季節がわからなくなったというこのごろ、気がついたらもう師走も暮れて大晦日の夜です。私なんかは季節のことに無頓着だから、常と変わらぬ日々をすごして、こういうところにも季節感の希薄な現代人というのが見えてくるようですね。
時季の雰囲気を感じ取れなくなってしまった私たちには、樋口一葉の『大つごもり』を読もうと思っても、その背景がわからないかも知れません。そもそも大晦日には、掛け売りの集金が家々長屋の戸口を回るのが常でして、大晦日に電車が終夜運転するのはこの名残であるとか。落語なんかだと、なにしろこの一日を逃げ切れば、借銭の期限は来年に延びるわけですから、集金をめぐる騒動も面白おかしく語られますが、けれど実際のところは樋口一葉の書いたような、切なくてやり切れない気持ちがあったんでしょうね。
高度経済成長の頃でしたか、一億総中流なんて言葉が生まれて、あたかも日本から貧乏が駆逐されたかの勢いがありました。何度かの不況を経験してもその状況には変わりなく、日本の繁栄は約束されたと思った矢先のバブル崩壊でしょう。悪い夢を見ていたんでしょうね。私は、そのバブル崩壊を高校で経験していますから、結局好景気を感じたことは一度もないんです。だから、バブルのころというのが実際どうだったのか、全然実感を持つことができないんですね。
とまあ、バブル崩壊以降日本は不況の道をひた走って、このごろようやくかすかな希望が見えてきたとかどうとかいいますが、いずれにせよ日本の経済はもう駄目だと思った人は多いでしょう。リストラも増え、自己破産なんて言葉が随分と身近に感じられるようになって、自殺者も増える増える。世相は悪化の一途をたどり、日本は精神風土の貧しさだけでなく、本当に貧しくなってしまった。いや、正確にいうと、日本自体はまだ豊かであるが、貧困が再び国のあちこちに見られるようになった。駆逐したつもりになっていた貧乏が、本当はずっと隣に寄り添うようにしてあったと気付かさせられたという、そういう思いがするんですね。
今の時代にこそ、樋口一葉の『大つごもり』は理解されるんじゃないかと思うんです。好景気に沸いて悪い夢に浮かされていた時代なら、ああ日本にはかつて貧乏があったのね、みたいな気持ちで、他人事として読んだことでしょう。けれど、今こうして貧困が他人事ではなくなってくれば、やはりこれは今私たちが目の当たりにする世の中そのものであったりするんです。
もしも私が、お峯と同じ境遇にたたされたなら、果たしてどういう選択をするか。今の私には、非常に現実味を持った問い掛けと感じられるんですね。
- 樋口一葉『大つごもり・十三夜 他5篇』(岩波文庫) 東京:岩波書店,1979年。
- 樋口一葉『大つごもり・十三夜 他5篇』(ワイド版岩波文庫) 東京:岩波書店,2004年。
- 島田雅彦『現代語訳樋口一葉「大つごもり他」』東京:河出書房新社,1997年。
暮れも差し迫るとベートーヴェンの第九を聴きたくなる、というのは実は日本発の風習でありまして、日本以外で年末に第九を聴くという国はありませんでした。ありませんでした? そう、かつては日本だけの奇習だった年末第九ですが、本場の第九を聴きたいと思ってドイツに行く人があまりに多かったせいで、ドイツでも年末に第九をやるようになったとか、そんな話があるんですね。まあ、こんなのはバブルの頃だとか、日本が好景気に浮かれていた間だけのことだとは思うんです。なので、今もドイツで年末に第九が演奏されているかどうかはわかりません。けど、クラシック音楽も商業主義に無縁ではないことがよくわかる逸話でありますね。
