つことでだんだんに仲を深めることができまして、いやあ、なんといいましても夜があれでしょう、もう心のオアシスなんですよ、この子が。本来ならば、私の好みは蝶子のような、影のあるちょっと不幸な娘なんですが、というか蝶子はちょっとどころでない不幸を背負っているわけですが、その私が茉莉絵に幻惑されて、この子だけは、この子だけはあの異常な世界に落としては駄目だ、なんとしても守らなくては、みたいなのりになって、そして、一緒に逃げようといっちゃう。かくして訪れたエンドは「茉莉絵は何も知らない」。もうネタバレでいきますが、舞台は大正、浅草十二階で駆け落ちを決行するんですが、ということは震災前ですよね(十二階は関東大震災で倒壊します)。つまり、震災がくるわけですよ。でもって、母親も後見人も死んじゃう。蝶子だって、死んじゃう。生き残ったのは私と茉莉絵と執事北川だけ。そして、茉莉絵はついにあの屋敷でおこなわれていたことを知らぬままでありました、と、そういうエンドであるんですね。

正直、私はこれで満足っちゃあ満足です。茉莉絵は首尾よく守りおおせたわけだし、酷い母さんも、ろくでもない後見人もいなくなっちゃうわけで、まあ蝶ちゃんが死んじゃうのはなんともいえず悲しいのですが、でも蝶子は茉莉絵を守りたかった、私も茉莉絵を助けたかった、ふたりの思惑は一致して、だからこれでよかったんだ、とは思ったものの、ゲームとしてはおさまらんわけです。てなわけで、駆け落ちを持ちかけず、屋敷に帰ってきちゃう。そうしたら、その夜から茉莉絵も責めを受けることとなってしまいまして、なんてこった! いや、そうなんだろうなあとは思ってたんだけど、けどこれはあんまりだ!

でも、ここからゲームの質が変わったように思います。だって、私の縛り対象が茉莉絵にロックオンですよ。これまで蝶子を縛っていた時は、どことなくなおざり感漂う、荒っぽい、適当そのものの仕事ぶりであったというのに、茉莉絵となれば、最初は軽い縛りから徐々に慣らして、だんだん複雑で絢爛なものに移行していこう、だなんて調教戦略を考えるようになって、おかげで茉莉絵のレベルはがんがん上がるし、プレイヤーキャラの技術もがんがん上がるし、プレイヤーの練度もがんがん上がった。しかし、なんでなんだ。気に入っていた娘なんだろう? といわれれば、そうです、気に入っている娘です。だからこそ、縛るんです、脇目も振らず縛るんですよ! 自分のいっている言葉の意味がわかりません。けど、愛しているからこそ縛るんだという、そうした趣味はわかるようになったような気がします。だから、困ったなと。本当の本当に困ったなと思っているのですね。

私は未だ茉莉絵オンリープレイですけれど、夜は縛り、日中は純愛を貫くという二重生活がたまらないといいますか、夜の行為は後見人に強要されているから仕方がないんだ、なんていいわけしながらですね、縛る。この背徳感が、日中の純愛を装う交流をより一層に甘味なものと変えて、お互いが背徳をともに抱えている、だからこそ自由であれる間だけは清く愛し合おう。このアンビバレンス! 困った。私はこんな感情を理解したくはなかったぞ。だって、一度理解してしまえば、後は深まるばかりではないですか。

この後の予測を少々。私は茉莉絵とのハッピーエンドを迎えた後には、きっと蝶子に向かうでしょう。今は感情を殺している蝶子ですが、もしこの娘が主人公に本心を漏らすようなことにでもなれば、無表情の向こうに隠している感情の息衝きが感じられるようになるのだとしたら、きっと私は転がり落ちるように蝶子の支配下に落ちて、命を賭しても君を助けるよプレイになるんだろうな、そのように思います。といったわけで、なおさらまずい。もう、どうしようもなくはまりそうな危険性がぷんぷんしているといったわけで、やはり後は深まるばかりであるのですね。

  • 女郎蜘蛛 — 呪縛の牝奴隷達

引用

2008年11月22日土曜日

秋冬

 例年なら、もう寒さが身にしみる、外で歌うだなんてあり得ない、そんな季節でありますが、今年は夏が長すぎました。いつまでたっても日中は暖かく、先週になってようやく寒さが厳しくなってきた、そんな少々おかしな天候は外で歌う私にはうってつけで、ええ私はまだ、昼の休みにギターを持って、駐車場脇で歌っています。そんなある日のことでした。中島みゆきの『わかれうた』を歌っていたら、足を止めて聴いてくれた女性がひとり。どうもその方はご近所の方みたいですね、私の歌っているのをよく知って下さっているみたいで、そして歌って欲しい歌があるんだっておっしゃる。それは『秋冬』。お兄さんの声で聴いてみたいわ、とおっしゃるその言葉が嬉しくて、『秋冬』について調べました。

そうしたら、知っている曲でした。といってもうろ覚え。なんとなく聞き覚えているといった程度なのですが、それでもこれは紅白歌合戦でも歌われたものらしく、時は1984年。まだ歌謡曲に力が、勢いがあった時代ですね。紅白で取り上げられる歌となれば、だいたい誰でも知っているくらいに浸透していた。そんな時代の歌謡曲です。

けれど、これを歌うとなったら楽譜が欲しいところ。けれど、いったいどんな曲集を買えばいいんだろう……。全音の『歌謡曲大全集』か。調べれば、その第6巻、昭和56年−昭和61年に入っていて、しかしこの曲集高いからなあ。四百曲くらい入ってるから、高くて当然、だってプロフェッショナル・ユースなんだもん、てなもんですが、自分が買うにはちょっと躊躇してしまいます。いや、だって、歌で収入があるわけではないですからね。だから別のものとなると、同じく全音の『歌謡曲のすべて』か。これ、上下巻に分かれているのですが、上巻には明治から昭和にかけての愛唱歌、ヒット曲が927曲収録されて、お値段4,200円(税込)。598ページあって、もちろん『秋冬』も入っています。こっち買っておこうかなあ。

『秋冬』のレコード(CD)を探すと、やっぱり高田みづえが出てきますね。紅白でこの曲を歌ったのはこの人で、だから当然といえば当然この人による歌唱が一番知られることになったわけですが、けれど音源として欲しいといっても、ベスト盤やシングルベストを買うのは厳しいです。私が高田みづえのファンならいいんでしょうが、別にそういうほどでもないわけだから、ということでさらに探してみたら、原大輔のマキシシングルが見つかって、カップリングは『恋おんな』、ただしラテンバージョン。これ、どんな歌なんだろう。どうにもこうにも手を出しにくいものがある、そんな風に思います。

