旅行に出ていました。国外、中国、四川省は九寨溝。美しい湖が数多くあるということで知られる地です。映画『英雄 / HERO』の撮影地として選ばれた場所でして、ほら、あの湖上での剣戟のシーン。水の碧も深くして、神秘に満ちたあの湖です。そこへいってきました。もちろん写真も撮ってきています。ご興味お有りの方は、どうぞご自由にご覧ください。ただ、全部で六百枚を越えています……。見るだけでも大変だと思います。
全部で六百枚を越えています — 。ほんと、持っていったのがデジタルカメラでよかったと思う瞬間です。使ったカメラはもちろんご存じGR DIGITAL、そしてCaplio R4でした。実はMINOLTA SR-T101も持っていったんですが、こちらは使う機会に恵まれず、結局重い荷物となってしまいました。やっぱり使いかってのいいカメラが二台もあれば、そちらばっかり使ってしまうというのが人情というものなのかも知れません。
さて、いくら景観に勝れた土地にいくとはいえ、カメラを三台も持っていくとは尋常ではありません。ここに私のこの旅行に対する情熱というか期待というかがうかがい知れるのではないかと思うのですが、とにかく撮って撮って撮ってきたわけです。その枚数、最初にもいいましたとおり、六百枚。これだけ撮れば、さすがにGRとR4のそれぞれのよさというのが見えてくる、とまあそんな風に思います。
そもそもGRがあるのにR4を持っていったというのはなぜかといえば、やっぱり広角単焦点のGRでは撮れないものがあるから、ということに尽きるのではないかと思います。歪みの少なく描写力に優れるというGRの個性というのは、ズームができないというデメリットを上回って魅力的であることは間違いないのですが、ですがそれでもやっぱりズームが欲しいというときもあるのです。そうですね、次の写真を見てください。
黄龍での一枚ですが、同じ場所からGRで撮るとこうなります。
実は一枚目の写真、こういうのはGRでは撮れないのです。GRには光学ズームはありませんがデジタルズームがついています。じゃあそのデジタルズームで撮ったらどうかといえばやっぱり駄目で、というのは、広角レンズは遠近感を強調する効果があるのに対し、望遠レンズは遠近を圧縮する効果を持っているのです。R4で撮った写真では寺院、人、木々が密集しているかのように見えますが、GRではかなりの隔たりがあるように写っています。この違いを実感して、やっぱりズームの使えるカメラもあったほうが便利だなあと、本気でそんなことを思っています。
ただ、これから買うとしたらR4じゃなくてR5かなと思っています。画素数が問題なんじゃないですよ。私が問題にしているのはカメラの操作性です。R4はボタンが押しにくいんです。特に電源ボタン。シャッターボタン左に電源ボタンがあるのですが、本体に埋まり込むようにデザインされているものだから、押すのにかなり気を使うのです。爪あるいは指先の肉で押し込むようにするんですが、あんまりに力を入れてしまうものだから、ボディ上面が軽くしなるのが怖いんです。対してGRはというと比較にならないくらい頑丈にできているし、ボタンも押しやすくできているしで、もしGRの操作性を持ったR4が出たら買っちゃうなあなんて思ったのです。
多分、R4の操作しにくさについては、多くの人が同じように感じたのでしょう。フィードバックを受けてか、R5ではボタンまわりの配置がずいぶん変更されています。電源ボタンはシャッターの右側に移り、しかも円形のGRでも採用されているようなかたちになっています。他にも、ズームアップダウンの位置が変わるなど、これは果たしてよくなったのかどうかわかりませんが、いろいろ見直しがされていて、ただ画素数が増えただけのマイナーチェンジではないと感じさせます。