そもそも車嫌いの私が車に興味を持ったのはなんでかといいますと、プレステ買って、『グランツーリスモ 2』をプレイしたのがきっかけだったりしたんですね。そもそも車に興味ないのにレースゲーム買ってるというのも変な話ですが、そこはほら、話題のゲームで、完成度の高さも評判だったわけで、そうなったらちょっと試してみたくなるのが人情じゃないですか。それで、攻略本(というのかな、車種とコースどりやセッティングの基本とかが解説されてる、むやみに本格的な本)と一緒に買ってきて、一時期毎日走ってました。いやあ、面白かったんですよ。他のレースゲームをやったことがないのでこれがどれだけリアルかとかはわかりませんが、それでもFFとFRとかで挙動が変わってくるのとかはしっかり感じ取れました。セッティングを変えたら、応じて走りが違ってくるのもちゃんとわかりました。だもんだから、すっかりはまっちゃったんですね。すごく面白いと思ったんですね。
いや、嬉しや。待ちに待ったナントカの単行本がやっとの刊行です。実は私、あんまりこの本が待ち遠しかったもんだから発売日を一ヶ月勘違いしてしまいましてね、先月に紀伊国屋にいっちゃったんですよ。そしたら当然本は見つかるはずもないわけで、それで思い余って店員に聞いたんです。
私たちが当然のものとして享受している文明は、いうまでもなくヨーロッパを源流とするものでありまして、ある意味絶対的な価値を持つものであると、そんな顔をして威張っています。けど、果たしてこの文明ってやつは、本当にどこから見ても素晴らしく無欠なものであるといえるのか。そういう疑念を、文明のただ中に暮らしている私たちに思い起こさせる可能性を持つのがこの本『パパラギ』です。
今日は待ちに待ったクリスマス! というわけで、クリスマス特集のおおとりを飾るのは『ママは小学4年生』です。十五年後の未来からタイムスリップしてきた赤ちゃん — みらいちゃんを、小学四年生のなつみが居候のいづみおばさん(おばさんといっても十九歳だ!)と一緒に育てるというお話。どたばたでけれどもどこか感情を揺すぶられないではいられない、感動の名作アニメなのであります。
クリスマス特集第五弾は、ノートルダム楽派を代表する作曲家ペロティヌス(フランス語ではペロタン)の『地上のすべての国々は』を紹介しましょう。パリはノートルダム大聖堂において活躍したことから、その活動の拠点である聖堂の名をもってノートルダム楽派と呼ばれます。彼らは、おそらくは音楽史に名を残す最古の作曲家であり、十二世紀にはレオニヌスが、十二三世紀にかけてはペロティヌスが主要な作曲家として知られています。
クリスマス特集第四弾は、ロビン・ウィリアムス主演の映画『ジュマンジ』です。え、どこがクリスマスかって? えーっ、しっかりクリスマスじゃないですか。物語が完結して実に仕合せあふれるラストは、まさにクリスマスだったではないですか。ロビンもサンタクロースのコスプレしてたでしょ。そしてそこに、ともにジュマンジの苦難を乗り越えた子供がやってきて、ああ、私はあのラストシーン大好きです。一緒にWe Wish You a Merry Christmasを歌ってもいい! と思うくらい好きです。
えーっと、クリスマス特集第三弾。白鳥由里の『キャラメルポップ』を紹介することにいたしましょうか。なんで『キャラメルポップ』がクリスマスなのかという疑問をお持ちの方もいらっしゃるかも知れませんので、説明しましょう。
クリスマス特集第二弾はチャーリー・ブラウンのクリスマスからChristmas Time Is Here。ヴィンス・ガラルディが、チャーリー・ブラウンの映画のために作曲した曲で、映画のサウンドトラックにはピーナッツの子供たちによる合唱と、ヴィンス・ガラルディ・トリオによるインストルメンタルのふたつのバージョンが収録されています。
クリスマス特集第一弾は、メロウなソプラノサックスの音色が心地よい、ケニー・Gのクリスマスアルバム『ミラクルズ』を紹介しましょう。クリスマスアルバムというだけのことはあって、聞いたことのあるメロディが次から次へと続いて、しかしそれがすごくムーディ。ゆったりと歌うサクソフォンとはこんなにも暖かいものかと、傍らに立ち親しげに語りかけてくる善き隣人の優しい笑顔、友愛の情を思い起こさせるような清浄さに満ちています。
