2005年4月26日火曜日

ギャラリーフェイク

 『ギャラリーフェイク』の最終巻が刊行されました。

思えば、私が『ギャラリーフェイク』を知ったのは、バイト先にこの漫画が置かれていたのを見たからで、確か最初の二三巻くらいしかなかったと思うんですが、美術の世界を舞台にした躍動のストーリーがこの上もなく面白くて、矢も楯も堪らず買いはじめたのですね。ええ、美術に関する知識、情報を盛り込みつつも、それがただの情報に落ちていないところがすごいと思います。スリルやサスペンスを盛り込まれたストーリーは、あっというどんでん返しで落とし所も冴えて、そして贋作専門を謳う黒い画商フジタの格好良さ。名だたるライバルを押さえ、ダーティーと思わせたその向こうに一本正義を通して見せる、アウトローヒーローものの面白さは堪らんものがありました。

アウトローヒーローもの。ええ、またなんか言い出しましたね。ええ、秘密のヒーローもの大好物を標榜する私は、『ギャラリーフェイク』みたいなアウトローヒーローものも大好きなのですよ。古くは『ブラックジャック』なんかにアウトローヒーローものの典型を見て、おうそうさ、私は『ブラックジャック』も大好きだよ。全巻揃えてるよ。

てなわけで、私が『ギャラリーフェイク』のフジタに格好良さを感じるのも当然といえるかと思います。

けど、アウトローヒーローものってね、最初は一匹狼、まわりは敵だらけみたいな感じで、ああ、この方の本当の心を知ってるのはあたくしだけなのっ、って、そんな秘密を共有するような喜びがあったりする(つまり、本質的には秘密のヒーローものと同じ構造をしているんです)んですが、巻を重ねていきますとね、なんだかいつの間にか登場人物も揃ってきてさ、なんだかいろいろつるみはじめたりしてさ、つるむのが同じアウトローだったらいいんですけど、かつてはもう本当に敵同士だったじゃんかあんたら、みたいのまで理解者面し始めれば、だんだんアウトローヒーローとしての魅力は失われていくのであります。

ブラックジャックも、途中から人情ものの色合いを強めて、あんまりアウトローくささというのは感じられなくなりましたね。それはフジタも同じで、なんとかアウトローとしてのフジタを描こうとするもどうしてもよく知ったお友達のあの人がさぁみたいになって、私にはだから途中から魅力減と感じられました。

いや、アウトローじゃないフジタは駄目といいたいんじゃなくて、ちょっと慣れ合いが見え透いてきたかなというのがいやでしてね、馴れ合いというのは登場人物にも生じるし、作者と作品の関係にもあって、当然私ら読者と作品の間にもできてくるもんなんです。そうした多層的な馴れ合いが、この漫画の緊張感 — この漫画本来の味を殺いでしまっているかもと思ったこともあったのでした。

けどさ、最終巻は久々に息詰まりましたね。いや、息詰まるサスペンスは最終巻だけじゃなく、これまでにも何度も何度も出てきましたさ。けれど最終巻は、これまでの主要登場人物を贅沢に配して、次々に畳みかけるという、まさに最終回の大団円を飾るにふさわしい豪華さでありました。

私は近刊を読んでは、くぅー、やっぱり面白いなあと思いながらも、どこか満たされないようなところがあったんですが、けれど最終巻を読み終えて、今まで『ギャラリーフェイク』を読んできてよかったと心から思えました。『ギャラリーフェイク』最後のストーリーは、作品から読者へのプレゼントであったと思います。けれど、ただのプレゼントじゃない。ストーリーとしての面白さを充分に備え、そしてそこに読者が望んでいただろうラストをのせて、最高にハッピーな終わり方をして見せました。

ただよ、ちょいと不満があるのさ。ああ、けどこりゃネタバレになるから書かないでおこうか。いや、やっぱり書きたい!

なんでエリザベータがでないの! それに翡翠も! 三田村さんの処遇もいい面の皮だと思うけど、まあこいつは妥当かなあ。けど、知念さんは出て欲しかったかも。いやしかし、翡翠! なにをおいても翡翠は —

白地に白文字で書いておいたから、読みたい人は反転でもなんでもしてくださいな。

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