正直、こういう売り方は勘弁していただきたい。いや、ほんま。『観用少女』を買いにいったときの話なんですが、朝日ソノラマの平積みをざっと見回したその時、おおっと、気になる表紙を発見。『ロンド・リーフレット』じゃないか。『ロンド・リーフレット』というのはLittlewitchからつい先達てにリリースされた18歳未満はプレイできない呪いのかけられたゲームで、もちろん持ってるんだけど(持ってるんだ……)、その『ロンド・リーフレット』の漫画が出てたんですね、 — と思ってよく見たら、アンソロジーコミックと銘打たれていて、そうかあ、公式アンソロジーの類いかあと思ってよくよく見たら、ん? なんか変だぞ。だって、タイトルは『メイドアンソロジーコミック』。『ロンド・リーフレット』のロの字もないのです。じゃあ、一体これはどういった類いの漫画なんだろう。
答えは帯にありました。
巻頭カラー
リトルウィッチ『RONDO LEAFLET』
メイド・イラストギャラリー
そう、これはただのタイアップ、企画ものなんですよ。さらには少女マンガ家が織り成す7つのメイド譚
とのこと、少女マンガ家と謳って表紙巻頭にアダルトゲームを持ってくるあたり、チャレンジャブルというかそも乱暴というか、混乱ぶりがかいま見えるような気がします。
収録作はメイド縛りで、今どきメイドというのもなんだかなあという気もしますが、だって有り体にいえば過ぎ去ったブームじゃないですか。そこにあえてメイドアンソロを『メイドアンソロジーコミック』というひねりもなにもあったもんじゃないタイトルで出してきて、ほんま、売る気あるのか、と問いたい私は結局この本買っています(買ったんだ……)。
でも、作家は豪華ですよ。せっかくだから、収録作品を書きだしてみましょう。
- 三原ミツカズ『天国と地獄』
- 秋乃茉莉『Bitter or Sweet』
- 川原由美子『観用少女・御喋りな墓標』
- 柴田昌弘『さえらの付き人』
- 吉田ふらわ『影を慕いて』
- 時友美如『Do!!? Doll! Doll!?』
- 島本麻衣子『カエルのメイドさん』
このうち、川原由美子と柴田昌弘以外は全て単行本未収録作で、未収録と聞くとちょっと得した気分になるのは正直なところ。けれど、本文184ページ中『観用少女』が76ページを占めていて、しかもその話というのが同日購入の『観用少女』〈夜香〉収録だから、この辺はすごく損をした気分……。まあ、どっこいどっこいかなあ。
読んでみて、知っていた作家も知らなかった作家も、結構面白かったり、それなりに面白かったり、読み物としてはそんなに悪いばかりでもないというのは実際のところです。ただ、短い話は8ページで終わったりして、正直物足りなさ、食い足りなさというのが強く感じられたり、こういうバランスの悪さというのはどうしたものかな……。短いから悪いとはいわないんですが、短い中できちんと話を構成して読ませてくれるのもあるから別にいいといえばいいんだけど、けど柴田昌弘のは続きを期待させるような振りして終わりという、ああ、なんてつれない、すごく殺生な気がします。正直、なにかの前日談的エピソードを思わせるような内容だから、ほんと、本編があるようなら買おうと思ったんだけどなあ。
という感じ。気に入った感じの漫画もありましたし、これまで知らなかった作家に出会うこともできたなど、漫画に対する視野も少し広がったように感じるのですが、この本を一冊きりで評価するならすごく微妙であると思います。人には勧めません。でも買って後悔もしていません。こういうところも実に微妙です。
- 三原ミツカズ,秋乃茉莉,川原由美子他『メイドアンソロジーコミック — Maid in Wonderland』東京:朝日ソノラマ,2007年。
引用
- 三原ミツカズ,秋乃茉莉,川原由美子他『メイドアンソロジーコミック — Maid in Wonderland』(東京:朝日ソノラマ,2007年),帯。
Amazon.co.jpにいったらですよ、お勧めがあるっていうんです、お勧めが。ほんで、トップページに表示されたうちの一冊が『教艦ASTRO』ときましてね、おおお、なかなかの選択じゃありませんか。ちょうど今日、この漫画、買ってきたところでありますよ。というわけで、今日は『教艦ASTRO』。この漫画、『まんがタイムきららキャラット』にて連載されている学園ものなんですが、実はちょっと異色です。主人公が教員、メインの四人でいうと保健体育科、国語科、外国語科、そこに養護教諭が入って、学生そっちのけで教員同士の楽しい世界を繰り広げている。いや、まあね、そりゃ漫画だからちょっと現実的な話からしたらどうよってなところもあったりなかったりするんだけど、でもそんなの振り切るぐらいに面白いから気にならない。むしろ、これ読んでると、こんなに教員が楽しいなら今からでも教員目指しちゃおうっかなあなんていう気にもなって、いやいや、危険です、危険。なにしろ私は教員という職には向かないのですから。
