訳を読んでいてあれれというのは意外にたくさんあることで、例えば私の愛するトラッドナンバー『クルエル・シスター』でもそういったことがありました。
『クルエル・シスター』、日本語に直すと「残酷なお姉さん」ってな感じだと思いますが、私はあえてこれを「ひどいや姉さん」と訳しています(全姉連の皆さん、ご覧になってますか?)。歌の内容はというと、騎士の愛を勝ち取らんがために、妹を殺してしまう姉の話なのですが(全姉連の皆さん、姉弟でなくてごめんなさい)、はたしてこの姉の殺意というのは衝動的に沸き起こったものであったのか、あるいは用意周到仕組まれたものだったのか。裁判においては、犯行における計画性の有無が争われそうなケースです。
姉の殺意が衝動的なものであったか、あるいは計画に基づいた殺人であったか。私がこのようなことを考えるようになったのは、『ブルースマンの幻想』というエッセイを読んだことがきっかけでありました。この非常な名文の後段に引かれた『クルエル・シスター』の訳詩が問題であったのです。ちょいと、引用してみましょう。
クルエル・シスター
北海の海辺に一人の女が住んでいた
(雑草で箒を作っていた)
彼女には二人の幼い娘がいた
(ファラララララララ)妹は太陽のように明るく育ち
姉は墨のように暗い娘になった一人の騎士が二人の家を訪れた
遠くからきて二人に言い寄った彼は一人を手袋と指輪で口説いたが
心から愛したのは今一人の方だったお姉さん 海を行く船を見に
私と一緒に行きましょう彼女は姉の手を取ると
北海を見下せる岸辺へ連れて行った風が吹く岸に立ったとき
黒い娘は妹を突き落とした(強調は筆者による)
黒田史朗氏の訳を見れば、犯行現場となった岸辺に行こうと誘ったのは妹であり、この解釈に基づくかぎり、犯行は衝動的な殺意によって引き起こされたものと見ることができるだろう。
異議あり!
私の手もとには黒田氏の解釈とは正反対の訳詩があるのです。同じく引用してみましょう。
[略]
「妹よ わたしと
(愛し 愛される)
海を行く船を見に行かない」
(Fa la la……)彼女は妹の手を取り
(愛し 愛される)
海岸まで連れ出した
(Fa la la……)風の強い海岸に着くと
(愛し 愛される)
姉は妹を海に突き落とした
(Fa la la……)(強調は筆者による)
若月真人氏、狩野ハイディ氏の訳を見ればわかることですが、海岸に行こうと妹を誘ったのは姉であり、ここに彼女の計画的な殺害の意図は明らかです。
ところがですね、オリジナルの歌詞を見るとどちらの解釈が正しいのかというのはどうにもわからないんです。日本語では、姉、妹と姉妹の上下を区別しますが、英語ではどちらもSisterで、確かにelderとかyoungerとかいって区別はしますが、では肝心の歌詞ではどうなっているかというと、わからないんです。同様に引用しましょう。
[…]
"Oh sister will you go with me
(Lay the bent to the bonnie broom)
To watch the ships sail on the sea ?"
(Fa la la…)She took her sister by the hand
(Lay the bent to the bonnie broom)
And led her down to the North Sea strand.
(Fa la la…)And as they stood on the windy shore
(Lay the bent to the bonnie broom)
The dark girl threw her sister o'er.
(Fa la la…)(強調は筆者による)
原文からは、船を見に誘ったのが姉であるのか妹であるのかをうかがうことができず、故に疑わしきは罰せずの原則をもってあたるべきではないでしょうか。
ちょっと待った!
ここに『クルエル・シスター』のバリアントを提出します!
The Cruel Sister
There were two sisters sat in a bour,
Binnorie, O Binnorie;
There came a knight to be their wooer,
By the bonny milldams of Binnorie.He courted the eldest with glove and ring
But he lo'ed the youngest aboon a' thing.He courted the eldest with broach and knife,
But he lo'ed the youngest abune his life.The eldest she was vexed sair,
And sore envied her sister fair.The eldest said to the youngest ane,
Will ye go and see our father's ships come in?She's ta'en her by the lilly hand
And led her down to the river strand.The youngest stude upon a stane,
The eldest came and pushed her in.(強調は筆者による)
歌詞をご覧になればわかるように、妹を川辺に誘いだしたのは紛れもなく姉なのであります!
バラッドに限らず、解釈をうんぬんしてみるのって、面白いですね。
引用
- 陳五郎『ブルースマンの幻想』
- 『クルエル・シスター』のライナーノート BMGファンハウス BVCM-47019,CD,2004年。
- 同前。
- The Cruel Sister.


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『
今さらながらiPodの認知度の高さには驚かされます。職場でも遊びにいった先でも、必ず一人は欲しいと思っているという人がいて、けどやっぱり実際のところがわからないから躊躇しているという感じでしょうか? あと、今どういうモデルがあるのかがいまいち把握しにくいというのもあるようで、私なんかは結構網羅している口なんですが、やっぱり普通はわかりにくいですよね。そんな中、iPod nanoの知名度は抜群で、名前も知られているし、これはやっぱりCMの威力なのだと思います。あのCMを見て、欲しいと思ったという人が少なからずいるみたいです。たいしたものだと思います。
恐竜をモチーフにした作品はないかと、さながら悪い子を探すなまはげのようにして記憶のなかをさまよっていた私ですが、いやあ、忘れていました。『熱血最強ゴウザウラー』が、まさにその恐竜をモチーフにしたアニメであったではないですか。
『勇者エクスカイザー』は八年続いた勇者シリーズの第一作で、それぞれに個性の違う勇者シリーズにおいて、核となるような要素を確立させた記念作であります。私はこれの予告編を見たときに、きっとつまんないだろうなと思ってまったく期待をしなかったのですが、ところがどっこい、第一話を見てビデオに録らなかったことを後悔しました。面白い! アニメとしては子供向けの部類であるとは思いますが、それでも私にはすごく面白くて、一年を通して見たアニメの最初となりました。といいましても、当時はまだ高校生で、部活があったりビデオが壊れたりで、途中に抜けはあったのですが、それでもアニメというのは、一年を通じてストーリーを展開するものなのだということを知った最初であったのは違いなく、実際『エクスカイザー』をきっかけに、私はアニメにどっぷりはまることとなるのでした。
1993年というのは、本当に恐竜ブームの渦中だったということがうかがえます。というのも、『
恐竜に関するもので記憶に残っているものといえば、やっぱり『ジュラシック・パーク』を忘れてはいけないのではないかと思います。といっても私は『
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