聴いてみれば、どことなく懐かしさも感じさせる歌謡曲、この歌が好きだという人があるのもわかります。歌ってみれば、情感の盛り上げもしっかりあって、歌謡曲らしい、その曲調になんか安心します。けど、私の聴いたのは、テレビで歌う高田みづえの版です。その歌い方がですね、すごく引っ張って引っ張って、そうして盛り上げるというものですから、そのように私が歌うと正直気持ち悪い。これをコピーしたら、きっとひんしゅくものだろうな。やっぱり、高田みづえの歌い方は、高田みづえだからよいのです。

といったわけで、やっぱり楽譜を持ったものかな。そんなことを思いながら、テレビよりもあっさりと歌っている高田みづえの版も持っておきたいかななどと、少々思うのでありました。オムニバスに手を出すべきかなあ。これ、半分くらい持ってるんですよね。ああ、迷いますね。

高田みづえ

原大輔

オムニバス

2008年11月21日金曜日

パティスリーMON

  パティスリーMON』の序盤は、購読していた『You』で読んでいて、けれど購読をやめてからは単行本を待つしかなくなって、まあこれは以前にもいっていた話。実は、その後、再び連載を追うことになります。というのは、二年ほど通った病院の待合に、看護師さんが置いてらっしゃったんでしょうかね、『You』が常備されていたのですよ。おおー、これは嬉しい。かくして連載に復帰して、結果単行本への期待度は少し下がってしまいました。けど、今はもう病院にかかってないから、当然連載も追えないわけで、だからこの9巻には私の未だ知らぬエピソードが! これはすごく楽しみだぞ! 再び単行本への期待度が上がっているのですね。

そして、物語はいよいよ佳境!? いやね、音女の大門への思いが、なにやら暴走気味になっちゃってるものですから。『パティスリーMON』はレディーズコミックで、それはつまり対象読者層である女性の興味や問題が漫画に反映されるということであろうと思うのですが、『パティスリーMON』では主に仕事、結婚を扱って、そしてついに恋が物語の中心を陣取ろうとしています。これはいよいよ動くぞ。そう思うとわくわくします。けれど、それが仕事への悪影響をもたらしたらどうしよう、そう思うとはらはらします。でも、作者はきら、私はこの人の物語の運びに十全の信頼を置いているのですが、だからきっとなにが起ころうとも大丈夫。私はわくわくはらはらしながら、この先に起こることを待てばいいのです。

これまでにも音女の恋心というのはちらほら顔を出して、時に人間関係に影響し、物語を劇的に動かしてきたと思うのですが、しかし物語の中心にそれが陣取ることはなかったと思うのですね。少なくとも、音女の中では大きくとも、MONというケーキ店とそこでの仕事、スタッフたちの関係の中では、中心的ではなかった。私はそのように捉えていて、それがついに物語の中心に位置した。こうなれば、『パティスリーMON』は、ケーキ店とそこでの人間関係を描く物語から、音女の恋に駆動される物語に移行していくのだろう。そう思うからこそ、わくわくもはらはらもするのですね。

しかし、こうして見れば、『パティスリーMON』というのは、音女が仕事を通じ自己を認識し、恋を自覚していく物語であった、そんなふうにいってもいいものかも知れません。私はこれまでこの漫画を、大門と愉快な仲間たちに音女が加わる物語だと思っていたように思います。ただ、仲間がいれば楽しい毎日というのは理想だけど、そうは問屋が卸さない。離別があったし、また新たに加わる人が引き起こすドラマがあって、それはそれははらはらしました。けれど、少しずつ問題はクリアされていった。そのプロセスは妙に納得できるもので、というのは私も似たような経験をしたことがないわけでもなかったから。こうした経験のあったため、私の興味は音女の恋心よりも人間関係のドラマに向いていたのかも知れませんね。ですが、これからは物語も私の興味も、そしてもちろんヒロインである音女自身も、その恋心を軸に動いていくことになろうかと思われて、これは本当に楽しみだ、そう思います。

さて、この段階で書いておかないと、今後きっかけがないかも知れないから、いっときたいと思います。ちいさい大門は本当に可愛いなあ! 思わず抱きしめたくなるくらいだ! じゃなくて、ショコラティエ安藤ですよ。こういうサバサバしたキャラは同性に好かれるんですね、って、私のタイプって、もろこういう人なんですが。女臭くない、気さく、けれどサバサバしたキャラクターの向こうに、ちょっとしっとりしたものを隠しているでしょう? 多分この人は、自分が可愛くないとか美人じゃないとか、そんな感じの引け目みたいなのを持っていて、そうした自分の弱い部分を防衛するためにサバサバしたキャラクターを演じている、みたいなところもあるんだと思うんですよ。だから、私はこういう人を見るといいたくなる。あなたはすごく魅力的だし、素敵ですよって、そういいたくなる。もっと自信を持って欲しい。だって、こんなにも魅力的なんだから。いや、安藤が眼鏡かけてるからそういってるわけじゃないよ。前髪の切り揃えが凛々しいから、そういってるわけでもないよ。ああいう人好きなんだ。悲しさや切なさを隠している。そうした憂いが、時に表情に差すことがある、それがとびきり美しくって、どきりとさせるではないですか。

といったわけで、私のポジションは新田なんだと思います。だから新田は応援しない!

  • きら『パティスリーMON』第1巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2006年。
  • きら『パティスリーMON』第2巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2007年。
  • きら『パティスリーMON』第3巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2006年。
  • きら『パティスリーMON』第4巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2007年。
  • きら『パティスリーMON』第5巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2007年。
  • きら『パティスリーMON』第6巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2007年。
  • きら『パティスリーMON』第7巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2008年。
  • きら『パティスリーMON』第8巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2008年。
  • きら『パティスリーMON』第9巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2008年。
  • 以下続刊

引用

2008年11月20日木曜日

ヒーター付きマッサージ座椅子

長く使ってきた座椅子の座面が破れたのはいつのことだったでしょうか。だいたいが、長く使いすぎたといってもいいくらいで、iBook G4を入手した時にはもうとっくに使い始めていた、というかくたびれかけていたくらいだから、少なくとも五年、下手したら十年くらい使っていた? そんなに高いものでもない、本当に安物の座椅子なんですけど、その座椅子の座面がついに破れてしまったんですね。だいたいが私は一度気に入ったらそれを決して変えようとしない、そういう傾向がありまして、破れた座椅子を当て布かなんかで補修して使い続けようかどうしようか迷っていて、けれど基本的に腰が重いから、そのまんまで使っていたら、中のウレタンがぼろぼろになって出てくるわでもう大変で、早くなおさないと本格的に使えなくなるな、そう思っていた時に出会ったのが日本直販のヒーター付きマッサージ座椅子でした。

