2005年1月7日金曜日

スライディング・ドア

 人の一生に起こることって、偶然か必然かどっちと思うと聞かれたら、私は絶対に偶然だと言い切ります。だってさ、すべての物事が事前に決められてるみたいな、運命論とでもいったらいいんでしょうかね、そんなの辟易じゃないですか。今日、この日に起こったことは、すべて偶然に起こったことなんです。あなたと会えたのはきっと必然ね、運命を感じるわ、だなんて私はちっとも思いません。

けれどさ、そんなすれっからしの私でも、この映画を見ると、ああ運命だとか必然だとか、引き合う心と心だとか、そういうのを信じてもいいかなあと思ってしまうのですね。

『スライディング・ドア』のテーマは、ちょっとした偶然が人生を左右してしまうということなんじゃないかと思うんですが、ってなんだ、さっきいってたことと全然違うじゃんか。けれど、だって、映画のテーマはそうとしか思えないんだから仕方がないじゃない。地下鉄に乗れたか乗れなかったかというそんな些細な違いが、主人公ヘレンのそれからの人生を大きく揺さぶってしまうんですよ。まあ、偶然って怖いわ、って思ってしまうのは私だけじゃないと思います。

この映画は面白い構造を持っていまして、先ほどいいました冒頭のシーンをきっかけとして、物語がふたつに分岐していくんです。電車に間に合ったヘレンと間に合わなかったヘレン、— 二人のヘレンの物語が、並列して進行していくんですね。

これって、昔ポートピアだったかなあ、科学博覧会に行ったときに見た映画を思い出させます。ポートピアの映画はまったくの喜劇でしたが、各座席に投票ボタンが付いていましてね、時々の分岐点で、観客に投票をさせるんです。AとBの展開どっちがいいですかって。物語は得票数の多かった方へ方へと展開していきます。『スライディング・ドア』はさながらこの分岐を冒頭に持ってきて、ただポートピアの映画と違うのは、そのふたつに別れた展開を両方とも見せてくれるというところでしょう。

ふたつの人生はものの見事に対照的な展開を見せて、いやあ、これは面白いです。あの駅での、階段を駆け降りるときのあの瞬間が人生の転換点だったわけで、実に見事。人生とはこうした偶然の積み重ねであるかと思わせますね。映画の時々に現れる『スライディング・ドア』のメタファも効果的で、それぞれがヘレンの人生の転換点になっているんです。おそらくもちろん最大の転機は地下鉄のドアが閉じたあの時に訪れたのでしょうけど、引き戸が開かれるとき、あるいは閉じられるときに、ヘレンの人生は動揺するのです。これは面白い仕掛けと思いました。

好事魔多しと申します。この映画を見るとき、私はいつもこんな言葉を思い出すんですね。うまくいっていると思ったときにつまづく、これからなのにというところでポシャる。人生にはそうしたアンラッキーな瞬間というのは間々あるなと、運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど、そうゆうことって確かにあると、ヘレンをみててそう思うのです。

なんでそんな感想をもちながら、運命とか必然とかを感じたりするのさという疑問もあるかと思います。うん、そうなんです。どう考えても偶然のいたずらとしか思えない人の一生ですが、ですがこの映画を見終える頃には、本当にそれを偶然と言い切っちゃってよかったのかなと思う。ええ、確かに思うんです。Nobody expectsなラストを見て、私は確かにそう思うんです。

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