二十九日の不調はきっと体のゆがみのせいだろうなんて思って、ええ、私の体は体調に変調を来すほどにゆがんでいるのです。まあ、ギターに限らず、左右対称でない楽器を弾いている人は多かれ少なかれ体がゆがんでいるし、そのせいで体調不良を訴える人というのは数多いんですね。私もその一人でありまして、不定愁訴に関してはなかなかのものでありますよ。こんなの、なんの自慢にもならないのですが。
結局二十九日の不調は風邪が原因であったようなのですが、それでもその風邪を招いた根本には体のゆがみやなんかがあってのことでありましょうから、体のゆがみはできるだけないに越したことがないのです。そんなわけで、『WAKI WAKIタダシさん』を引っ張り出してきてみました。
『WAKI WAKIタダシさん』は、曲がったものが許せない整体師タダシさんが主人公の漫画です。実はこの漫画の作者は、二十七日にちょっと紹介しました『ビジュアル探偵明智クン!!』の阿部川キネコでありまして、この他にもいろいろ書いてらっしゃるんですが、そのどれもが違った雰囲気を持っていて、この人の芸風の広さはなかなかのものと思います。
『タダシさんの』は、形式としては四コマ、ジャンルとしてはギャグにあたるかと思われます。偏執狂的にまっすぐであることにこだわる主人公のキャラクターもなかなかのものではありますが、その周りを固める登場人物の変さもたいがいで、けれどそうした変わり者を空回りさせることなくうまくからめてコメディを成立させてるのだから、作者の構成の上手はなかなかのものかと思います。こうした構成力や引き出しの多さはいろいろな場所で培ってきたキャリアのたまものなんでしょうね。
しかし、この漫画を見るといつも思うのですが、整体師の腕の善し悪しというのは本当に大きなものでありましてね、悪い整体師にかかると問題ない体であっても悪くなってしまうものなんですよ。だから私は長いこと体の不調を思いながら、整体の情報なんかもちょこちょこ聞き込みしたりしながら、結局通院までに踏み切らないのは、腕の善し悪しがそうした情報だけではわからないということに尽きるんですよね。本当に腕のいい整体師の話を聞いたことはあるのですが、残念ながら東京で開院されているものだから、ちょっと京都からでは通えません。
だから、本当の話、それが腕のいい整体師なら、ちょっとくらい変わりもんでも、私は気にしないんですけどね。どなたか、京都近辺で腕のいい整体師の情報おもちの方とかいらっしゃいませんでしょうか。いや、これ結構本気で聞いてます。
- 阿部川キネコ『WAKI WAKIタダシさん』第1巻 (BAMBOO COMICS) 東京:竹書房,2004年。
新しいMac OS Xが全世界規模で発売されました! というか、実はもううちでは10.4 Tigerが動いていて、つまり今こうして更新している環境というのがTigerだったりするのですね。新しいRSSに対応したSafariでもってお送りしております。
突然の事故によって失われる命があります。普通の日常の中で、思いもかけない出来事が運命を分けて、本当なら今日も昨日と同じように帰ってくるはずだった人がもう帰らない。そういう不幸は、残念ながらこの世界のあちこちにあって、私たちは普段そうした事々を他人事みたいに思おうとしているけれど、実は今日明日、自分や自分につながる誰かが、そうした不幸に引き込まれてしまうかも知れなくて、もしこうした不幸が我が身のことになったとしたらと仮定すれば、今身近にありふれている普通のことが、どれほど愛おしく大切なことであるかということがわかろうというものです。

今日発売のまんがタイムKRコミックスは、どうにも表紙があれで買いにくかった……。
『ギャラリーフェイク』の最終巻が刊行されました。
昨日、宝塚でこの人のライブがあったので、気を良くして今日はドミニク・シャニョンのファーストアルバムです。
なんか昨日からテレビのニュースや新聞で、
私が以前フランス語を習いに行っていたときのことです。先生(もちろんフランス人)が日本に来た当初に買ったという日本のことを書いた本を見せてもらう機会がありましてね、私は最初フランスで出ている日本本だと思っていたんですが、手にしてみてびっくり。なんとJTBが出している本ではありませんか。仏文は第11巻と12巻の二冊で、残りの巻は英文なのですが、その内容たるやかなりの労作です。日本に生まれて日本で育った私も知らないようなことがたくさん扱われていて、しかもその説明が仏語(英語)! 日本のものを欧米語で説明する難しさは、私もよくわかっているつもりではありますが、それにしても、これだけのものをよくも訳して本になるまでまとめたものだと、感心と感動でしばし眩暈を感じるほどでありました。
竹内久美子という動物行動学を専門にする人の本が、
カリフォルニア州知事としてご活躍のアーノルド・シュワルツネッガー主演の映画で、俳優シュワルツネッガーが大人気の頃に作られました。この頃、シュワルツネッガー映画はもはや一ジャンルを築いたといってもいいくらいに量産されていました。ファミリー・スパイ・コメディである『トゥルーライズ』もそうした映画のひとつです。
買おうかな、どうしようかな、やめようかなと迷いながら番組だけはビデオに録っていて、けれど思い切って買うことに決めました。『