私はこないだこんなこといっていました。




『
昔、サクソフォンを吹いていた私が今はギターを弾いている。この転向にいろいろ理由はあるのですが、どうもそうした理由を手繰っていくとエリック・クラプトンにまでさかのぼることができるのではないかなあと、そんな風に思っています。そもそも私は最初は自分の歌を伴奏できる楽器(ピアノのようなんじゃなくて、持ち運べるやつで!)をやりたいと思っていただけで、ギターと決めていたわけではないのです。ですが巷ではギターがブームで、ブームであるがゆえに私はギターに背を向けて中国の楽器琵琶(ピパと読みます)をやりたいと思ったんですが、結局は環境の充実しているギターに落ち着いたとそういう経緯があります。で、その環境の充実の理由というのは、MTVで放送されたエリック・クラプトンの番組、『アンプラグド』が大当たりしたために引き起こされた世界的なアコースティックブームに由来しているようなのです。
大学は四回生の夏休み、誰でもいいからひとり作曲家を選んで、その作品を聴きまくれという課題が出たんです。でもさあ、誰でもいいからといって本当に誰でもいいってわけじゃないから難しいのです。例えばですね、おとつい
一般に流布される自閉症のイメージというのは明らかに偏っていて、というほどに私は自閉症について知っているわけではないのですが、けれどそれでも自閉について語られるときには、ある一定の傾向の認められることが多いように感じています。そこには多分に誤解が含まれており、内向きにこもる傾向を自閉症と例えるなど、明らかに知られていない、自閉という言葉に引きずられるままに誤って捉えられている。そんな風に感じています。けど、仮に名前を変えたとしても、精神分裂病が統合失調症に、痴呆症が認知症となったように、自閉という語を避けて違う名前を使うようにしたとしても、おそらくは大きな成果は得られないのではないかと思います。結局はその病気について知られていないことに根ざす問題なのですから、また違う誤解やなにかが生まれるのではないかと、そんな風に思うのです。
基本的に、ことゲームに関しては、プレイしていないものに関しては書かないという姿勢を貫いてきたのですが、ここでちょっと方向性を変えて、やったこともないゲームで書いてみようと思います。というか、持ってはいるんですけどね。初回限定版。これにはCDがついてきましてね、ミニアルバムなんですが、ちょっとしたサントラみたいなもんですね。私はこれを先行してiPodにつめて聴いて、そしたらこれがまあいい感じなんですよ。魔法の塔というちょっと古風なファンタジーめいた世界を彩るのに、これまたしっかりと中世臭さのする音楽を持ってきたよなあというのが最初の驚きで、最初の曲Magician's Towerなんか、まさに中世、まさに土俗的な臭さを混ぜ込んであって、いやあ、なんだろうね。ショーム? ちょっと粗野なリード楽器のドローン(保続低音)が気持ちいい。しかし、まさかゲームの音楽聴いて、こんなに嬉しくなるということも珍しいと思います。いや、実際、ポイント高いと思います。
私は結構長期にわたり集英社のレディーズコミック誌『You』を購読していたのですが、この数年ほど、どうにも読める漫画が少なくなってきたと感じるようになってきて、だから購読するのをやめたんです。もう、私は対象層から離れちまったんだなあという一抹の寂しさをともに……。けど、読んで面白いと思う漫画が少なくなったということイコール、雑誌全体がつまらなくなったということでもないから困ります。やっぱりなかには面白いと思える漫画もあって、先を、続きを楽しみにしていた漫画もあったのです。そうした漫画の筆頭がきらの『パティスリーMON』でした。私はこの作者とは『You』で出会って、やっぱりこの人こんなに面白い漫画を描く人なんだと思って、それからは結構なファンでいます。