でも、これはいってはいけないことだとはわかっていますが、いくらR5が操作性を見直したとしても、GRに比べることはできないでしょう。GRにはアジャストダイアルがついていて、これが非常に使い勝手がいいのです。露出のプラスマイナス補正やISOの変更、ホワイトバランスなどなど、気軽に変更できる操作性の高さはR4の追随を許しません。いや、R4もかなりこうした設定の変更はしやすいと思うんですよ。Adj.ボタンを押して変更するというインターフェイスは非常に優れているのですが、でもGRを知っちゃったらなあ……。というわけで、私はR4に関しては、ほとんどカメラ任せのオートで撮っていました。最初はホワイトバランスがオートになり、次いでISOがオートになりました。でも、カメラ任せでも割合にいい感じに写ってくれるから、特にこれで問題はなさそうです。撮影において細かく設定を変えるのもいいものですが、R4に関しては、カメラ任せでぱっと出しぱっと撮るというスタイルがよさそうだと、そのように感じました。そんなわけで、GRにおいてもいつかホワイトバランスをオートにする日がくるかも知れません。
以上、GRの弱点であるズーム機能を補完できるカメラを併用すれば最高なんじゃないか? っていう話でした。ズームの強さに魅力を感じるならR4やR5を、防水性や20mフラッシュに意義を見いだすなら500G Wideが選択肢となると思います。いや、ほんと、冗談抜きでR5が欲しいです。
最後にR4での作例をもう一枚。写真の出来を決するのはカメラの価格ではないということがわかるのではないかと思います。




待ちに待っていた『
『
私は『
その頃は私はSAJUなんて名前さえも知らなくて、だからmissingを買ったのは本当にちょっとした偶然でした。中国語をはじめて、言葉の響きに馴染むにはその言葉で歌われている音楽を聴くのが一番だということで、チャイニーズポップスを買いにいったのです。その時、どうせならもう一枚と思い、余計に買ったのがこのアルバムでした。つまり、ジャケ買いというやつですね。クレジットされている名前も知らなければ、入っている曲がどんなのかもわからない。そもそもジャンルだってわからないんです。だってね、英語の歌とかだったら結構細かくカテゴリが分けられてたりするんですけど、こういう中国語やなんかとなると、十把一絡げにワールドだったりするじゃありませんか。逆にいえば、そういう乱暴なカテゴライズだったから出会えたともいえます。だって私はチャイニーズポップスを買いにいったのですから。SAJUが
私はこの映画をテレビで見たのですが、はじめてみたその時、すごい映画が中国から出てきたものだと、本当、あぜんとするかの思いでした。中国の映画というと、往年の香港カンフームービーみたいな頭があって、基本的に師匠の敵、親の敵を討つというのがパターン。よくいえばシンプルなその形式の中で、主人公の体を張ったアクションというのが光る。こうした印象はその後も続いて、映像がきれいになって、映画全体に感じられた泥臭さというのが抜けたとしても、中国(香港?)アクションムービーといえばジャッキー・チェンの初期作品の延長にある作品であるという感じがしたんですね。


私はよくよく考えたら、そんなに高橋留美子が好きなわけでもないのですが、それでもよく見てました。『
最初私は、Wizardry XTHを
以前、友人がいっていたのです。Amazonのこの商品を買った人はこんな商品も買っていますにはしてやられてばっかりだ。ほら、Amazonは自分の顧客の動向をデータベース化することで、他の顧客へのお勧め品を自動作成するという機能を持っています。これ、結構大ざっぱではあるんですが、確かに友人のいうように効くんですよね。おお、こんなの出てたのか、知らなかった、買おう。へえ、こんなのあるんだ、知らなかった、買おう。友人にとっても危険なら私にとっても危険であること間違いなく、そうなんです、私もやっぱりしてやられているのです。いや、してやられていると一方的にいっちゃあいけないな。だって少なくともこの機能のおかげで、もしかしたら知ることのなかったものを知ることができているのですから。そうしたひとつの成果がニック・ジョーンズのPenguin Eggs。トラッド色の強いアルバムです。
