2005年4月21日木曜日

「私が、答えます」

  竹内久美子という動物行動学を専門にする人の本が、なんか新しく出ているみたいでして、私は買おうかどうか考えあぐねてまだ買っていません。だって、最近この人は売れっ子で、次から次へといっていいくらいに新刊が出ているんですね。読めば面白いんですよ。主に性的な行動に関してが中心ではありますが、私たち人間がついついとってしまうような行動というのが、動物の行動原理をもとにして次々解説されていくのです。もちろん人間も動物の一種ですから、こうしたアプローチは間違っていないと思うんですが、しかしそれにしても、私もついついしてしまうようなことがきっぱりと説明されて、ああなるほどそういう理屈が裏にあって、その本能的(?)な要請に基づいて私はああいう行動をとっていたのか、ということがわかるんですね。具体的にどういう行動かは申しませんが、とにかく自分のなんとなくしてしまってることにも理由があるのだということがわかって、私はこの本をはじめて読んだとき、すごく新鮮な気持ちになったのでありました。

でもまあ、新鮮な気持ちといったって、あんまりそんなに褒められたことじゃないんですけどね。むしろ、なんというか、開き直りに近い感情の方が強かったような気もします。自分がこういう行動をとってしまうのは、動物的本能に根ざす欲求があるからなんだ。自分がどうしようもないからじゃないんだ! って、こんなのばっかりで、いかに自分が駄目なやつであるかということがわかります。

けれど、どう言い繕ったって、人間は自分のうちなる欲求には抗えないようにできているんです。だから、そういう内的要請を理解した人は、うまくそいつと付き合えるようになればよし。自己の本能の力に気付いてない人を見たら、うまくその状態を利用して、本能的要求とやらが私に向かうようにしてやればよし、ってこれはちょっとあまりにあこぎすぎますね。けれど、ちょっとくらいあこぎなくらいで、人生ちょうどいいって思いますよ。それに、そもそも本能的なんてものは、うまくコントロールできないものなんです。自分の本能にしてもそうだし、他人の本能なんてのはなおさらです。だったら、ちょっとそういうずるを夢想してみるくらいのことが、いったいどれほどの罪であるというのでしょうか。

ところで、私はこの本を、以前の職場である図書館の新着図書で知ったのですが、なぜかまわりの人間人間が、こういう本をいれたのはあんただろうっていうんですね。あれ? いや、確かにこの本を入れたのは自分だったかもしれない。ちょっと、今、記憶が混濁しています。

私が疑われたのは確かこの本が入ったときで、それにこの本の時もそうだったっけ。けど、『「私が、答えます」』に関しては、書評を見て面白そうだと思って、自分でまず買ってみて実際面白かったから、図書館に入れたのかもしれない。

というわけで、疑われるには疑われるだけの理由があるということですか。 — だって、みんなにも読ませたかったんだもん。自分のうちから起こる要請に意識的であることは、大切なことであると思うんですよ。

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