テレビでやっていた『南極物語』を見ました。いったいいつぶりだろう。下手をすると、地上波時代、それも平成に入る前とか、そんなだったかも知れません。子供の頃、映画館で見て、それはこの映画が大ヒットしていたということもあるのでしょうが、やっぱりタロとジロの物語、それを子供の私が見たがったからでしょう。タロとジロの物語は、当時の子供たちにはあたり前みたいに知られていた、そのように記憶しているのですが、学習雑誌とかの読み物、または漫画とかでも紹介されていた逸話で、それが映画になるという。当然テレビでもなんでも強く宣伝されたのだと思う、いこういこうと見にいったのだと思うのですね。
子供の頃の私は、映画館で、とにかく犬たちの物語が目当てでしたから、人のシーンにはほとんど興味を持ってなかったのだと思います。それでも記憶に残っていた祇園祭のシーン。子供の出てくるリキの飼い主のエピソード、あのあたりが記憶に残りそうなものなのに、そうしたところがすっぽり抜けて、犬たちのシーン、シャチとの遭遇や、鎖がアザラシの牙に引っ掛かり氷の海に引き込まれていく場面ばかりを覚えていた。後にテレビで見た時に、あああの映画館で見たと覚えていた祇園祭はこの映画のものであったのか、そんな感じで答あわせするするようにして記憶を更新したものと覚えています。
国内パートはもっと長かったと思ってた、それが今回見ての感想でした。それは、昔の自分はきっと理解しえなかったろう、そういった先入観ができてしまっていたからかも知れません。今見てみると、やはりそのメインは犬たちであり、日本の夏、人のドラマのシーンも、犬たちの物語を支える、そうしたものであったと理解した。いや、そうじゃないか。どちらもメインであり、人のシーン、犬のシーン、双方が互いに支え、深めあっていたのだと思います。冒頭に描かれた犬ゾリのシーン、その丁寧な描写は人と犬の関係、気持ちの深さというものをしっかり見るものに植え付けて、ゆえに人と犬の別れ、犬を残してきてしまったことへの思い、そして再会のシーンがあんなにも心を揺さぶるものになったのだろう、そう思わされます。
多くは、いやそのほとんどすべては想像で描かれたに違いない犬たちの越冬の情景も、もう本当に見ていてつらく、いたたまれなく、一頭、また一頭と犬たちがその命を終えていく、そのたびにたまらない気持ちになる。あの、クジラの死骸の場面など、犬が人との思い出を辿り、人と一緒にいた頃のことを思いながら死んでいくのだろうか。ええ、もうたまらない。最後にタロとジロが風連のクマとアンコに再会する。あの四頭を見て、ああなんとか皆生き延びてくれ、わかってるんですよ、タロとジロしか生き残らないって、けれどそれをわかっていながらそう願わないではいられない。それくらいに、犬たちに気持ちを移してしまって見ていたんですね。
今回の放送は、高倉健さん追悼の特別番組としてでした。私は、高倉健の直撃世代ではないんです。映画もほとんど見ていない、そう思っていたんですが、おそらくはそうではなく、高倉健の映画と意識しないままにそれを見てきたのだと思います。『南極物語』がまさしくそうでした。私は、これを、高倉健の映画とは思わず見ていた。けれどあの、タロとジロの姿を遠くに見つけ、そして、おおー、と大きく呼び掛ける、あの場面などはぐっと胸にこたえて、ああ、私も高倉健の存在を確かに感じてきたひとりであるのだな、そう思わされるところの強かった放送でありました。
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