萩岩睦美は私の好きな漫画家であるうんぬんとは、これまでも何度かいってきました。例えばそれは『
クリスマスのイベントで歌うことになりました。ええーっ、クリスマスのイベント! あんたが!? 似つかわしくないという気も確かにするのですが、けど声をかけてもらったんだもの、仕方がありません。それに、なんとか人前で演奏する機会を持たないことには技術の向上も図れないというわけで、珍しく私はやる気を見せているのです。で、ここで問題が。なんといっても私は別れ歌うたいといわれているような人間で、つまりレパートリーはというとやれ別れだとかやれ悲しさだとか、そんなのばっかり、暗いんです。けどさすがにこれをクリスマスイベントでやるほどに私は神経が太くできてはいません。だから、早急にクリスマス用の曲を探す必要があったのでした。

知人が最近『トップをねらえ!』を見たらしく、その感想を書いていたのを読んだのですね。感想はといえば本当に簡単なものだったのですが、けど、なんだか好きだということが伝わってくるようで、ああ久しぶりに見たいなあなんて思ったのでした。けど、テレビで放映していたのをしっかり全話録画したはずなんですが、一体ビデオをどこにしまったことやら、見つかったものはといえば『
萩岩睦美の漫画はなんだか独特のファンタジー感覚に満ちていて、『パールガーデン』なんかはそうした路線の典型例なんではないかと思います。主人公は人魚の女の子ピア。彼女が人間の世界に父親を探しにいこうというところから物語ははじまるのですが、後はもう場面状況がくるくると変わっていく、まさしくジェットコースター的展開の魅惑です。しかしその転換の魅惑というのは、ピアだけの話ではないですね。最初にたまたまであった人間グリーンと町で出会ったマルコが大きく関係していまして、ふたりとも詐欺師だったりスリだったりとまったくもってかたぎじゃないんですが、けれどこんなふたりがなんだかいい奴で、こうした人の根っからの善良さが信じられているというのも萩岩睦美の漫画のよさなのかも知れないななんて思うのです。
きづきあきらにはまっております。きっかけは『
人にはどうも好き好きというのがあるようで、それはギターに対しても同じようです。というのもですね、私の知り合いの話なんですが、どうもその人はテレキャスターが好みらしく、テレキャスターばっかり何本も持っているんだそうですね。ええと、三本持っててこないだ四本目を買った? わお、なんでテレばっかり! という私も実は人のことがいえなくてですね、どうもドレッドノートが好きなようなのですよ。最初のギター(Aria AD-35)がドレッドノートで、今のメインのギター(Asturias D. Custom)もドレッドノート。多分次のギターもドレッドノートだぜ、というと実はそうではなく、もしかしたらレスポールになるかも知れない……。ええーっ、なんでまたレスポール!? それにあんた、もうレスポールは持ってんじゃん。ええ、持ってるんですけどね。Epiphoneのですが持ってるんですけどね(Epiphone LPC-80)。

やっさんとハルコは同棲カップル。アパート暮らしの二人の日常を描いた漫画だというのに、一体なんだ、この色気のなさってのは。もともと色気に関しては絶望的な漫画であるのですが、3巻に至っては風呂上がりバスタオルを巻いたままでコンビニに買い出しにいくという荒技まで持ち出して、それでも壊滅的に色気がないときました。でもそれも、小坂俊史の漫画だからしかたがない。この人の漫画には色気よりも笑いが過剰で、これでもかこれでもかと畳みかけられる登場人物たちの非常識さは、こんなの身近にいたらきっと迷惑きわまりないよねと思いながらも、でも面白くてしかたがないんです。一体なんでなんだろう。こうした破天荒が面白いのは、私のどこかにこうした破天荒に憧れる要素があるからなのでしょうか。