地上三十階の書店では二ヶ所で平積み、他の書店でも結構押されているタイトルで気になっていたのですが、なにが困るといっても、タイトルから中身がどうにも推し量れなくて、それで買うのが遅れました。とりあえずヴァンパイアもの、怪奇ものだろうとは思ったのですが、バンドとついているものですから、ええーっ、これって音楽もの!? 一瞬
その昔、私は実は学問をする人になりたくて、その学問を志した先になにがあるかはわからないものの、先へ先へと進みたいと思っていました。けど、その思いがあんまりに漠然としていたからか、いや実際のところ成績が悪かったのが悪いのですが、進学の望みは無残にも断たれてしまいました。まあそれでもあきらめたわけではなく、力を蓄えていつかまたきっと挑戦しようと思って、語学に精を出したりしたものの、水は低きに流れるとはよくいったものです。ええ、低きに流れちゃったんですね。いま、私は学問を志そうなんてちっとも考えてなくて、やっぱあれだよ、ギター弾いてるほうがずっと楽しいよな。なんでもそうなんだろうけど、瀬に降り、そのものに触れているほうがずっといいと思う。人間は確かに頭、脳を発達させてきたけれども、けれど、それでも、最後にはその体に感じることが真実なんだと思って、そしてその実感に発する思いというものがその人のなによりの力になるのであると思います。
グレン・グールドはやってくれるなあ、ってとりわけ思うのは、他でもない、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ聴いているときじゃないかと思うんです。ベートーヴェンというと、自立した音楽家の走りであり、耳が聞こえなくなるというハンデを克服した意志の人。その表情には色濃く苦悩がにじみ出て、俺の音楽を聴けといわんばかり。かくしてベートーヴェンの作品たるや、堂々とそびえ立つ金字塔か、いや大伽藍か。荘厳にして偉大、堅牢にして剛健、重厚、雄大、などなど、そういう表現がこれほど似合う音楽家もなかなかいないのではないかと思うのですが、それをグールドという人は、コケティッシュというかなんというか、非常に愛らしく弾いてみせて、その異質さぶりにはあきれるやら笑ってしまうやら。けれど、それが決して馬鹿馬鹿しいおふざけに終わっていないところに彼の価値というのがあるのだろうと思います。

さすがに、限定版は買いませんでしたよ。私屋カヲルの『こどものじかん』第3巻には通常版の他に限定版もありまして、通常限定の違いはどこにあるかというと、限定版にはフィギュアがついてくる。あと、細かいところをいうと、表紙が違う(通常版では枕を抱いているところが熊のぬいぐるみに変わっている)のと、カラーピンナップ? が追加されている。問題はですね、この追加分にいくら払えるかでありまして、その差額は1,200円。ちょっと高いよねー、と思った私は通常版を選択したのでした。おそらくコアなファンは両方買うのでしょうね。けど私は、この漫画に対しては内容をこそ重視したく思ったので、限定版という作られた希少性に発するアウラにたいし対価を支払うのはやめておこうと考えたのです。
この数日、ファミコン時代を懐古するかのごとき、懐かしゲーム話を繰り広げておりますが、なんだかスイッチが入った状態とでもいえばいいのでしょうか、今日はコナミの誇るアクションゲームのビッグタイトル『悪魔城ドラキュラ』を思い出してみたいと思います。『悪魔城ドラキュラ』はその第一作がディスクシステム用ゲームとしてリリースされて以来、あらゆるハードを征服しようとするかのごとき広がりを見せているようで、MSX2版があるのは知ってましたが、アーケード版やX68k版まであったとは! 今日のこの記事を書くためにざっと過去作を眺めてみれば、あるわあるわ。それこそ主要ハードほぼすべてを押さえているんじゃないでしょうか。実際の話、3DOとかTowns、NeoGeoあたりを押さえればコンシューマハードはほぼ制覇なんじゃないかと、そんな思いにとらわれるような広がりように驚かされます(あ、DreamCast忘れてた)。でも、例によって例のごとく、私の遊んだことのあるドラキュラというのは、やっぱりディスクシステム時代に限られていて、それはつまりは『悪魔城ドラキュラ』オリジナルに『ドラキュラII 呪いの封印』であります。
昨日は『
ファミコン時代、夢の装置としてリリースされたディスクシステムは、そのキャッチフレーズ夢が広がるディスクシステムを体現するかのように、面白いゲームが次々とリリースされて、当時のゲームキッズはいつかあの夢の装置を手にしたいものだと思ったものでした。というわけで、私ももちろんディスクシステムを持っていて(現在も稼働するはず)、最初に買って遊んだのは『