これは、いけるかも知れない。見た時にそう思いました。背の少し高い座椅子、その名が示すようにヒーターとマッサージ機構が内蔵されている、といってもヒーターは腰のあたり、マッサージといっても揉むのではなく、背腰腿あたりに内蔵された五つのバイブレーターが振動するといった程度、あんまり期待しちゃいかん感じです。でも、私の期待したのはそうしたおまけ機能ではなく、もともとの座椅子としての機能であります。くたびれたどころか、あちこちにがたがきている座椅子には勇退願って、そろそろ新たな風を取り入れてもいいのではないか。そのように思ったんですね。

座椅子は注文して二週間ほどできました。時間がかかったのは、注文殺到で商品が一度払底したからなんだそうですが、まあ二週程度なら余裕で待てますわね。といったわけで、先日到着、早速使って、もはや馴染みかけているといった次第であるのですが、これ冬は暖かくていいけど、夏は暑いかもなあ。まあ、これはその時に考えよう。

ヒーター及びマッサージ機能ともに、運転十五分で自動で切れるというのは、切り忘れる可能性を考えるとありがたい仕様であろうかと思います。けれど、ヒーターがすぐ切れるのは困るのではないか、そういう向きもあるかも知れません。実は私も最初はそう思っていたのですが、実際に使ってみると、十五分も経てば自分の体温で充分に暖まっているから、それ以上に暖める必要はなさそうなのですね。もしこの先、より以上に寒さが厳しくなったなら、そんな悠長なこといっていられないかも知れないですけど、だったらその時にはもう一度スイッチを入れたらいいだけの話です。うたた寝でもして、腰を低温やけどするとかよりも、寒いな、スイッチ入れよう、そちらの方がずっといいと思います。

そしてマッサージ機能ですが、これに関してはもう振動機能といっていいくらいだと思います。強弱の切り替えも可能ですが、弱で充分です。最初はゆっくり、背、腰、腿と順番順番かわりばんこに震えているかと思ったら、だんだん全部が一緒になって震えるようになってきて、最後はもうがくがくするくらいになって、ちょっと、これ、脳が揺さぶられてまずいんじゃない? そう思うくらいです。まあ、若干大げさにいってますけど、さっき二セットほど、つまり三十分ほど震わせてみたら、正直やり過ぎたと思うくらい、なんかちょっとくらくらします。

この座椅子が、10,500円でした。ちょっと高い? けど私は、この価格で充分満足できるだけのものはあったと思っています。そして、これをまた十年くらい使うんでしょうね。とりあえず、座面が破れたらそれが交換時期だと思います。

2008年11月19日水曜日

償い

 昨日は佐藤両々の『こうかふこうか』で書いたわけですが、以前このタイトルで書いた時には、さだまさしの『無縁坂』を引用したから、今回も……、と思ったわけではないのですけど、『親父の一番長い日』をピックアップしたわけです。で、その歌詞を確認しようとした時に、『償い』も聴いてしまいまして、もう月並みな感想であるとは自分でもわかっていますが、それでもあえてそういわざるを得ない、いい歌です。胸に迫るものがあります。交通事故を起こした青年のその後の話を題材に書かれたこの歌は、容易に目をそらすことのできないほどに引きつけて、本当にいい歌です。

いつの事件だったか知らないのですが、裁判官がこの歌を紹介したということがあったとかで、話題になったのだそうですね。調べてみれば、2002年2月のことだそうです。この出来事がきっかけとなって、再びこの歌は広く知られるようになったらしいですが、それ以前にも口伝えにこの歌の存在は知られていて、私が知ったのは父からでした。おそらくは会社で同僚か誰かに教えてもらったのでしょう。その頃の話題は、実話をもとにした歌がある。それがそれがとにもかくにもいい歌なのだというもの。そして私が実際にこの歌を聴いたのは、テレビで放送されたのがきっかけで、テレビでは何度くらい聴いたかなあ、一度はミュージックフェアだったと思う。あと、NHKでいつだったかやってたように思う。これ以外にも後一度くらいは聴いているはずなのですが、ちょっと思い出せない。ともあれ、一度聴けば忘れられなくなる歌であると思います。胸を突く、胸に迫る、言い様はいくらでもあると思うけれど、でもそのどれもが聴いて得られた思いというものを告げるには足りないように思う。だから、やっぱり聴いてもらうしかないのだと思うのです。受け取るものは、人それぞれできっと違うだろうけれど、しかし感じるものの大きさは、きっと同じであるはずだと、私はそのように信じます。

さだまさしというと、台詞調の長い歌詞をあの独特の高音で歌い上げる、そういう印象が強いですが、『償い』はあの内容の深さにして、曲はいたってシンプル。また歌詞も、二番までと短い。歌われる出来事は、発端があり、そして結尾があり、その途中にあっただろうことに関しては、聴くものの想像にまかせるかのように、簡単にすませられてしまっている。しかし、あの歌の膨らみは並々ならぬものがあって、凄まじい。さだまさしはもとより豊かな情感を詞に込め、歌うことのできる人ではあるのだけれど、そうした実感を上回ってさらに豊かな世界をその身のうちに抱えた人だのだと思わせる歌であるのです。

私は、さだの歌は、全部じゃないけど、そこそこ聴いて、知らない歌を知るたびに、そこにまたこの人の新しい印象の加わるように感じて、新鮮な感情が一種普遍的な感動とともに押し寄せてくるのですね。それは『償い』を聴いた時も同様でした。そして今、この曲を聴いても同じく押し寄せてくるものがあるというのですから、ああ、これはやはり名歌であると、思わないではおられない一曲です。

2008年11月18日火曜日

こうかふこうか

  ちょいと人を避けようと、いつもは寄らない書店に入ってみたら、『こうかふこうか』の2巻が平積みされていたのでありました。『こうかふこうか』は、とにかく不幸に見舞われるOL福沢幸花がヒロインの四コマ漫画で、それは確かに面白いんだけど、読んでいると幸花のあまりの不運さになんともいいようのない複雑な気持ちがたまってきて、哀れというか、切ないというか、なんとなく釈然としない、そうした気持ちといってもいいのではないかと思います。それは特に2巻で強く感じて、けれどなぜだったのだろう。仕事帰りの車内、読み切れずかばんにしまって、私はいったいなぜ幸花の境遇にこうも引っかかっているのだろう、そんなことを思ったのでした。

幸花の境遇は、時に人の悪意を受けることはあるけれど、基本的に誰に嫌われるでもなければ、疎んじられるわけでもない、そんな平凡なものに見えるのに、しかし持って生まれた凶運か、とにかく裏目裏目がでてしまうという、そんな娘です。でも、作者は佐藤両々。佐藤両々といえば、ひどい目に遭わされる男の事例には事欠きません。それは例えばゲボキューで、そして日生弟。お姉さま的上司にひどい目に遭わされるゲボキューは、それはそれで楽しそうだからいいとしても、血を分けたお姉さまに本当の本当にひどい目に遭わされる日生弟は、まああれはあれで楽しそうだからいいか。って、なぜ幸花だったらつらくって、ゲボキュー、弟だったらまあいいかなんだろう。この自分の中に存在するダブルスタンダードについて、はたと考え込んだのですね。

