2004年11月18日木曜日

『室内』40年

  『室内』というのは工作社の出している雑誌で、その前身は『木工界』といいました。名前を見れば中身もおおよそ見当がつくと思いますが、木工品などを作る業界の人、職人の読む雑誌です。じゃあ、この『『室内』40年』というのはなにかといいますと、この雑誌『室内』の歴史を追う回想記、工作社の社史です。けれど工作社社長にして著者であるのが山本夏彦翁。ただですむはずがないじゃありませんか。そう、この本は社史にして社史に留まらず、社会史戦後史昭和史建築史、とんでもない膨らみをもった実に恐るべき本なのですよ。

実は今日、テレビを見ていたら、建築デザイナーの家というのを映してまして、それが実にひどかった。床が透明アクリル張りで下から丸見えというのもそうなら、風呂も丸見え、便所も食卓のすぐそばで丸見え。ナレーション曰く、この建築デザイナーとやらの作る家は風変わりで云々、一瞥してこいつら馬鹿じゃないかと思いました。作らせた人間、止めなかった人間、そして面白がって持ち上げる人間。どいつもこいつも正気の沙汰ではありません。

建築というのは、特に住宅というものは、住む人間があってはじめて成り立つものです。それをただ真新しさや奇をてらった作りにして見せて、ほらこれが建築芸術でございとやってみせる。そうした、居住者の存在をないがしろにしているものが住宅と名乗るのは実におこがましい。醜悪です。とかくこの世にあって、アーチストぶっている輩ほど始末に負えないものはないとわかります。そうした連中は自意識丸出しに、誰のためにもならないものばかり作って自己満足に浸って有害です。

と、私がこと住宅についてこうしたことを思えるようになったのは、他でもなく山本夏彦翁の本を読んでいたからです。氏の本は、ただ面白がって読んでいるうちに、真当な態度で考え、批評する基礎が身につくという、実に希有なものなのです。

夏彦翁は工作社社長でありながら、自身が文筆をする人でもあります。建築業界を見、出版を営み、自らも書く。この多彩なありかたが実際著書にもよく表れて、話題はあっちに行ったりこっちへ行ったり。けれどその散漫がちっとも散漫に感じない。ひとつ翁の実感があまりに生き生きしているもんだから、まるで目の前にその光景を見るかのように絢爛で釣り込まれてしまうのです。氏の興味はもちろん木工の世界、職人の世界でありますが、おそらくそれ同等か以上に出版の世界、広告の世界、実業の世界、社会風俗に向けられています。こうした広範な事物への知識興味が、工作社女子社員との対談という形式でつづられたのが『『室内』40年』そして続く新書の三冊です。

これらの本での夏彦翁は、思い出語りするみたいな雰囲気で、戦前という時代、戦後昭和のことを明らかにしていきます。そのほとんどは一見なんだかセピア色に感じられるのですが、読めば現在への鋭い言葉があると気付きます。この氏の感性が、ややもすれば現在に取り巻かれて、鈍くなってしまっている私たちをはっとさせるんです。たびたび自分の鈍さを自覚させられていくうちに、自ら考え出すようになっているのですから、氏の影響力は絶大です。

山本夏彦翁の本は、独特の文体(それがまたよいのですが)でつづられるので、本を読み付けない人にはしんどいかも知れません。ですが対談形式による『『室内』40年』以下は、そもそもがかみ砕かれていて読みやすく、山本夏彦入門として最適です。

しかし入門といって侮る事なかれ。入門ではあるがそれでもしっかり実のあって刺激に富んだ、やはり希有な本なのです。

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