今、コナミといえばなにが目玉なんでしょう。『

駅前の書店、漫画の棚にたもりただぢという名前を発見して、お、これは私には無視できない名前ではありませんか。こいつは買っておかないといけないなという気になって、最初に見つけたのがSide B。B面っていうことは、つまりは2巻ものってことかと諒解。こりゃSide Aを探さないといけないなあと思って再び棚を見たらば、一冊とんでSide Aがあったのでした。ありがたい。かくして購入と相成ったわけですが、そのたもりただぢって人、いったいどういう人なのか? 私がこの人の名前に反応した理由というのは……。
ストーリーやるでなく、恋愛に走るでもなく、がっつりとネタで勝負する小坂俊史の代表作っちゃあ代表作、『ひがわり娘』の最終巻は本日発売です。てなもんで買いましたよ。いやあ、あとがきによれば七年半続いたそうでして、改めて振り返ってみれば長い連載だったんですね。けど、毎回毎回をすごく新鮮な気持ちで楽しみに読むことができたものですから、正直こんなに長い連載だなんて今日の今日まで思いもしていませんでした。けれど思い起こせば、私が前の職場にいた頃に、すでにこの漫画は中堅の位置を占めていたのですから、やっぱりそれだけの時間が過ぎ去っていたんだなあ。そう考えると、なんだか感慨深いものがあります。


私のお気に入りの書店では第1巻の第1話だけを読めるようにしてまして、つまり気に入ったら買ってねということなのですが、そこでずいぶん前に『CYNTHIA_THE_MISSION』の第1話を読んだのです。見た目ちびっ子の女高生シンシアが主人公。実は彼女は幼少から暗殺者としての訓練を受けたキラーエリートだったのです、という設定なのですが、まあ結構面白いかなあと思ったもののその時は購入を見送ったのでした。見送るのにたいした理由はなく、そういう気分じゃなかったからというのがもっとも適切な説明なのではないかと思います。で、今年の頭、第4巻が出版されまして、いろいろな書店に既刊揃えて平積みで展開されているのを見ましてね、ああ、あの時の漫画だ、人気あるんだなあ。で、一体あの後話はどう展開したんだろうと興味が出てきまして、既刊一揃えで購入に踏み切ったのでした。これにたいした理由はなく、まあそういう気分だったからといえば充分なんじゃないかと思います。
グレン・グールドというピアニストはとにかく変わった人であったそうで、コンサートは死んだといって演奏会活動を一切やめちまったというのもそうなら、レコーディングに際し継ぎはぎ等の編集を駆使することのメリットを公言するなど、まあとにかくいろいろ逸話のある人であります。そんなグールドの音楽への取り組みっぷりもまた変わったものがありまして、それこそあげていけばきりがないんですが、なにかあげろといわれたら、私はやっぱり『インヴェンションとシンフォニア』に関するものを選ぶかなあ。ってのはですね、このアルバムはいわく付きなんです。この人お定まりのうなり声にとどまらないきわめつけの瑕疵がある。いや、瑕疵というのはちょっと違うか。でも、人によっては我慢のならない欠陥と感じられるのではないかと思います。
今、BLというのは書店においては避けることのできないジャンルであるらしく、ちょっと漫画に力を入れているような書店となると、がっつりとコーナーが設けられていたりしまして、つまりはそれだけ人気なのだと思います。こういう状況を見て私の古い知り合いは、男性向けなら弾圧されるが女性向けは一般書店の棚にも我が物顔、このダブルスタンダードには我慢ならないなんていっていたのですが、それはつまり女性向けばっかり優遇されてずるい、ってことをいいたいのだと思います。けど、女性向け男性向けという、性差における区分というのももうなんだかずいぶん古くさいわけかたであるわけで、だから私は文句いう前に積極的にかかわりたいと思っています。書店に入れば、一通り女性向けといわれる棚も物色して、あ、これよさそうと思わせるものがあればたまには購入して、『図書室のお兄さん』もそのようにして手にした一冊でした。




『ひだまりスケッチ』がはじまったころ、普通に面白く読んで、普通に楽しみにしていた、そういう感じの、強烈な印象であるとか読者に次号を待ちわびさせる飢餓感みたいなのとは無縁の漫画であったのですが、それがあれよあれよと人気が出て、巻頭カラー、表紙、そしてついには
