2005年4月6日水曜日

ライフ・イズ・ビューティフル

 私はこの映画をNHKの語学番組『イタリア語会話』で知ったのです。こうした語学番組は、もちろん外国語の勉強が中心テーマであるのですが、それら言葉の使われている国や文化を紹介するコーナーもあるものだから、語学に格段の興味がなくても楽しめる番組であると思います。

フランス語では言葉を学ぶのにシャンソンを使うなんて昔はいったもんですが、そんな絡みからどの言葉の番組でも音楽の紹介があるのは嬉しいことで、そして映画。映画は映像によってその土地の文化、風土を観ることができるということで、特によく紹介されます。独立系の映画館で公開されるような、ちょっとマニアックな映画が多いのは仕方ないとはいえ、そうした映画を好きな人にはたまらない魅力があるのではないでしょうか。

『ライフ・イズ・ビューティフル』はイタリアの映画で、舞台は第二次世界大戦中のイタリア。私は知らなかったのですが、ドイツの同盟国だったイタリアにおいてもナチスのユダヤ人排斥思想は吹き荒れて、殲滅収容所が建設されていたのですね。私はイタリアのそういう負の側面をこの映画で知らされて、ショックでした。

この映画が劇場公開された頃の『イタリア語会話』では、随分この映画をプッシュしましてね、数週にわたって紹介されていたことを覚えています。しかし、もちろん当然のことながら映画の核心には触れないわけです。これからどうなるの!? ってところで紹介が終わるわけです。

グイドと彼の妻ドーラ、そして二人の息子ジョズエの運命の行方が気になって仕方のない私は、DVDの見られる環境がやってきてすぐに、この映画を買ってみたのでした。そしてそのあまりに苛酷であった運命に泣いたのでした。

映画は、基本的に喜劇の性質を帯びています。脚本・監督のロベルト・ベニーニは主役も演じていて、彼が美しい教師ドーラに恋してからその愛を勝ち取るまでの物語は、笑いの連続です。スラップスティックな味わいもあり、私は昔チャップリンの映画が好きで、テレビでもよくチャップリン特集とかされてたもんだから(そういえば、最近はあんまりやってませんね)、ビデオに残してみたりして、ええ、チャップリンのどたばたの笑いとヒューマニズムあふれる涙を好きな人なら、間違いなくベニーニの映画も好きになるでしょう。

けれど、私はこの映画の結末を見て、あまりに強く大きすぎるリアルには笑いとヒューマニズムだけでは太刀打ちできないのではないかと思ったのでした。チャップリンの映画は基本的にハッピーエンドです。最後の最後にちょっとの涙と笑いと、そして感動がある。でも『ライフ・イズ・ビューティフル』ではどうか。確かに涙と笑いと感動がある。けれどそれ以上の悲しさもあったのではないか。身を挺して、粉骨砕身の努力で息子を守った父親の、あまりに崇高な精神に私は涙が止まらなくなったのです。ウィットに富んだラスト — ええ、それは確かにハッピーなものでした — は、泣きながら見ました。泣きながら笑って、そして父親の息子に注いだ愛の大きさにまた泣くのでした。

チャップリンとベニーニ、この二人の偉大な監督にして俳優の選択するラストの違いは、二人を隔てる時代の違いであると思ったのでした。チャップリンの時代には、まだ不幸があまりに身の回りにあふれすぎていて、そこに追い討ちをかけるような現実を突きつけるようなことはできなかったのでしょう。対してベニーニは、そうした不幸が過去に追いやられようとする時代にあって、だからあえて不幸を直視した。私はそんな風に考えています。

しかし根底に流れる考え方は同じであると思うのです。不幸をただ不幸と嘆くばかりではなく、よりよい明日を迎えるために、愛する人に素晴らしい未来を手渡すために、奮迅の働きをする人間の心の強さ、素晴らしさ、美しさを謳う映画であると思います。

しかしだ、この素晴らしい映画のDVDは絶版しているらしい。こういうの、ちょっと悲しいですね。

蛇足:

私のお友達は、素晴らしいイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』に敬意を表して、決して英題をもととした名前では呼ぼうとはしません。必ず『ラ・ヴィタ・エ・ベッラ』と呼んでいます。

ええ、私も『ラ・ヴィタ・エ・ベッラ』と呼んでいます。決して英題では呼びません。

0 件のコメント: