古くからの友人同士で、お互いにわかり合っていると思っている奴がいます(それとも私だけ?)。わかり合ってるといっても、ずっとべったり友達というわけでなく、年に一度会うか会わないかだなあ。連絡もほとんどとらない。けれど、そうしたことが問題になることはないんですね。会えば、時間だとかなんだとかは関係なくなる。誰にもそんな人間というのが一人ぐらいいるんじゃないかと思います。
ただ、そうした友人関係というのも善し悪しだなあと、イアン・マキューアンのアムステルダムを読んで思ったのでした。あ、私は作曲家クライヴ・リンリーの立場から思ったんですね。
この小説のテーマというのは、やっぱり友人関係なんだと思うんです。ひとつの時代や感慨を共有していて、けれどどこかに少し齟齬を来しているのが人間の普通です。その、本来なら問題にしないような齟齬が、ある状況下で取り返しのつかないほど大きくなってしまう。そういう誰にもありうることが、テーマとして的確に掴み取られています。お互いに深く食い込んでいる友人を、自己に深く食い込ませているがために、ときには親密に感じ、ときにはこれ以上なく疎ましく感じる。友人関係の二面性! そいつが実に鮮烈に描写されているんですね。
新聞編集長のヴァーノン・ハリデイ、作曲家のクライヴ・リンリー。立場も暮らすスタイルも違う二人が主役に据えられることで、読者は自分をどちらかに投影してぐっと引きつけることができるのでしょう。私には、クライヴが鏡となりました。奔放でむら気な性質が、時折浮かぶ金色の雲を掴みそこねて、どんどん剣呑さを増していく。その様は、いや、実に私っぽいですよ。そうです。私は昔、先にいった友人を、自分のむら気ゆえに激しく憎んで、一年にもわたる間辛く遇したことがあったのです。そんなもんだから、この話の行方は他人事とは思えませんでした。実に、私の内面の影が落ちる、迫真の物語だったのです。
- マキューアン,イアン『アムステルダム』小山太一訳 (Crest books)東京:新潮社,1999年。
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