Wizardryはもちろんアメリカで生まれたゲームなのですが、なんでか日本で大人気。特に初期の4作(#1-#3, #5)の愛されかたは尋常ではなく、この初期型Wizardryのシステムを用いたWizardry亜種が大量にリリースされています。初期にはゲームボーイをプラットホームとした外伝、これは私もやりましたよ。大学生の頃ですね。ゲームボーイポケットを買って、中古で探して、その頃には攻略本なんてもう古書店にでもいかないとないし、インターネットで攻略情報を探すなんて時代でもないし、だから自力でクリアしましたね。Wizardryは攻略情報なしではクリアできないだなんていっている人もいるようですができます。少なくとも初期国産のWizardryなら可能です。リセットを前提としなくてもクリアできるように作られています。
でも、なんでこんなに日本でWizardryが受容されるようになったんでしょうか。今や世界最大のWizardry供給国は日本であり、米国に逆輸入されているものまであるくらい(本当はもっとあるはずなんだけど……)。日本はただのWiz消費国ではなく、多種多様な有り様を模索するかのようにWizardryを探求しているのです。けど、なんでこんなに日本でWizardryが受け入れられるようになったんでしょうか。
ファミコン版の存在でしょうね。本国ではApple IIというコア層向けのハードウェア向けにリリースされたWizardryは、日本ではまずPC88をはじめとするコンピュータをプラットホームとして展開され、そして1987年にファミコン版がリリースされました。でも、正直これが爆発的なヒットをしたわけではなくて、あくまでも時代はドラクエで、同じく1987年12月にはファイナルファンタジーがリリースされて、いや遊びましたね、ファイナルファンタジー。あの飛空艇の速度には……、って今回はそういうのが目的じゃなかった。ともあれ、同年同月に発売されたこのふたつのRPG、人気は明らかにファイナルファンタジーに向けられていました。もしずっとこのままだったら、日本にこれほどWizardryが広まることもなく、ましてや定着することもなく、ひっそりとより狭いマニア向けのゲームという範疇にとどまっていたことだろうと思います。
ここで重要になってくるのは『ファミコン必勝本』という、ちょっと恥ずかしいタイトルの雑誌であろうかと思います。『ファミコンマガジン』全盛期に、私は『ファミコン必勝本』、略して必本(ひっぽん)を購読していました。そしてこの必本のWizardryに入れ揚げることったら、他誌の追随を許さないほど。一体なにがあってWizardryに重きを置きはじめたのか、「ウィザードリィ友の会」なんてコーナーができ、さらにはWizardryをベースとした小説の連載もはじまり、ついにはコミックも! ふうん、Wizardryなんてのがあるのかくらいにしか思ってなかった私も、いつか買うんだ、いつか買って遊ぶんだとその熱に浮かされて、悔しいことに先にはじめたのは友人の牧野で、あいつは私より後に必本を買いはじめたくせに、私より先にWizardryを買ったんだよなあ。悔しいなあ。Wizardryで遊びたいなあ。アスキーの配ったWizardry入門編ともいえるチラシ(今も残っています)を眺めながらもんもんとした日々を過ごし、ようやくWizardryを購入したのは中学三年のころでしたっけね。牧野から借りて先にWizardryに親しんでいた久保見の家ではじめてWizardryを開始したのですよ。キャラメイクでは高いボーナスポイントが出るまで何度もキャラクターを作り直すというのが常道で、私も当時そのようにしたのですが、出ましたね、最高のボーナスポイント29が。おいおい久保見、29が出たよ、といったら、おまえなんで善でしかも人間やねんって罵倒されました。しゃあないやん、最初は善でやりたかったんやもん。というわけで、B.P.29の彼は僧侶となって活躍しました。ターボファイルでもって2、3へと転送されながら、かけがえのない私の仲間として、ずっと記憶に残っております。
って、そんな話するつもりじゃなかった。