そういえば、プレイするのがつらいといっていた『脅迫』ですが、これもしプレイヤーキャラが男だったらノープロブレムだよなあ、なんて思っていたのでした。弱みを握られて、性的な行為を強要されるわけです、男が。このシチュエーションで相手が女であるわけないですよね。当然男。男が男を脅迫し関係を迫る。そうしたシーンを想像した時、正直いけるなと思った。ヒロインだったら受け付けなかったシナリオが、ボブゲーとして再構築されると、充分受け入れ可能になるという事実に気付いた時、私の中に二重の基準が存在するとはっきりしてしまったのですね。

しかし、これいったいなんなんだろう。

やっぱり、女の子が不幸になるのが耐えられないのかなあ。男だったら、そのシチュエーションにむしろ萌えるというのに!? あまりの違いに自分がびっくりですが、男女同権主義者を標榜している自分が実は女の子に甘かったとか! これは、これは考えをあらためんといけません。女子にも、女子にも厳しくいかないと!

以上は冗談ですが、少なくとも私が『こうかふこうか』のヒロインの境遇に、なにかつらさを感じたのは事実なんですね。間が悪いわけじゃなくて、無神経無思慮無反省の三無主義みたいな男、岩井の物損系ネタの被害を幸花が被る時、さらには岩井の口から福沢の所為で怒られた…などという言葉が聞かれよう時などは、そりゃないよ……、って気分になって、ちょっとやりきれない思いになって、もちろんそうした彼の態度やもろもろは作中で突っ込まれるし、批判もされるのだけど、それでもそりゃないよ……、って思う気持ちは止められなかったのでした。

けれど、帰りの電車で読んだ時は少々つらくも感じたこの漫画、風呂から上がって、布団に入って、そうして続きを読んだら自然と笑みもこぼれて、なんだろう、この感触の違いは。それは緊張状態にあった時 — 、仕事という多少なりともストレスのある環境から完全に切り離されていなかった時と、自室という安心できる場所にいるという状況の違いのためであったのかも知れません。私のぴりぴりとしながら読んだのは、私の心に余裕がなかった、かたく閉じていたためだったのかも知れない。私の気持ちが緩んでさえいれば、もっと鷹揚に構えて、楽しく読める漫画であるのだろう。読み手である私の心次第ということなのだと思いました。

そして、もう一点、大きな状況の変化が作中にもたらされて、それは岩井の真実を見た時、私は目を閉じ深く息をして、なんだか許せる気持ちになったのでした、読者として。

彼の、自分の気持ちをただ伝えたかったというそれは、あるいは無思慮で無遠慮であったのかも知れないけれど、しかしなによりも直接的で、そしてそのまっすぐであった彼は、幸花の仕合わせな状況を大切に思うため、おそらくは彼の最大級の配慮をするんですね。そのちょっといたずらっぽく笑って、きっとなんらかの感慨もあっただろうのに、それをおくびにも出さずにすませてしまった姿は、ちょっとかっこいいなと思った。なんだ、いい男じゃんか。涙でかすんだ目の中に私は、今までで一番立派な岩井の姿を刻み込もうとしていた、読者として。

だから私は、この第2巻を不安をともに開いた気持ちを、第3巻にまで持ち越すことは決してないだろうと、そのように予測しています。

  • 佐藤両々『こうかふこうか』第1巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2008年。
  • 佐藤両々『こうかふこうか』第2巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2008年。
  • 以下続刊

引用

2008年11月17日月曜日

脅迫

ちょっと前に、はじめたっていってましたけど、クリアしましたよ、『脅迫』。PC-9800時代のゲーム、プラットフォームはDOSで、ハードウェアの制約からカラーは16色しか使えないんだけど、プレイしてみると、そんなことちっとも感じさせない充実ぶりでした。もし私がこのゲームで表現されている内容を苦にしないなら、きっと充分に楽しめたろう、そう思うのですが、いかんせん、私には刺激が強すぎました。なんというのだろう、ヒロインが脅迫され、関係を強要されるのですが、私はことこの強要というのがあわないらしく、かわいそうでかわいそうで仕方がなかった。ルートはいくつかあるけれど、ベストと思われるものでも、決して仕合わせな結末だったとは思わない。いや、このゲームの楽しみは、いかにヒロインが救われないかという、そこにあるのでしょうから、やっぱり私には向かないゲームであったと、そのように思います。

しかし構造はというと、ヒロイン=プレイヤーキャラであるわけですから、ちょっと倒錯的といえばそのような気がします。プレイヤーはあくまで男性であるわけだけど、男性が女性の視点で、性的にひどい目に遭わされるという状況を眺める、あるいはそうした方向に進ませるという仕組みなんですよね。果たしてそうしたシーンでプレイヤーが感情移入するのは、行為を強要する相手方の男であるのか、それとも望まぬ行為を強いられているヒロインの側なのか、そのどちらかでずいぶん楽しみの質は変わってくるように思います。

単純に、この清楚なお嬢さんがどんなひどい目に遭わされるのだろうか、という期待でもってプレイすると、それはやっぱり強要側の楽しみにのっかっているように思うのですが、もしプレイヤーがヒロインの立場に立つというのなら、それは少々被虐的な要素が見えてくるように思います。今ヒロインは、すなわち私は、こんなひどい目に遭わされてる! そこに喜びを見出すわけですが、多分こういうプレイヤーはまれだろうと思うのですね。じゃあ、やっぱり強要側に立つしかないのかといえば、そうではなく、もう一人、ヒロインに告白した男性、ヒロインの恋人である良介の立場というのもあるかと思うのですね。

このゲームは結局のところ、良介のために一線を防衛するという、その一点に集約されるのですが、これ制作者にいわせればゲームにするための苦肉の策だったというのだそうですが、ともあれ、ヒロインを強要者の好きにさせるのではなく、可能な限り逃げる、というか、かわすことが要求されます。いわば良介のために操を立てるわけですが、この良介的視点をとることで、このゲームは恋人を望まぬ相手から守る、あるいは守り切れずに奪われてしまうといった展開を期待することができるのです。この構造を一言で言い表すなら、そう、寝取られということになると思うのですが — 、私、この手のジャンルもよくわからんのです……。なんで、好いた、惚れた相手を、見知らぬ、いや知ってればなおさらか、誰かに奪われないといけないのよ。そう思う私には、このみっつ目の視点もつらいことには変わりなく、ええ、『脅迫』を楽しめる可能性はもう皆無といってもいいくらいでした。