NHK大河ドラマ『新選組!』も無事完結して、いや目出度や。ところで、私らくらいの世代がNHK、新選組と聞いて思い出すものといえば『飛べ!イサミ』と相場が決まっています。小学生の男女三人組(+1)が、新選組の遺産である竜の剣を手に、黒天狗党との立ち回りを演ずるという痛快活劇アニメでして、いやはや年甲斐もなく好きで毎週見てました。漫画が出れば買いましたし、再放送があればビデオに録って残してみたりして、あまつさえ箱を、箱を……、箱を買ってしまってまでいるのでした。
大阪梅田の紀伊国屋書店を散歩していたときのことです。平に積まれた文庫の前で、おお、と思わず足をとめて、それがこの『十三妹』。いやいや、表紙に気を取られたのではありませんぞ。私が気にしたのは本のタイトル、『十三妹』でありました。
もういうまでもなく皆さんご存じの『あずまんが大王』。ある程度広く漫画を読んでいる人、あるいはちょっとおたく気味である人で、この名前を耳にしたことがないという人はさすがにいないんじゃないかというくらいの有名タイトルです。
ストーリーはわかりやすぎるくらいわかりやすいんですが、ちょっと構造は掴みにくいかも知れません。親子の愛情や、友情を軸にしながら、苦境の現実に翻弄される女を描いている映画で、つらい話が苦手とか悲しいのを見ると後を引いて仕方がないタイプの人は、見る時期を選ぶべき映画です。
この本は、大学で先生に勧められて読みました。一読してもう大ファンになってしまって、高島さんの本は見付け次第買ってるつもりなんですが、それでも半分も読んでないというのは悲しいですね。ああ、読むべきものはいくらでもあるんです。ただそれに出会えないというのが縁とかなんとかいうものなんでしょう。
年末恒例といえば歌合戦だったのが、このごろでは格闘技の興行であるようで、実際私も大晦日はどうしようなんて迷います。ところで、暮れにはもう一つ忘れちゃならない興行演目があります。第九? いや、ちゃいます。ヘンデルの『メサイア』でも『くるみ割り人形』(これはチャイコフスキー)でもなくって、もっともっと日本的なもの。そう、『忠臣蔵』ですよ。
私が大学院の一年生だったときのこと、バイト先の若いのが、いい漫画なんですよ、おすすめですといって貸してくれたのが『拳児』でした。絵柄やなんかはちょっと古くさい感じがする少年漫画。もしおすすめといわれてなければ、自分はきっと見付けられなかった類いの漫画です。つまり彼が貸してくれなかったしたら、今も知らないままにいるということです。
数年前から話題になっているので、今では随分認知されているんではないかと思います。化学物質過敏症という名前には覚えがなくとも、シックハウスとかシックスクールいう言葉は聞いたことがあるという方もいらっしゃることでしょう。新建材に含まれる化学物質や、あるいは防腐剤、防虫剤の類いに長時間さらされることで、強烈なアレルギーを発症してしまうというやつです。
私はこの人のことを知らなかったんですが、いや、すごいですね。ものすごく素朴で、ものすごく純な感じに歌うその歌声が、しんみり心に透っていく。こんな感じはめったにあるもんじゃなくって、技巧もすごいんだけどそんな下位レベルのあれこれはまったく感じさせずに、音楽のどうこうというのもなんにも意識させることなく、気付いたら自分は有山じゅんじの世界にすっぽり包まれていて、言葉は胸の奥に静かに着地しているという、そんな感じ。ああ、わからんね。聴いたことのない人にはどうしても伝わらないものと思います。