Wizardryの攻略本で秀逸だったのが、『ファミコン必勝本』を出していた出版社JICC出版局から出た『ウィザードリィのすべて』でした。この著者、ベニー松山の入れ込みようが素晴らしかった。ただ攻略情報が載っているという本ではなかったのです。WizardryというCRPGの向こうにベニー松山が見た世界が、とうとうと語られています。世界観の考察、見出しは以下のとおり:
- 歴史
- 生活
- 治療と蘇生
- 魔法
- 武具
あまりにゲーム内で語られる内容の少ない部分を創造力で補って、それをこうして本のかたちで出したことで、この解釈が日本のWizardryにおけるひとつのスタンダードとなったのです。もちろん、解釈や世界観にはほかにもいくつかのバリエーションがあり、エセルナートやトゥルーワードという地名や概念が存在するもの(ちなみに私はこちらは大嫌い)もあって、一口にWizardryファンといっても一枚岩ではありません。総本山から枝分かれしたセクトごとに異なる教義解釈を持つ、さながら一宗教のごとくなのであります。
ゲームボーイもスーパーファミコンも買わなかった私は、ベニー松山が著者としてクレジットされた『ウィザードリィのすべて』しか知らないのですが、この最初の二冊は秀逸でした。後に中古ゲーム店で見かけた続刊はというと、もはや普通のゲーム攻略本としかいえないようなもので、いかにベニー松山という人の存在が大きかったということがうかがえたような気がしました。
でも、今となってはただ手放しに褒めることもできないかなとも思うのです。というのも、やっぱりこうしたひとつの解釈があたかも正式なものであるかのように扱われるというのは不健全と思うのです。例えばトゥルーワードなんかは今や公式設定みたいに思われていますし、あくまでもアンデッドであるはずのマイルフィックが悪魔の王のようにいわれるのもおかしな話です(彼が悪魔ならなぜ巨人なんぞを引き連れるのだろうか?)。名匠カシナートの話なんてのもそうだしで、自由な発想が大切といいながらも、どこかに用意された解釈に引きずられているのがWizardryなんかもなあなんて思うと、私も含めてみんな意外に不自由なものなのかも知れないなんて気がするのです。
だもので私は、ベニー松山の『ウィザードリィのすべて』門をくぐってWizardryに触れたのでありますが、今は脱ウィズすべをして、より根源であるWizardryそのものに肉薄したいと思っている最中です。バージョンによって少しずつ違いもあるのだけど、ゲームに表れる情報をなによりの大事として、長いWizardry体験で身に染みついた垢を落とすように、Wizardryの再構成をはかりたいものだと思っています。
でも、こんな考えにいたったというのも、結局は『ウィザードリィのすべて』あってのものだから、結局はベニー松山の影響下からは脱しきれないのかも知れませんけどね。
- ベニー松山『ウィザードリィのすべて — ファミコン版』東京:JICC出版局,1993年。
- ベニー松山『ウィザードリィ3のすべて — ファミコン版』東京:JICC出版局,1993年。
- 『ウィザードリィ・外伝1のすべて』東京:JICC出版局,1992年。
- 『ウィザードリィ5のすべて』東京:JICC出版局,1991年。
- 『ウィザードリィ・外伝2のすべて — ゲームボーイ版』東京:JICC出版局,1990年。
- 『ウィザードリィ・外伝3のすべて — ゲームボーイ版』東京:JICC出版局,1989年。
2 件のコメント:
私はベニー松山氏が大好きって訳ではありませんが一言、
せめて、『さん』か『氏』を付けるべきでは?
それともベニー松山氏は、あなたの部下か友達かなんかですか?
友人でも部下でもない、まったくの第三者的、中立的立場であることが前提であるからこそ、公に著述を公開してる人に対しては敬称略なのですよ。こうしたケースの敬称の取り扱いについては、このやり方が一般的と理解しています。
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