それでもクリアできたのは、偉大なるヒント機能のおかげです。このゲームにはヒント機能があって、どの選択肢が正解なのかを教えてくれるのですね。もちろん、オンにしておかないといけませんよ。そして私は正解機能をオンにしたものだから、どの選択肢を選んだら、どのエンディングに向かうかを、余すことなく知ることができたのです。って、ゲーマーの風上にも置けねえな、こいつ。ええ、ごめんなさい。でも、テキスト追いたくなくて常時スキップだったから、これがないと進むに進めません。でも、テキストすっ飛ばしてるものだから、突然妹が巻き込まれてたりして、ええーっ、いったいなにがあったんだ!? 驚いている間に、姉妹でひどい目に遭って終わり。うー、爽快感がないよう。一応、自分たちの力で困難を克服するエンドもあるのですが、それにしても支払った代償が大きすぎるだろうと、そんな風に思う私はやっぱり向いていないのだと思います。

あ、そうだよ。校門で良介にあって、この件を相談し、翌朝一緒に張り込んでもらうエンドがあるじゃんか。これだと、誰も不幸にならない、だって脅迫は成立せず、もみ消されてしまうんだもの。いや、駄目だ。一人不幸なままだ。むー。つらいゲームだなあ。

でも、ヒロインやその友人、家族の身に及ぶ不幸に、たまらない喜びを感じるという人にはきっと楽しいゲームです。あるいは、そうした不幸に身を切られるような思いをするのがもうたまらんという人にもきっとおすすめ。

……私はヒロインが仕合わせなのが好きです。

さて、『脅迫』は『遊べる!!美少女ゲームクロニクル《PC98編》』に収録されていたゲームでした。この雑誌には、あと七本のゲームが収録されているから、そこから次にプレイするものを選ぶとするなら — 、PILの『女郎蜘蛛』かなあ。って、よりによって縛り! いやね、苦手なジャンルからプレイしていかないと、絶対中座するから。だから、おそらく次は『女郎蜘蛛』でお会いすることになるかと思います。

  • 脅迫

2008年11月16日日曜日

ロマンス・コンシェルジュ

 ネコ侍』を買うついでに、『ロマンス・コンシェルジュ』も買ったのでした。作者はご存じ九州男児。カップルでお泊まりのお客様のご希望にお応えして、おふたりの関係をより親密なものとするためのお手伝いをするのが、ロマンス・コンシェルジュの仕事であるのですが、なにしろ作者が松山花子どころか九州男児であるわけですから、一筋縄でいくはずもありません。まず、来る客来る客、男同士のカップルばかりというから問題です。というか、これはジャンルの問題であって、むしろ男同士でないほうがより問題という気もするのですが、まあそれはおいておくとしまして、すご腕のチーフコンシェルジュ遠藤貞矢氏がさばく、カップルの問題。それが面白くてたまらないのです。

やってくるカップルのバリエーションは結構幅広く、力関係を利用するカップルがあらば、自分たちの気持ちを確かめたいと思ってやってくるカップルもある。さらには片方がノンケである、それどころか両方がノンケであるというケースもあって、しかしロマンス・コンシェルジュの手にかかれば皆最高のハッピーエンドを迎えることができるというのですから素晴らしい。

最初は男同士のカップルに引き気味だったスタッフなのに、いつしか嬉々として前向きに取り組む姿勢を身に付けたかと思えば、最後には男同士の縁結びのサーヴィスで知られるまでになって、これはホテルにとってはいいことなのかどうなのかわからないというところも最高だと思います。しかし、こうしたジャンルに限らず恋愛ものというやつは、うまくいくかどうかがわからないという、あやふやな確定前状況における機微こそが面白く、そしてそこに障害となり得る要素が加わればより一層に面白いと、そんな風に思います。『ロマンス・コンシェルジュ』は、恋愛に悩みを持ったカップルが多く扱われるわけですから、私のいう恋愛ものの楽しみにあふれているのは当たり前。しかも、確定していなかった関係はきっと確定するわけであるし、その際には問題となっていた要素はきっちりとクリアされている。そのクリアするというのも、簡単に除去して終わりというわけではないんですね。誤解であった、あるいは後一歩の踏み込みが必要だった、きっかけがないと動けない関係だった、どんなでもいいのですが、引っかかっていたところにコンシェルジュがちょいと後押ししてやれば、後は当人たちで問題を乗り越えてしまうのです。障害を乗り越えて結実する愛というもの、そのプロセスそして達成感こそが恋愛ものの醍醐味よのう。ええ、すごく楽しんで読むことができる一冊でした。

しかしですよ、やっぱり九州男児ですから、ギャグタッチもあるわけで、あからさまに状況を告げる、その告げ方が面白いのはいつもどおりの味わいです。私は笑って笑って、散々笑って、しかしまさかこの人の漫画でほろりと泣いてしまう日がこようとは思ってもいませんでした。ええ、確かにべたな展開でした。どうもこうもなくべたな展開で、しかしそのべたさが私の涙を絞ったのです。それはRoom 10でのこと。だってノンケの染田がほだされたんだ、私だって泣くくらいのことはするだろうと、しかしあそこであそこまで泣けたのは、まさかあんな展開でくるとは思っていなかった、あくまでもギャグの延長だろうと思っていた、その心の油断がためでしょう。心がすっかり開いてしまっていたために、虚を突かれてしまったのでしょうね。それはやはり、組み立て方の勝利であろうと思います。そして私は、いい話だったと、そのように心にとどめて、読み返してまたいい話であったと、噛みしめる次第でありますよ。

引用

2008年11月15日土曜日

カルドセプトDS 公式完全ガイド

 カルドセプトDS』のガイド本、二冊目が出ましたね。私は以前、どちらを買おうかなんていいながら、早々にメディアファクトリー版を買ったのですが、この度出たエンターブレイン版も買ってみました。いやね、乗りかかった船かなと思いまして、どっちも買って比較してみるのも悪くないかなって。まあ、いいお客さんなんじゃないかと思います。さて、エンターブレイン版は後発の強みといいますか、前に出たものでは扱われていなかった情報が載っていて、例えばそれはメダルの獲得条件やあるいはEカードの詳細ですね。まあ私はメダルを集める気はさらさらない(酷い)からそのへんはどうでもいいとして、またEカードもそのうち手に入ったらわかるだろうと、気にしてこなかったんですが — 、いい加減でごめんなさい。でも、合体してみないとわからないバンドルギアの能力がわかるのはちょっとありがたいですね。そして、あると嬉しい詳細情報も補足として載っているのもありがたかった。さて、その補足とはいったいなんなのでしょうか。

補足その一は、オムニポーテントの効果一覧。オムニポーテントで呼び出せる七種の効果の詳細が記されています。補足その二は、ミスティエッグの育成。与えるアイテムで姿を変えるミスティエッグ、なにを与えるとなにに変化するか、その一覧です。補足その三は、4属性のカード一覧。各属性に用意された魔術師系クリーチャーや、四属の王、武器、盾、巻物等々を一覧できます。次が能力別クリーチャー一覧。能力からの逆引として使える、これはメディアファクトリー版にも、さらには特典カードガイドにもありましたね。そして最後が、戦闘時の能力/効果発動順。そう、私はこれが見たかったんです。

