昨日は佐藤両々の『こうかふこうか』で書いたわけですが、以前このタイトルで書いた時には、さだまさしの『無縁坂』を引用したから、今回も……、と思ったわけではないのですけど、『親父の一番長い日』をピックアップしたわけです。で、その歌詞を確認しようとした時に、『償い』も聴いてしまいまして、もう月並みな感想であるとは自分でもわかっていますが、それでもあえてそういわざるを得ない、いい歌です。胸に迫るものがあります。交通事故を起こした青年のその後の話を題材に書かれたこの歌は、容易に目をそらすことのできないほどに引きつけて、本当にいい歌です。
いつの事件だったか知らないのですが、裁判官がこの歌を紹介したということがあったとかで、話題になったのだそうですね。調べてみれば、2002年2月のことだそうです。この出来事がきっかけとなって、再びこの歌は広く知られるようになったらしいですが、それ以前にも口伝えにこの歌の存在は知られていて、私が知ったのは父からでした。おそらくは会社で同僚か誰かに教えてもらったのでしょう。その頃の話題は、実話をもとにした歌がある。それがそれがとにもかくにもいい歌なのだというもの。そして私が実際にこの歌を聴いたのは、テレビで放送されたのがきっかけで、テレビでは何度くらい聴いたかなあ、一度はミュージックフェアだったと思う。あと、NHKでいつだったかやってたように思う。これ以外にも後一度くらいは聴いているはずなのですが、ちょっと思い出せない。ともあれ、一度聴けば忘れられなくなる歌であると思います。胸を突く、胸に迫る、言い様はいくらでもあると思うけれど、でもそのどれもが聴いて得られた思いというものを告げるには足りないように思う。だから、やっぱり聴いてもらうしかないのだと思うのです。受け取るものは、人それぞれできっと違うだろうけれど、しかし感じるものの大きさは、きっと同じであるはずだと、私はそのように信じます。
さだまさしというと、台詞調の長い歌詞をあの独特の高音で歌い上げる、そういう印象が強いですが、『償い』はあの内容の深さにして、曲はいたってシンプル。また歌詞も、二番までと短い。歌われる出来事は、発端があり、そして結尾があり、その途中にあっただろうことに関しては、聴くものの想像にまかせるかのように、簡単にすませられてしまっている。しかし、あの歌の膨らみは並々ならぬものがあって、凄まじい。さだまさしはもとより豊かな情感を詞に込め、歌うことのできる人ではあるのだけれど、そうした実感を上回ってさらに豊かな世界をその身のうちに抱えた人だのだと思わせる歌であるのです。
私は、さだの歌は、全部じゃないけど、そこそこ聴いて、知らない歌を知るたびに、そこにまたこの人の新しい印象の加わるように感じて、新鮮な感情が一種普遍的な感動とともに押し寄せてくるのですね。それは『償い』を聴いた時も同様でした。そして今、この曲を聴いても同じく押し寄せてくるものがあるというのですから、ああ、これはやはり名歌であると、思わないではおられない一曲です。
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