2007年2月22日木曜日

Luciano Berio : Coro

 大学は四回生の夏休み、誰でもいいからひとり作曲家を選んで、その作品を聴きまくれという課題が出たんです。でもさあ、誰でもいいからといって本当に誰でもいいってわけじゃないから難しいのです。例えばですね、おとついモーツァルトで書いていましたが、こういうビッグネームを選んだら最悪でしょう。だって、全集が複数あったりするような人ですよ。全集ひとつ聴き終わるだけで夏休み終わってしまうっちゅうねん。というわけでこの手のメジャーさんはパスしましてですよ、誰にしようかなあ、ジェズアルドはどうだろうかな、この人の曲、極度の緊張をはらんで美しいんだよなあ、なんて思ったんですが、この人はこの人で問題があって、それは録音が極端に少ないんです。当時、三枚とか五枚とかしかなかったんじゃないかな。一日で課題終わりますね。というのも問題だから、音楽史上無視できない作曲家で、程々にレコードが出てるような作曲家、そしてなにより私が興味を持てる人、誰かいないかなー、と考えた末に決まったのがイタリア人作曲家、ルチアーノ・ベリオでありました。

まあ、知らんよね。この人は1925年生まれの作曲家だから、普通の古典派ロマン派どまりのクラシックファンなら存在も知らないという、そんなことも普通にあり得ます。管楽器奏者には結構知られているんですけどね。『セクエンツァ』というシリーズがありまして、管楽器を含む多様な楽器用に書かれた作品群、特に有名なのはトロンボーンのために書かれた5番と声のために書かれた3番なんじゃないかと思うんですが、あっと、今調べてみたら11番がギターらしい。こら、いっぺん聴いとかんといかんな。いっちょ調べて、CD出てるようなら買って聴こう。

夏のベリオ漬けは非常に楽しい体験でした。私のイメージにあったベリオ像を裏打ちするような作品群 — 『セクエンツァ』をはじめとする — があったかと思えば、シンセサイザーやテープを用いた電子音楽も非常にいい味を出していて、ヴァイオリンのための二重奏曲なんかも面白かったしで、実にたくさんの発見がありました。知っているつもりで知らなかったベリオのいろんな作風に触れて、やっぱりまとめてたくさん聴くという経験は大切なんだと思ったものです。で、その収穫の中からなにかを選べといわれたら、私は『コロ』を選びたいと思います。オーケストラと合唱のための作品なんですが、神秘性とダイナミズムが混沌としながら徐々に内圧を高めていくような感じを持っている(我ながら、わけわかんないな)ものだから、聴いていてすごく引きつけられるのです。朗々と響く声があるかと思えば、ささやき声がさざめくようなシーンもあって、人間の声も、楽器の音も、全てが交じり合い、震えながら呼びかけてくる、そんな雰囲気に、これはぜひ手もとに置いておきたいと思ってCDショップに走ったら、国内盤がもう絶版。わお。仕方なしに輸入盤を買ったのですが、こればっかりは国内盤で欲しかったなと、今でも思っています。あまりに声が交錯するために聞き取りが困難である歌詞は、インディアンやポリネシア人、アフリカ人やユーゴスラヴィア、イタリアなどなど、さまざまな文化を背景に持つ多様なテキストの集積であり、その歌詞の持つ意味を知りたければ歌詞カードを見るほかない — 、日本語で読みたかったなあ。まあ、私の持ってる盤には英独仏訳がついてるから、頑張ったら読めないこともないんですけど、やっぱ身に付いた言葉のほうがいいってわけで……。

私の持っている盤は、独グラモフォン(ポリドール)のもの、ケルン・ラジオ・シンフォニーオーケストラが演奏しているものです。私がこの課題に取り組んだときには、どうやらこれくらいしか出ていなかったようで、ですが、今では他に何種類かあるようです。

正直、この曲はこうした作品に慣れていない人には受け付けないと思いますので、お勧めしようとは思いませんが、ベリオという作曲家を知っているという方ならきっとよさをわかってもらえるんじゃないかと、そんな風に思います。

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