『カルドセプトDS』では、戦闘時の能力発動テーブルが変更されているため、過去の常識が通用しなくなっています。例えば、先制クリーチャーと後手アイテムの関係がおそらく最も目立った変更じゃないかと思うのですが、旧作では後手アイテムを先制クリーチャーに持たせた場合、クリーチャーの先制が優先して、アイテムの後手は発動しませんでした(確か、常時先制が優先?)。ですが、今回は違います。註にもはっきり書かれているとおり、先制・後手はあとから発動するアイテムの効果が適用されるのです。これは正直ちょっとショックです。以前なら、先制クリーチャー中心でブックを組んだら、武器は後手がつくかわりに安いヘビーハルバードを選択するという判断もあったけれど、今作ではこれが無理。つうか、今作ヘビーハルバードを使う人っているの? とまあこんなありさまです。

戦闘タイムテーブルには他にも詳細な記述があって、強打弱打は後から発動したものが優先。過去作ってこのへんどうでしたっけ。常に強打が優先したような気がするけど、基本的に強打武器って使ってこなかったから、ちょっとわかりません。といったように、具体的に経験してみないとわからないようなことが、きちんとわかる。ということは、あやふやな予測で戦闘に踏み込むのではなく、きっちりと、変化分も含めた計算ができた状態で戦いに臨めるということで、実際これはちょっとしたアドバンテージです。あやふやだと、守れる戦いに無駄にアイテムを消費したり、あるいは攻める時にも、落とせるつもりで足りなかったり、返り討ちに遭ったりしますしね。

そして、リープ系スペルについてのコメントもありました。私の記憶が正しければ、旧作では土地にナンバーが振られていて、その数の大きいほうだったかに向かって飛ぶんですよね、このスペルって。だから、同距離に狙いの属性の土地がふたつあった場合、どちらに飛ぶかは土地のナンバリングを知ってることで判断ができた、と思うのですが、この本によるとDS版では、進行方向が優先らしいんですね。そうなのか、いっぺん今度試してみよう。分岐がある場合はランダムとかいってるけれど、それも試さないとわからんか。いやね、先だってのWi-Fi対戦でのこと、スネフの西エリアのほこらにいたとき、レイクリープを使って城隣の水土地にいきたかったのだけど、砦隣に戻ったら最悪じゃないですか。使ってみろよ、使えばわかるさ。いや、それはそうなんだけど、使って手を遅らせて負けたくない。でも、もし相手が自分より手の早い相手だったら、迷っているようじゃ駄目なんですね。どちらにいくか事前に判定して、迷いなく使う使わないを判断する必要があります。そうしないと追いつけない。だから、これはもう経験なんでしょうね。使っといたらよかったなあ。城隣は自分の土地で、砦隣は人の土地だったんだけど。人の土地を踏んだら、なにやってんだろうって感じだけど、ガッツくらいは認めてもらえたかも知れないなあ。

この本には、他に各ステージでもらえるカードの種別についての表があったり、またそうした情報だけでなく、ダイス目操作スペルを使った場合の期待値を、マップごとのダイス目最大値ごとに計算してみせたコラムもあるなど、結構読んで面白そうなところも多いです。またカードの解説は丁寧で、特にクリーチャーでそう思ったのですが、即死であるとかの追加効果、これは攻撃が当たらないといけないのか、当たらなくてもいいのか、そうしたあいまい性が解説により排除されているのは、特にこのゲームを始めたばかりという人にはありがたいのではないかと思います。ただ、即死の確率が、解説の中にしか書いていないのはちょっと不親切かも知れません。ぱっと探して、ぱっと見ただけの段階では迷います。このへんは、特殊効果の欄にも確率が記載されていたメディアファクトリー版の方が親切だったと思います。けどスペルになると、各スペルに効果アイコンが記されているこちらの方が逆に親切になって面白いですね。

カードリストのレイアウトは、こちらの方が私の好みでした。ページごとにクリーチャーカードは五枚、アイテム、スペルカードは七枚記載されています(メディアファクトリー版は六枚八枚でした)。あ、そうそう。ブックの構築例もこちらの方が多かった。大宮ソフトや猿楽庁から提供されたブックもあって、いろんなブックを見たい人にもいいかと思います。

引用

2008年11月14日金曜日

ネコ侍

 九州男児の『ネコ侍』は面白いよ、そういう評判を聞いて探したのは2007年4月のことでありました。けれどショックなことに、出版社が倒産したとのことで入手困難品となっているとかで、かなり品揃えのいいその店でも払底していました。店員さんにうかがえば、リブレ出版が引き受けて後々出していくだろうというお話。そうかあ、ならそいつを待とうか。数店探してどうしても見つからないから、いつか出る新装版を待つことにしたのでした。そしてそれから一年と半年、書店の新刊平積みに念願の『ネコ侍』を発見ですよ。ああ、ついに読める。野郎盛りの乙女侍 今日も理想の雄を狩る!! ネコ侍伊福部弥的ヤマトの活躍が、ついに読めます。

読んだ。面白かった。いや、しかし、本当に面白かったです。

私の中で九州男児は、かなり理屈に傾いた作家という印象があったのですが、その印象が一気に取っ払われたといった感じであったのですよ。私が知っていた九州男児の面白さといったらですね、心理学なのか動物行動学なのか、あるいはジェンダー論であるとかマッチョ思想であるとか、そうしたなんらかの理屈を持ち出してですね、一見無理とも思える展開を裏付けるおかしさ、あるいはそれら理屈をひっくり返してしまうことのおかしみ、そういうものであったというのに、『ネコ侍』はものすごくシンプルな話の運びをして、しかもそれがべらぼうに面白いのです。基本は、恋慕して振られるの繰り返し。毎回、紆余曲折を経て訪れる山場、いよいよヤマトの願いやかなうか! と思ったところで、華麗に裏切ってみせるその展開の妙ったら最高でした。いや、裏切られるのはヤマトの積年の夢であって、読者からしたら待ってました、ってなものであるのかも知れませんね。しかし、様々なパターンを駆使し、見せ場に向かって盛り上げる手は王道、そしていよいよ果たされるかというところで急転直下、落ちに突っ込む流れは九州男児の持ち味が発揮されて、素晴らしかった。本当、これ面白いよとおすすめされた、そのおすすめという理由もわかろうというものでした。

