突然の事故によって失われる命があります。普通の日常の中で、思いもかけない出来事が運命を分けて、本当なら今日も昨日と同じように帰ってくるはずだった人がもう帰らない。そういう不幸は、残念ながらこの世界のあちこちにあって、私たちは普段そうした事々を他人事みたいに思おうとしているけれど、実は今日明日、自分や自分につながる誰かが、そうした不幸に引き込まれてしまうかも知れなくて、もしこうした不幸が我が身のことになったとしたらと仮定すれば、今身近にありふれている普通のことが、どれほど愛おしく大切なことであるかということがわかろうというものです。
先日のあの痛ましい事故の日から連絡のとれない友人があったのです。
メールを送っていたのに返事が一向に返らず、なにしろゴールデンウィークの予定を話していた途中での突然の沈黙。始めは忙しいかなんかだろうと思って、けれどそんなに返事に日にちを待たせるような人ではなかったから、もう一通送ってみて、けれど一日待って返事はなかった。その人は、よくよく思い返せば宝塚の近辺に住んでいて、だから、場合によってはあの路線を利用することもあるかも知れない。
そう思えば、不安が不安を呼んで、この数日私は、おちおちとしていられない。そんな気持ちであったのです。
もし明日電話をしてつながらなかったら、名簿を調べるつもりでいました。
『空の国のあなたへ』は、航空機事故によって命を落とした犠牲者の側から失われた日常を振り返ろうという、逝くものの視線が新鮮なショートストーリーです。陸奥A子の軽くおしゃれな描線、淡々とした描写、語りは不要に悲しさを煽るようなことをせず、ちらほらと舞って散る雪のような印象 — あるいはセンチメンタルに過ぎるといってもいいかも知れない — を与えます。死者の思い出が、あまりに美しく、あまりに現実離れして描かれているのに、不思議と嘘くささはなくて、こうした感想は、死を自らの問題として捉えることのない、生きている私のエゴゆえのものかも知れません。亡くなった人たちが、この漫画に描かれたような美しい思い出をともに空の国に逝くのであれば、せめてわずかでも慰めになるかも知れないと、此岸にある私はこの上もなくセンチメンタルで無神経なことを思っているのかもわかりません。
もしこの漫画が、こうした妙に仕合せで割り切った死者の思い出話だけで終わるのだとしたら、私は陸奥A子を見限って、この漫画を買って手元に残そうだなんて思わなかったでしょう。
三人の逝くものたちが、それぞれの思い出を振り返りつつ話したその最後に、層を違えて浮かび上がってくる残されたもののモノローグは、よもや甘ったるさの勝った物語を一気に引き締め、それまでのほのぼのとほほ笑ましくさえあった世界を転倒させるだけの力にあふれていました。出来すぎていると感じるほどに美しく描かれた物語の向こうに隠された悲しさや後悔、痛ましさがあらわにされて、けれど口振りはあくまでも静かで、こうして静かであったからこそ、むしろ悲しさはいっぱいに胸に広がったのではないかと思ったのでした。
あるいは、陸奥A子は、自身の体験をもとにこの話を描いたのではないかと思ったのでした。それほどまでに言葉は真実味を帯びて、作り事であるはずの物語に、本当の感情を与えていました。悲しさを抱き続けながらも、絶望から立ち上がろうとする人の心の強さ、そしてやさしさがあふれています。
友人からのメールを受けて、私はこの数日の最悪の想定をようやく振り払うことができて、けれどその心底の悲しさに直面する人のあることを私は知っているから、私は私のことで素直に喜べませんでした。
なにをいおうにも、言葉にすれば嘘になりそうな気がします。だから、私はせめて、旅立たれた方はその道中が安らかで幸いなものでありますように、送られる方はいつかこの悲しさの中から愛おしかった日々を抱きとめられる日を迎えられますように、祈るばかりであります。
- 陸奥A子『空の国のあなたへ』(ヤングユーコミックス) 東京:集英社,1998年。
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