2004年11月8日月曜日

旗色悪い古舘

報道ステーションに石原慎太郎がでていて、古舘伊知郎は果敢に食い下がるも敗色濃厚、石原の揺るぎないことまさしく石の如しです。

例えば教育にしても、強制だなんだと問題にするのが問題で、だって近代教育の生まれた根拠を振り返れば一目瞭然です。国民国家を成立させるためには国民を作り出さねばならず、教育に期待されるのはまさにその一点だったのでありますから。ゆえにアメリカを問わず中国を問わずどこの国でも愛国心教育をして、子供のうちから国家への忠誠をたたき込んでいくのであります。石原の前提はそこにあるのですから、君が代日の丸の強制は問題じゃないのかと問うても、ちっとも問題なんかあるものかという答えが返ってくるのは当たり前なのです。

古舘は負けて当然、相手の土俵で戦いすぎです。石原の得意分野で、理論武装もすんでいるところへ飛び込んで、なにしろ石原は正義は我にあり、文化伝統が自分の味方と思ってるような人ですから、持論を曲げるなんてことあろうはずがない。

しかし文化や伝統なんて、時流についていけないことを体よく言い換えただけのものですよ。あるとき、なんかの都合で作り上げられるのが文化や伝統で、常に変化し続ける動きのなかには生まれないのが文化伝統です。文化伝統と呼ばれたとき、すでにそのものは死に体なのです。じゃあ死に体にすがるのはなんでなのか? 古びた時代にノスタルジーを見て、昔はよかったと思う人間がいるからです。ことわざにいいます、喉元過ぎれば熱さを忘れる。文化伝統が大好きなんていってはばからない人は、過ぎた熱さを忘れてしまうような人です。

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