あのエリック・クラプトンが、伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンをカバーしたアルバムと聞いて、その頃ブルースにも興味があったもんだから、買っちゃいましたね。いや、なんでか音楽雑誌ばかりじゃなく一般紙にまでロバート・ジョンソンの特集がされたくらいにブルースが注目された時期でして、もちろん私はその勢いに乗っかってロバート・ジョンソンの『
お母さんが死んでしまった — けれど、ポネットは死を理解するには小さすぎて、現実を受け入れることができずにいるのです。そうしたポネットを思うと、私は切なさに胸の奥がぎゅうと締めつけられるような感じがして、けどこれはきっと私だけじゃないと思います。思い出すだけで涙が出てくるくらいに愛おしい映画で、けれど悲しさや切なさを押し付けくるようなそぶりはまったくなくて、むしろ優しさや暖かさかがしんしんと降るような幸いな世界。寒い冬の日に日だまりを見付けた、ほっと安堵し喜びが胸に満ちてくる。ただ傍らであの子を見守るばかりの私たちからが、あたかも心がきれいに洗い流されたかのように感じられる映画なんですね。
随分前に話題になった本で、なにを今更いうことがあろうかというくらい有名なタイトルですね。いやあ、このへんは私の悪いところなんですが、ブームだとかなんとかには目を背けてしまうという性質が、見事に災いしています。そんなわけで、私がこの本を読んだのは出版から随分たってから。職場で遅れたブームが巻き起こって、じゃあ自分も読んでみようかという気になったのですね。それで、文庫版が出る直前という、実に悪いタイミングで購入したのでした。

手塚治虫といえばアトムであったりブラックジャックであったりを思い出す人がほとんどで、あるいはメルモちゃんやリボンの騎士でしょうか。そうした錚々たる作品のなか、『七色いんこ』はあまりに知られておりません。うーん、この作品、私にとってはブラックジャックに並ぶ名作でありまして、それどころか、好きということに関してならブラックジャック以上であるかも知れないんです。それだけに、もっと知られて欲しいという思いがあります。
ガンダムのシミュレーションゲーム、ストラテジー(戦略)系の最高峰が『
大変珍しい(というほどでもないと思いますが)、習字がテーマの漫画。情熱的で天才肌の成瀬真琴と、沈着冷静で努力家の御前崎薫という二人のヒロインが、切磋琢磨しながら自分自身の書を見付けるストーリー、といえばなんだかものすごく陳腐ですね。いや、けれど見ていただければわかると思うんですが、決して習字一辺倒の漫画ではないんですよ。習字を軸に恋愛も絡めた、ヒロインの葛藤友情もの、といった感じでしょうか。ごつごついろんなところに頭をぶつけながら、むきになって食い下がりながら、自分の可能性を広げる女の子漫画という見方が私は好き。ええ、私はこの漫画、結構好きだったんです。
ショーペンハウアーの『自殺について』は、そのタイトルの直截さが興味をそそるからなのか、結構読まれているみたいですね。実際本も薄くて読みやすそうだし、ショーペンハウアーという名前もなんだか聞いたことがあってすごそうだ。けど私がこの本を買った理由は本当に馬鹿馬鹿しくて、岩波文庫で一番安かったから、というものなんですね。総ページ数107ページ、価格は260円(本体252円)。他にも薄い本といえば、有島武郎『
アメリカの作曲家スティーブ・ライヒは、ミニマル・ミュージックの第一人者として知られています。ミニマル・ミュージックとはなにかといいますと、極小さな音楽の単位を何度も何度も繰り返して作る音楽のことで、例えばテクノだとかを思い起こしていただけるとわかりやすいんじゃないでしょうか。メロディよりも、リズムよりも、まずはなによりもモチーフがあって、繰り返しのモチーフが折り重なって生まれる、予期しなかったようなリズムやハーモニーのグラデーションを楽しむ。そういう風な音楽がミニマル・ミュージックと呼ばれています。