さて、これは書こうか書くまいか迷ったのだけど、まあいいや書いちゃおう。ヤマトの夢というのはですね、三十路までに処女を捨てることなんだそうでして、そう、ヤマトは受けなのですね。ゆえにネコ侍。理想のタチを求めて行脚するも、誰でもいいというわけではなく、己を倒した男にこそその操を捧げようとかたく誓って、ああいじらしいじゃないですか、この乙女心。でも、かたく誓っていたはずなのに、追いつめられればだんだんに手段を選ばなくなり、さらにはなりふりも構わなくなり、しかしその醜態、暴走するヤマトの面白いことったらなかったです。普段の台詞のやり取りにさしはさまれる、台無しないしは明け透けな一言も面白いのだけど、やっぱり一番は心からの叫びよな。傷心のヤマト、いややけっぱちなのかな、どっちでもいいんですが、彼のそのまっすぐさは妙に引きつけるものがあって、いやそうじゃない、いつだって彼は魅力的でした。彼が魅力的だったからこそ、彼の夢がかなうことを望んだのだし、彼が魅力的だからこそ、彼の夢がかなって物語が終わってしまうことをことさらに怖れていた、そんな風にも思えるのですね。

ちょっと追記。新装版は、旧版に博多編、あとがきを加え、だからもう少しヤマトの活躍が拝めます。しかし、博多編、のっけから大笑いなんですが、というかこのお相手のエピソード、ちょっと勝海舟を思い出しました。実際のところ、勝は無事だったんですが、いや待てよ、江戸時代の珍事件を集めた本が家にあったんだけど、そこにそんな話が載っていたような気がする。九州男児も、そうした珍エピソードをもとに発想しているのかも知れませんね。

  • 九州男児『ネコ侍』(ビーボーイコミックス) 東京:リブレ出版,2008年。
  • 九州男児『ネコ侍』(ビーボーイコミックス) 東京:ビブロス,2004年。

引用

  • 九州男児『ネコ侍』(東京:リブレ出版,2008年),カバー。
  • 同前,カバー。
  • 同前,4頁。

2008年11月13日木曜日

なきむしステップ

 『まんがタイムきららフォワード』というのはなんだか不思議な雑誌で、チョイエロエロコメが人気であるかと思えば、少女誌に載っていてもおかしくないような漫画もあって、はたしてこの雑誌の購読層とはどういうものであるのか、創刊から見ている私からがわからないというそんなありさまです。さて、今日取り上げた『なきむしステップ』は、その後者の系列、少女誌に載っていてもおかしくなさそうな漫画であります。泣き虫な女の子、奈々ちゃんが、人付き合いが苦手で引っ込み思案というその性格を克服して、思い人杉原君との関係を深めていくという漫画。ほら、先達て『ひだまりスケッチアンソロジーコミック』で書いた時に、うさぎの漫画といっていた、それが『なきむしステップ』です。

なんでうさぎの漫画なのかといいますとね、奈々ちゃんと杉原君はうさぎを飼っている、そのうさぎが実にいいキャラクターを演じているのですよ。奈々ちゃんの飼ってるうさぎは、ちょっぴり勝ち気なねねちゃん。つり上がり半月目のうさぎ姿もキュートですが、擬人化高ビーお嬢さんのねねもまた素晴らしい。杉原君の飼っているうさぎは、ちょっと気弱であかんたれっぽいシロクロ。奈々ちゃん杉原君の恋は、うさぎが取り持つどころか、まさにうさぎに後押しされて始まる恋とでもいったほうがそれっぽい。うさぎという、二人の関係に直接的に干渉できる立場でないものが、非常に大きな役割を担う、そうした物語の組立もなかなかに面白いのです。

そして、やっぱり主人公たちがいいんだろうなと思うのですね。通しで読んでみて思うのは、タイトルにそうあるように、泣き虫の奈々ちゃんがいかに勇気を振り絞って、苦手なこともの、苦境から逃げず、乗り越えていくかという、そういう物語。そこには自分への気付きがあり、成長があります。自分を取り巻く環境、社会、そして人たちとの関係を、自分も変わることにより、少しずつ変化させていく。まさに伸びる若草のようではないですか。そして私は、変化し、伸びていこうとする、そうしたものを見るのが好きなんです。だから、私はこの漫画が始まって、その物語の前へ前へと進む様に目を奪われてきました。そして、それは第1巻に収録された最後のエピソード、第7話「みんなでステップ」で完全に好きになった、そんな風に感じるのですね。

いや、ちょっとネタバレなのであれなんだけど、作者がカバー下裏表紙にて曰く、第6話で奈々ちゃんが嫌われるのではないかという話。いやさ、私は第6話読んで、杉原酷いな! つうか、駄目だろこれって、思ったのですよ。うん、奈々ちゃん悪くないよ!! つうか第6話は、なんで奈々ちゃんばっかりが心を砕いているのだろう、砕かなければならないのだろう、そうしたところに同情するやら反省(?)するやら、いやもう第6話で奈々ちゃんが悪いと思ったのはおそらくは作者さんだけじゃないのかなと思いますです、はい。

そして、この回があるから、第7話が光るとそう思って、まるで自分の外に広がる世界だけが輝いていると思ってきた、自分を中心にまるで世界を遠巻きにうらやんできたかのような奈々ちゃんが、ついに世界に向かって踏み出したなと、そうした描写が奈々ちゃんの成長を本当に実感させてよかった。一回り大きくなって、ものごとに対等に向き合えるようになってこそ気付けるものがあって、そしてこれまで自分の中に押し込められてきた感情が解放されて、奈々ちゃんはずっと魅力的になった、そう思います。

しかし、よくよく考えれば、勇気を出してきたのはいつも奈々ちゃんのような気がして、ええと、杉原君負けてるぞ!

  • カザマアヤミ『なきむしステップ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ) 東京:芳文社,2008年。

引用

2008年11月12日水曜日

すいーとりぼん!

 『コミックエール』と『まんがタイムきららフォワード』のコミックス、発売日が変更されまして、毎月の12日になりました。なんだか忘れてしまいそうですね。もういっぺん書いておきましょう。12日。毎月12日に発売されることとなりました。その第一弾、エールからは『すいーとりぼん!』がリリースされまして、これは買わなくてはならない。単行本発売を知った瞬間にそう思いました。いや、私はもとよりかたぎりあつこという人の漫画が好きで、それは『まんがタイムジャンボ』にて連載されている『ハッピーカムカム』。これがですね、非常によいのですよ。女の子のコミュニティものとでもいったらいいのでしょうか、女友達で集まってわいわいやっている様が楽しい。私はそういうタイプの漫画が好きなんですね。華やかで、けどたまに苦味をしのばせてくる、けれどそうした味も甘さの中に消えてくのさ。さて、『すいーとりぼん!』。こちらはというと、魔法少女がヒロイン、けれど……、やたら苦味が強いのですが。なんつうか非常にシビアな話が出てきて、なのに彼女は魔法少女!? そのギャップは最高です。

