昨年はモーツァルトの生誕二百五十年だったかなんかで、まあいわゆるモーツァルトイヤーってやつですね。なんかいろいろ催しやら特集やらがあったようでしたけど、実は私こういう盛り上がり好きじゃないので、まったくといっていいほどかかわり合いを持ちませんでした。そうそう、モーツァルトイヤーといえば私の音楽に傾倒しはじめた時期というのがちょうどそんな頃で、その時は没二百年でしたか。で、同様に催しやら記念盤やらいろいろあったみたいなんですが、さっきもいいましたように私こういう盛り上がりが好きじゃないから、まったくといっていいほどモーツァルト聴かなくて、その影響が今もなお残ってるんですよね、実は。
一体どういう影響かというと、ほとんどモーツァルトを聴いていないという、そういうの。そもそもモーツァルトは私の好みにあわんかったのかも知れませんが、一般における知名度でいえば第一にベートーヴェン、次いでモーツァルトというのが定番だろうというのにさ、そのモーツァルトをよう知らないというのです。これは実にまずい。モーツァルトの美であるとか、最近でいえばなんかモーツァルト療法とかゆうてますね、そんな話を振られてもですよ、はあそうですか、はあ、はあと生返事するばっかりで、ちっとも乗り気でない。こんな具合に、がっかりさせてしまうことは頻繁です。
でも、それでもやはりモーツァルトというのはすごいなと思うのは、聴けばやっぱり美しいと思うんですよ。跳躍音形は粒立ちきらめき、流麗なパッセージは軽く転がっていく。きらびやかかと思えば、憂鬱に沈む下降線の豊かな美しさも現れて、いやもうただただ美しいと思うこともありますよ。あんまり、日頃から好かん好かんゆうてるもんだから、なんか悔しくてならない。けど、それでも美しいものは美しい。だから、なおさら悔しいよのさ。
そんな私の2006年モーツァルトイヤーは、母の買ってきたヨーロッパ土産でありました。オーストリーはザルツブルグにいったらしく、モーツァルトミュージアムでCD買ってきてくれまして、ピアノとヴァイオリンのためのピアノソナタで、演奏者はアンドラーシュ・シフと塩川悠子です。で、このアルバムの売りはなにかといいますと、使われているヴァイオリンとピアノというのがモーツァルトのものなんだか同時代のものなんだか、とにかくいわゆるピリオド楽器であるというところです。録音は1992年の1月27から29日にかけてで、だからちょうど私が音楽を聴きはじめる頃に録音されたというわけで、没201年ですね。
ちょうど1990年代くらいがピリオド楽器による演奏が定番になった頃だと思うのですが、当初はバロックのレパートリーを中心にはじめられた試みが、徐々に古典派、ロマン派へと広がりを見せていく。そういうなかでのピリオド楽器による演奏だったのかも知れません。
モダンピアノで弾かれれば、倍音も豊かに絢爛、きらびやかに鳴り響くモーツァルトが、ピリオド楽器で演奏されるとまったくといっていいほどに表情を違えます。こつんこつんと、むしろ硬い響きが印象的で、今の音響になれた耳にはむしろモノトーン、枯淡の味わいと感じられる、そんな演奏なのです。ヴァイオリンに関しても同様で、両者ともに派手さを廃し抑制的です。対話するように組み合わされる音形は、丁寧に声部とその関係をあらわにして、音楽のかたち、骨格はよりいっそう明確に、モーツァルトの古典的な側面もいやおうないしに際立つから面白い。聴きなれたモーツァルトではないからいきなりだとぎょっとすることもあるけれど、けど今の楽器が持つ輝きに隠れる美もあるのだと思える、そんな名演です。
残念なのは、このアルバムはどうも現地での限定版らしく、レーベルはオワゾリールだから普通に売ってそうな気もするんですが、少なくともAmazon.co.jpでは見つけられませんでした。このシリーズが他にもあるんだったら、ちょっと聴いてみたいなと、そんな風にも思ったからちょっと残念です。
- W. A. Mozart : Sonatas and Variations for Piano and Violin KV 379 (373a), KV 304 (300c) and KV 454
0 件のコメント:
コメントを投稿