最初は四コマ専門誌の一新人に過ぎなかった人が、あれよあれよと人気になって、雑誌の看板になって、CDドラマも出て、なんだかすごいなと傍観してたら、英語版が出る運びになりました。うわあ、びっくり。欧米でジャパニーズマンガが人気というのは心底思い知っていますが、まさか今の段階で『トリコロ』翻訳が出版されるほどに広がってるとは思いませんでした。いや、あるいは出版社が売り込んだのでしょうか。
昔、私の漱石好きを知った人から、なんかおすすめはないかといわれたことがありまして、猫とかはもう知ってると思うし(読んだかどうかは別としてね)、だからといっていきなり『それから』とかをおすすめするのも厳しいかもと思ったので、読みやすく手ごろな小品 — 『夢十夜』をおすすめしてみることにしました。
昔がよかったというのは年寄りの常套句で、実際以上に過去を美化して今を顧みないという恥ずべき態度の表明、もう私は発展も変化もする余地のない、生きているだけの死人でありますよと自白するようなもので、できれば口にしたくない言葉です。ですが私はあえていいたいのです。アニメに関しては昔がよかった。
ああ、私、やっぱり川原泉が好きです。なんというか、シンプルな線で表現される、ちょっと世間に背を向けかけたような川原さんが好きなのです。この世に降りて飄々と戯れする御使いのような人 — 氏の単行本に見える四分の一スペースへの偏愛を隠すことのない私にとって、『小人たちが騒ぐので』は、なににもかえがたい素晴らしい贈り物となったのでした。
古くからの友人同士で、お互いにわかり合っていると思っている奴がいます(それとも私だけ?)。わかり合ってるといっても、ずっとべったり友達というわけでなく、年に一度会うか会わないかだなあ。連絡もほとんどとらない。けれど、そうしたことが問題になることはないんですね。会えば、時間だとかなんだとかは関係なくなる。誰にもそんな人間というのが一人ぐらいいるんじゃないかと思います。
もう、オールドゲームっていいきっちゃっていいと思うのですが、名作と名高い『ドルアーガの塔』、私はこれが大好きです。
日本語でのタイトルは『狂熱のライブ』であるようなのですが、あんまりピンとこないので、英語のタイトルで紹介してみました。『狂熱のライブ』、レッド・ツェッペリンのライブ映像で構成された映画なのだそうで、そのおかげでミュージックビデオとは思えない価格が実現しました。ええと、2004年11月時点で2,100円。というか、他のミュージックビデオもこれくらいの価格にはならないものでしょうか。もうちょっと安ければ買えたのにと思う、実は欲しいのに買えてないDVDというのはたくさんあります。せめて昔ビデオやLDで出ていたものの再リリース版なら、これくらいの価格にしても罰は当らないと思うのです。
私はまっすぐであることに憧れます。まっすぐにものごとを見据えて、決して流されないという生き方 — けれど現実には難しいんですね。智に働けば角が立ちます。情に棹さし流されながら、窮屈に耐えてどこまで意地を通せるか。そこがまっすぐ生きるための要点であるというのに、ところが私は意気地がないものだから、すっかり世間のことは世間のこと、自分には関係ないことなのだと割り切って、あえて世間の求めることを求めるままに片づけるばかりにしています。
私が中国語を始めたのはこの漫画に出会ったからでして、もう何年前のことになりますか、たまたま寄った書店でちらりと見たOffice Youに掲載されていたのでした。そういえば、後日ちゃんとその掲載号を買ってまして、ええと、探してみたら1998年の10月号。うへえ、もう六年前になるんですね。こいつは驚きだ。
ガンダムは出せば売れるということもあるのか、昔からいろんなかたちでゲーム化されてきて、ボードゲームやカードゲームからコンピュータゲーム、最近では