とはいっても、私は魔法少女はよくわからないのですよ。そうしたジャンルがあることは知っています。一時期などは、スタジオぴえろの魔法少女ものが一世を風靡しましたよね。けど、一度も見たことがないのですよ。数年前だったかなあ、たぶん『クリィミーマミ』をKBS京都かなあ? でちょこっと見ただけ。ええと、クレープ屋のワゴンが出てくるのはマミ? だとしたら多分それで正解。しかし、それで私の知識は打ち止めです。ええと、『ミンキーモモ』は結構見てたんですけどね。新モモは関西では半分くらいしか放送されなかったので、よく知らないのですが。ピピルマピピルマプリリンパ、でしたっけね、変身の呪文。あと呪文で知ってるといえば、華麗なるせーちょー、が『ファンシーララ』? ピリカピリララのびやかに、が『どれみ』? ホロレチュチュパレロが『グランゾート』で、エトカフェナンが『魔法使いTai!』、ナイタイクスプッチトテポが『ときめきトゥナイト』。後は……、も、もう出ないか……。とまあこんな私ですから、かたぎりあつこ的魔法少女ものである『すいーとりぼん!』を、はたしてどれだけ正しく受け止められているか、正直なところ自信がありませんな。

『すいーとりぼん!』、その構造はドラえもん的とでもいいましょうか、ある日魔法少女のすいーと♡りぼんが友美の家にやってきた! 出会いはネットの掲示板、ケータイ代の支払いでお母さんとけんかしたりぼんは、なんと家出、友美の家に転がり込んできたのです! ……。微妙に塩辛い設定です。魔法少女とは、夢と希望にあふれ、出会う人たちにしあわせを運んでくる、ものではないんですか? ないんですね……。少なくとも、りぼんは違う。口調がぶっきらぼうだったり、割と辛辣だったり、実はひきこもりだったり — 。ひきこもり!? やけに現代的なテーマだな。いや、小さな挫折が次の一歩を踏み出させなくすることってあります。彼女だって — 、いや、これ以上は私の口からは話せません。

といったわけで、別の切り口から見ていきましょう。

魔法少女、それは本来は、女の子の憧れなんだと思うのですね。魔法という不思議な力がもたらす神秘とは、大人になる、違う自分になる、私の知っている誰かになる、そうした変身の力であったりすることが多いですが、戦わない魔法少女とは、少女の発達過程における変身願望を満足させるものであったと思うのです。憧れの職業、憧れの大人、憧れのアイドルになる。それはなりたい自分を模索することであり、いわばごっこ遊びの延長です。ところが、『すいーとりぼん!』はそうではありません。彼女は挫折をすでに経験してしまっている。見た目こそは少女でありながら、少女の頃をとうに過ごしてしまっている。ゆえにその立ち位置は、少女の憧れる変身ヒロインであるというよりも、むしろ自分を克服しようともがく悩めるヒロインにシフトして……。

これはやっぱり、『エール』の購読層を見越しての設定なのでしょうか。だとしたら、いい線いっていると思います。少なくとも私に関してはドンピシャ。挫折以降向かう方向さえ定めることができず、いまだ迷走を続ける日々から抜け出せない私にとって、りぼんは同じ悩みを持つ同志であったとさえいえるのかも知れません。彼女のいらだちは私のいらだちに似ている。プライドばかり高いから、また失敗することが怖くて踏み出せない。そんな魔法少女というのもまた面白いものがあるなあと。普通なら、少女の夢、希望、憧れを一身に背負う、そうした存在であるはずの — 、そうなるはずだったりぼんが、私のような人生に疲れた人の共感を一身に集めている。なんだか、侘びしく思えるかも知れないそうした設定が、逆に、ああがんばれと、怖れを乗り越えて、一歩を踏み出せと、そうした応援したくなる気持ちを沸き立たせたと思うのですね。

見た目は可愛く、ストーリーにしても、定番どころをしっかり押さえて、しかしそこに潜むシビアでシニカルな視線は、ただ可愛いだけでないりぼんの魅力を強く押し出していたと思います。同居人、というかりぼんが押し掛けたのですが、友美のやわらかでしなやかな健やかさが、すさんだりぼんの心をあたたかく手当てするかのような物語は、読んでいてとても和らぐものでありました。甘く、甘く、苦く、やわらかに触れる物語は、ちくっとした痛みを残し、そしてとける。面白かったです。

  • かたぎりあつこ『すいーとりぼん!』(まんがタイムKRコミックス エールシリーズ) 東京:芳文社,2008年。

2008年11月11日火曜日

竹田の子守唄

 私はこの歌を実のところあまり知らずにいて、それこそフォークソングが人気だった時代、愛唱されていた、それくらいの知識しかなかったのですね。実際、長くどんな歌であるか知りませんでした。もしかしたら聴いたことはあるのかも知れませんけど、私は以前はそんなにフォークには興味がなかったものですから、聴いてもそれっきりで忘れてしまっていたのかも知れません。いや、あるいは、放送禁止歌とされた時代があった、そのために耳にする機会すら限定されてきたのかも知れません。私がこの歌を明確にそれと意識したのは、森達也の『放送禁止歌』を読んででした。

『放送禁止歌』によれば、『竹田の子守唄』は部落に関係する歌であるから、放送禁止になっていたというのです。しかし、そんな馬鹿な話があるか。私の感想は、その一言に尽きます。これは、京都の竹田地方に伝わる民謡であるそうで、歌詞に出てくる在所、それが被差別部落を指している、しかしだからといってなぜこの歌が放送禁止の憂き目に遭わなければならないのだろう。だって、誰かを貶め、差別しようというような要素なんて、この歌のどこからも感じられません。むしろ、つらい子守の仕事をとおし吐露される心情の切々と訴えかけること、そしてまた、そのメロディの美しいこと。それを、あたかも腫れ物に触るようにして、放送禁止つまりは自粛するという、そうしたことが私にはわかりません。

けれど、2005年のNHK趣味悠々『あの素晴らしいフォークをもう一度 — 紙ふうせんのギター弾き語り入門』ではこの歌が取り上げられて、歌っているのは紙ふうせん、赤い鳥を前身とするフォークデュオでありますが、この赤い鳥がこの歌を大ヒットさせたのだそうですね。私はこの歌は知らないといっていましたが、数年前、友人が弾く二胡の伴奏を頼まれた時に練習し、そして今ではそらで歌えるようになっています。その際に参考にしたのが、NHK趣味悠々のテキストで、ええ、こうして再び歌われ、放送にのるようになったこと、本当によいことであると思います。

けれど、放送禁止歌であったという過去は、今でも暗い影を落としていて、以前なにかのおり、この歌を歌おうかといった時、それ放送禁止歌だろうと、距離を置くように言い捨てられたことがあって、ええ放送禁止歌でした。ですが、その自粛にいたった背景や、また放送禁止という処置がなんらの根拠もない過剰な自粛、自己防衛に過ぎないということは知っておいて欲しい。その時私は、無用な争いを避けたい一心で、特に抗弁することもなく、ただこの歌を引っ込めてしまったのですが、機会があれば歌いたい歌であることは今も変わっていません。

オムニバス