私はこの歌を実のところあまり知らずにいて、それこそフォークソングが人気だった時代、愛唱されていた、それくらいの知識しかなかったのですね。実際、長くどんな歌であるか知りませんでした。もしかしたら聴いたことはあるのかも知れませんけど、私は以前はそんなにフォークには興味がなかったものですから、聴いてもそれっきりで忘れてしまっていたのかも知れません。いや、あるいは、放送禁止歌とされた時代があった、そのために耳にする機会すら限定されてきたのかも知れません。私がこの歌を明確にそれと意識したのは、森達也の『放送禁止歌』を読んででした。
『放送禁止歌』によれば、『竹田の子守唄』は部落に関係する歌であるから、放送禁止になっていたというのです。しかし、そんな馬鹿な話があるか。私の感想は、その一言に尽きます。これは、京都の竹田地方に伝わる民謡であるそうで、歌詞に出てくる在所、それが被差別部落を指している、しかしだからといってなぜこの歌が放送禁止の憂き目に遭わなければならないのだろう。だって、誰かを貶め、差別しようというような要素なんて、この歌のどこからも感じられません。むしろ、つらい子守の仕事をとおし吐露される心情の切々と訴えかけること、そしてまた、そのメロディの美しいこと。それを、あたかも腫れ物に触るようにして、放送禁止つまりは自粛するという、そうしたことが私にはわかりません。
けれど、2005年のNHK趣味悠々『あの素晴らしいフォークをもう一度 — 紙ふうせんのギター弾き語り入門』ではこの歌が取り上げられて、歌っているのは紙ふうせん、赤い鳥を前身とするフォークデュオでありますが、この赤い鳥がこの歌を大ヒットさせたのだそうですね。私はこの歌は知らないといっていましたが、数年前、友人が弾く二胡の伴奏を頼まれた時に練習し、そして今ではそらで歌えるようになっています。その際に参考にしたのが、NHK趣味悠々のテキストで、ええ、こうして再び歌われ、放送にのるようになったこと、本当によいことであると思います。
けれど、放送禁止歌であったという過去は、今でも暗い影を落としていて、以前なにかのおり、この歌を歌おうかといった時、それ放送禁止歌だろうと、距離を置くように言い捨てられたことがあって、ええ放送禁止歌でした。ですが、その自粛にいたった背景や、また放送禁止という処置がなんらの根拠もない過剰な自粛、自己防衛に過ぎないということは知っておいて欲しい。その時私は、無用な争いを避けたい一心で、特に抗弁することもなく、ただこの歌を引っ込めてしまったのですが、機会があれば歌いたい歌であることは今も変わっていません。
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