ところで
私のCDラックは少しばかり混沌としていて、けれどこの間iTunesに手持ちのCDをすべて読み込んでみたおかげで、随分見通しがよくなったのでした。さて、その読み込み作業によって発掘されたCDがあったことは、
テレビに竹中平蔵氏が出てしゃべっているのを見たのですが、それにしてもこの人の弁舌は平易でわかりやすいもんだから、聞いてると、そうなんだぁと素直に心服してしまって、すっかりその気になってしまうのでした。基本的に私は悲観論者なので、数年前から声高に叫ばれている経済回復だとか構造改革だとかがとんとん拍子にうまくいくとは思っていないんですが、そんな私でも、平蔵氏のいうとおりにしてみたら、経済もよくなるんじゃないかなあと思ったりして。そんな風に、これからもしかしたらもあるんじゃないかと期待させてしまう前向きさが氏の言葉には感じられます。
以前、イタリアに行ったときに『
集英社の女性向け漫画誌You。明日発売の2005年5月1日号をもって、『モーニン!』が最終回を迎えました。『モーニン!』というのは葬儀屋を舞台として繰り広げられる女の子の成長物語で、実は私、この漫画が始まったとき、なんていやな漫画だろうと思ったのでした。あからさまに駄目な子として描かれた主人公戎富久子の造形もいやなら、やたらもの分かりよすぎるストーリーの展開、そして浅さ。人の死という、ある種センセーショナルな題材を扱って、それをしっかりと受け止める力のない漫画でした。予想されたとおりに物語が進行していく。頭っから終わりまで鉄の規律に縛られて身動きとれないような、硬直した漫画でした。
桜のよい季節がやってきましたので、ちょいと桜にまつわるタイトルを取り上げたいと思います。というわけで『スプリガン』。世界各地に眠る古代遺跡を守る特殊エージェント、スプリガンの活躍を描く冒険活劇で、私が『
Flashはもともとは、Futurewave Softwareという会社が出したペイントソフトライクのドローソフトで、名前もSmart Skechと全然違うものでした。1996年くらいのことです。
私は、特にがっちり絵を描くような口でもないのに、ペンタブレットなんか持っていたりするんです。さすがに買ったのは大分前だから、最新のモデルなんてことはありませんが、それでもA5サイズと張り込んで、いやはや使っていないのがもったいないという話であります。
ふと思い出したようにやるドラ。最初は私のはじめてプレイした『
以前の職場に新しいコンピュータが導入されたとき、マイクロソフト社のリレーショナル・データベースソフトMS Accessも一緒にやってきたのでした。私はそれ以前からデータベースソフトはさわっていたのですが、なにしろそれらはカード型データベースであって、はじめてのリレーショナル・データベースは極めて敷居の高いものと感じられました。そもそも、概念がわからなかったんですね。
友人と待ち合わせをしたのですが、私の時間の指定のミスからすれ違ってしまって会えず。せっかく職場まで来てくれたというのに、私は席をはずしていたんですね。無駄足を踏ませてしまって、本当に申し訳ないことをしました。
私はこの映画をNHKの語学番組『イタリア語会話』で知ったのです。こうした語学番組は、もちろん外国語の勉強が中心テーマであるのですが、それら言葉の使われている国や文化を紹介するコーナーもあるものだから、語学に格段の興味がなくても楽しめる番組であると思います。
ジムノペディやグノシェンヌで知られるフランスの作曲家エリック・サティは、おしゃれな響きと聴きやすく美しい曲調からも人気があって、もちろん私の好きな作曲家のひとりです。以前、お菓子を作っているとき、エリック・サティをステレオで流しっぱなしにして、それにしても美しい曲があったものです。複雑さや重さから解き放たれた精神は実に自由。サティの音楽の魅力はこうした自由さと、ちょっと気取ってみせる才気のたまものであると思うのです。
『さゆリン』は、まんがタイム系列誌(ジャンボとスペシャル、ちゃんと初出一覧で確認したから確かです)に好評連載中の四コマ漫画で、けどその読後感は他の四コマと比べても随分違います。なんというんでしょう。ギャグがとりわけ面白いってわけじゃないんですよ。起承転結も明瞭に推移せず、なんとなく漠然茫漠としたなか、淡々と鈴本さゆりさん(漫画のタイトルは『さゆリン』なのに、さゆリンと呼ばれているわけではない。謎だ!)とお友達のゆるいコメディが進行していくんです。アップテンポでハイテンションでオーバーアクションのメリハリがあるわけでもなく、むしろ淡々粛々と進んでいくんです。
友人が今度やる演奏会のプログラムをどう書いたものかと悩んでまして、例えば原題を載せるとき、英語にするのかフランス語にするのか、あるいは作曲者の出身によって変えるべきなのか、というようなことなんですね。問題となったのはムソルグスキーの『展覧会の絵』で、フランス語にすべきか英語にすべきか、それともロシア語? どうしたらいいんだろう。それにムソルグスキーの表記もMussorgskyだったりMoussorgskyだったり、どっちがいいの、云々という話でした。
京都の丸善が店をしまうらしい!
