昔、私の漱石好きを知った人から、なんかおすすめはないかといわれたことがありまして、猫とかはもう知ってると思うし(読んだかどうかは別としてね)、だからといっていきなり『それから』とかをおすすめするのも厳しいかもと思ったので、読みやすく手ごろな小品 — 『夢十夜』をおすすめしてみることにしました。
『夢十夜』は、夢に見た物語を十編並べたもので、ひとつひとつのお話はとても短い、けれど内に含む深さは長編にも負けることのない。私は実にこれが傑作であると信じて疑わないものです。
(画像は新潮文庫『文鳥・夢十夜』)
ですが、件の人はそうは思わなかったようでして、まずなによりその面白さがわからないとおっしゃいます。仁王を彫る男に、仁王をこしらえるのじゃなく木の中に入っているのを掘り出してるのだといわれて、じゃあ自分もやってみようと思った。けど明治の木には仁王は埋まっていないようだという話。だからなんだというのか全然わからないといわれて、私は絶句したのでした。
ええ、この話が一番わかりやすくて、ユーモアもあり含みもあり、漱石の芸術観もうかがえる。私には、この話がわからないといっているその人のいうことがわかりませんでした。そして、この世には話のつながらない関係というのが確かにあると、実感するにいたったのでした。
『夢十夜』にはユーモアやおかしみだけでなく、美しさや儚さ、苦さ、悲しさ、機微も含まれて、これがほんの数十ページしかない小品であるとは到底思われないほどの読みごたえです。一言で表現するとすればロマンティックでしょう。すべてが茫漠たる霧中の出来事のようです。掴もうとすれば指の間をするりと抜けるような不確かさが、一歩歩み寄ることで、読む私たちを包むだけの大きさを持っているのです。
この話は、外から見てためつすがめつ斟酌するようなものではなく、内に飛び込んで自ら遊ぶのがきっと正しい。天地を転倒させ、自分もふわふわと漂いながら、その感覚さえも楽しむ、ワンダーランドの趣ある物語なのです。
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