京都の丸善が店をしまうらしい!
これは信じていいことなんだよ。何故って、今朝の新聞の地方面に丸善京都河原町店9月閉店へ
だなんて記事が載って、にわかには信じられないことじゃないか。けれどこれはまぎれもない事実で、つまりあの有名な丸善を見たければ今しかない。今年、暑い盛りを過ぎれば、馴染みのあの店はなくなってしまう。いや、丸善が潰れるわけじゃない。京都のどこかに新しく店を構えるだろうが、しかし京都の書店といえば三条河原町の丸善を思い浮かべる人は多いはずで、だからそれだけ寂しく思う人も多いだろうと思う。
(画像は集英社文庫『檸檬』)
私は熱心な丸善の客だったかといえば、決してそうじゃありませんでした。一番古い記憶をたぐれば、丸善のビルが改装しているときの仮店舗が思い浮かびます。その時私は『不思議の国のアリス』に夢中で、京都の高島屋で開かれたアリス展で買い込んだ資料を読みふけって、ついに原書に手を出したいと思い至った。うちのものがいうことにゃ、洋書だったら丸善だよ。ええ、ある程度の年代の人にとって丸善は洋書を手広く扱う書店として有名で、だから私にとっても丸善は、洋書舶来雑貨に力を入れている店という印象があるのです。
京都で美術書を買おうと思ったら京都書院が有名で、私の祖父は着物の絵師をしていたから、母の子供時分には京都書院の外商がうちまでやってきたといいまして、そういう話を聞かされていたから、私もおのずと京都書院が好きで、なにを買うわけでもなかったけれども、京都に出ればついでによってというようなことをしていました。
けれど、1999年5月に京都書院は営業活動を停止したんですね。久しぶりにいったら京都書院が閉まっていて、すごくショックでした。そういえばその隣にあったオーム書店もいまではOPAになってしまってる。
高校時分からピアノのレッスンに通う関係で、ちょくちょく京都市内に出ては書店巡りをしていたから、こうした懐かしい書店がなくなってしまうのはすごく堪え難いことで、けれどまさか丸善までなくなるとは思いも寄らないことでした。すごく寂しい。すごく悲しい。今ではたまにしか市内には出ないんだけど、それでも機会があれば寄って、なんか面白そうな本があったら買って、けど、そうしたことはもうできないんだなあと思うと、やっぱり胸が苦しくなります。
梶井基次郎の『檸檬』には、まさしくこの京都の丸善が出てきます。気鬱な空気を吹き飛ばす爆弾としての檸檬。短かな文章は、不思議に興趣を帯びて快活で、私にはひどくコミカルな感じがありまして、なんだか焦燥感や気詰まりといった感じよりも、退屈を打破しようとする鮮やかな精神の諧謔のほうがずっと強いように思えたのでした。
私がこの『檸檬』を買ったのは、ほかならぬ京都の丸善で、丸善の和書の階、レジのすぐそばに、京都の丸善が出て来る本、といったような感じで広告が打たれてたのを面白がって買ったのでした。買って、読んで、すごく独特の梶井の世界が、私の現実の丸善をぐるぐるとかき回して、すっかり不思議の世界になってしまった丸善の中には、燦々と檸檬の黄色が輝いていたのでした。
京都書院は、限定的ながら活動を再開しているようで、このことを知って、私はまさしく旧知に会ったような嬉しさを感じました。
だから、丸善もまた京都で店を再開して欲しいと思います。頻繁にはいかれないとは思いますが、それでも機会があるごと寄りたい店であるのは変わりません。本を買うだけならどこの本屋でも一緒かも知れませんが、私の愛する書店には、ただの本の購入所には留まらぬ楽しさ愉快さがあって、私の丸善には洋書美術書催事雑貨の楽しみがありました。ええ、大切な書店のひとつであるのです。
- 梶井基次郎『檸檬』(新潮文庫) 東京:新潮社,1977年。
- 梶井基次郎『檸檬,冬の日 他9篇』(岩波文庫) 東京:岩波書店,1954年。
- 梶井基次郎『檸檬・ある心の風景 他』(旺文社文庫) 東京:旺文社,1972年。
- 梶井基次郎『檸檬』(集英社文庫) 東京:集英社,1991年。
- 梶井基次郎『檸檬・城のある町にて』(角川文庫) 東京:角川書店,2000年。
- 梶井基次郎『檸檬,ある崖上の感情』(新潮カセットブック) 東京:新潮社,1988年。
- 梶井基次郎『檸檬・交尾/橡の花』(NHKカセット「朗読」の時間) 東京:NHKサービスセンター,1987年。
- 梶井基次郎『檸檬』(新潮CD) 東京:新潮社,2002年。
引用
- 「丸善京都河原町店9月閉店へ — 利用客「やはり寂しい」」『朝日新聞』2005年4月1日朝刊【,第13版,第28面,地方欄】。
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