昔、『まんがタイムポップ』っていう隔月誌があったんですよ。ナチュラルとポップが交互に出ていて、私は断然ポップの方が好きで、それこそ性に合っていたというほかないくらいに好きでした。載っていた漫画が好きだったし、雑誌自体の雰囲気も好きだったし、ちょっと宝物気分でまとめて保管されています。で、ポップは結構ストーリーも充実していまして、あ、ポップは四コマ誌なんですけど、四コマ誌だからといって四コマだけしかないって訳じゃなくて、一般誌でもストーリーの合間に四コマがあるように、おんなじくらいの割合でストーリーも載っているのです。ポップに載っていたストーリーといえば、甘夏柑子の『橘さん家の家事的事情』。好きでした。S@ORIの『日日平安。』。これも好きでした。そして『リカってば!』。好きでした。この中で残っているのは『リカってば!』だけですが、これらは今でも好きな漫画です。
四コマ漫画というカテゴリにおいては重要なジャンルであるOLもの。なかでも王道といえるのが、どじOLものであるのではないかと思います。というわけで、今日発売の『Spring!!』もそうしたどじOLというくくりで語ることのできる漫画であろうかと思うのですが、どじはどじでも一味違うように思います。なにが違うんだろう。朗らか、のんき、前向き、主人公のそうした傾向は、この漫画に限らず他でもみられるものなんですけど、けどなんでか『Spring!!』のヒロイン春日晴日は特別なのです。なんだろう。絵のかわいさかな? シンプルなわりに妙に色っぽかったりもする絵柄のせいかな? でも実際のところ、春日晴日の特別さには作風が関わっていると思うのです。素直さやめげない一途さ、健やかな様がありありと伝わってくる、その作風がこの漫画の第一の楽しさなのであろうと思います。
今日、ちょっとヨドバシカメラに寄る用事ができまして、なにかというと、ハクバの
私は『レインマン』の映画が好きで、テレビで放送されているのでも何度も見たし、それにDVDが出たときにも買ってしまって、一体なにが好きなんだろうといえば、自閉症の兄レイモンドその人と、そして彼と出会って徐々に変わっていく弟チャーリーのその変化していく様なのだろうと思います。最初はそれこそ金のことで頭が一杯だったチャーリーなのに、施設からさらうようにして連れ出したレイモンドとの旅を通じて、自分の中にもあった穏やかさと愛情に気付くというストーリーは、見ている私にしてもあくせくとした心が洗われるような優しく感動的なものなのです。特にラストシーン。私の『レインマン』の印象は、あのラストシーンに凝結しているとそのように思います。
今日は昔のギターに思いがけず出会って、けれど縁がなかったのか私の手に落ちることはありませんでした。ギターの銘柄はHarptone、調べれば1970年代のアメリカのギターです。70年代といえば日本でもアメリカでも生ギターを手にフォークソングを歌うというのが若者の基本スタイルで、それでふと私は『雨の降る日はそばにいて』を思い出したのでした。太刀掛秀子の作、1977年にりぼんにて連載されていた漫画です。これを私は文庫に収録された版で知って、読んだ、そして涙は滂沱と流れて、しかしただ悲しいばかりじゃなくてなんと健やかな終わりを見せたことでしょう。別れは悲しく、ひたすらに悲しく、けれど別れの悲しさの前には出会いの喜びがあったはず。人生は一期一会、すべては縁のままに回っていくものと存じます。
最近うちには種無しの西瓜があって、これもらってきたものだかなんだか、いずれにせよ私が種のあるのを面倒くさがって西瓜にせよ葡萄にせよ食べないものだから、こういうものはありがたいよねと食後いただきながら、でもなんだか自然に反してるようにも思えてきて、そしてふとその種無しというキーワードが入江紀子の漫画を思い起こさせたのでした。『ぶどう・むらさき』。ある夏休み、東京からきた若い叔母をめぐるちょっとしたエピソード。主人公は薫、この子の視線を通して、私たち読者は叔母ゆかりの一夏を垣間見るのでありました。
