2006年9月24日日曜日

中国いかがですか?

  以前にもちょっといっていましたっけね。私が中国語を習いはじめることになった決定的なきっかけというのは、ある日ふらりと立ち寄った本屋で何の気なしに手に取った『Office You』掲載の漫画『中国いかがですか?』があまりに面白かったからだって。実際この話は紛れもない本当で、もう一タイトルの漫画『拳児』とともに、それまでむしろ興味のなかった中国に目を向けさせる大きな動因となったのです。いやあ、実に単純な話でお恥ずかしいのですが、実際私の興味の出方というのはこういう風なのが非常に多いです。

でも、対象に深い愛情を持って取り組んでいるようなものを見れば、しかもそれが面白いとくれば、読み進むうちに、あるいは読み返すうちに、自分も同じくその対象に愛着を持ってしまうのは自然なことなのではないかと思うのです。小田空の漫画に関しては中国であった。それだけのことなのだと思います。けれど、それだけのことと口でいうのは簡単ですが、それをかたちにして示すというのはどれほどに大変なことだろうかとも思うのです。

小田空の場合は、そもそもが魅力的な漫画を描ける人で、しかもエッセイぽいものも得意にされてた人で、そこに中国という土地への情熱が加わったのだから、この困難なことも成ったのだと思うのです。日本では、しかもとりわけ私の育ってきた時代では、到底あり得ないようなことが起こる中国という国が面白おかしく紹介されているのですが、それがただ異郷の地として描かれているわけではないところに、この漫画の真価があります。小田空は日本人の目で、常識で中国を見ながら、同時に中国人の目と常識を自分自身に引き寄せようとしている、とそのように感じるのです。この、ともすれば相反するような価値と常識の狭間で、小田空は中国と日本というふたつの国、文化、風土を等距離に見ることに成功しています。日本の常識は中国の非常識となり、中国の常識は日本での非常識で、しかしそれらを超えたところに、日本も中国もない、本当に大切なことが現れてくる。旅人であり生活者でもある小田空は、多様な文化の入り交じる中に飛び込んで、そしてまっすぐに対象に向き合ってつかんでいると、そんな実感が確かに私にもするのです。

そうした実感があまりに大きかったものだから、私は未だに小田空の影響を抜けることができていないように感じています。私が興味を注いでいる中国という国は、あくまでも小田空が見て、体験した中国なのだと、そんな風に思って、そうなんですね、ただ見て追体験するだけではなく、自分自身でも知りたいとそんな思いがしているのです。中国語を習いはじめたのもそういう動機であったのだと思います。そしてその知りたいという欲求は消えず、今でもおりに沸き起こっては私の興味を突き動かそうとします。そしてその度に私は、少しずつ深みにはまっていくのではないかと、そんな風に思います。

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