2006年8月3日木曜日

モン・スール

 こないだ、モン・スールじゃなくてマ・スールなんじゃないのかなんていっていた私ですが、これすっかり勘違いでした。私はこれが兄から見た妹の物語だと思っていたものですから、その先入観でスールはsœur(妹)に違いないと決めつけてしまっていたのです。ですが実際はそうではなくて、seul(唯一のもの)だったのです。このタイトルを日本語に直すならば『私のただひとりの男性』になるかと思われます。すなわち、この物語は妹の視点で描かれたものであると、タイトルがすでに主張していたのでした。それを勝手に『僕のいもうと』だなんて誤解していたのですから、本当に失礼いたしました。けど、もしかしたらスールという響きに妹という意味を透かそうという意図があったりなんかしたものでしょうか。だとしたら、うまい名付けかたであると思います。

読んで見ての感想。悪くないですね。暗い話です。主要登場人物は四人。その誰もがどこかで誤ってしまって、そのせいで取り返しのつかないことになってしまって、けどそこに本当に救いはなかったのかというと、そういうわけでもなかったのだと思っています。本当に大切なものが失われるまえに、なんとか手を伸ばすことができた。その手が届いたかどうかは読者一人一人が読んで、自分の実感として諒解すればよいのだとそういう風に思います。作者は後書きで、マルチエンディングなんですよなんていっています。確かに、私もそのように感じました。あのラストの情景、美波の視線が空に向かうあのシーンを見て、私がふと思ったものはというとフランソワ・トリュフォーの映画『大人は判ってくれない』でした。映画のラストシーン、やっとたどり着いた海を見つめるドワネル少年の表情に私たちはなにを見るのか。

それはあたかも自分を映す鏡のようです。私たちは、彼彼女の見たものを思うことで、自分自身の心のうちをつぶさに描き出すのです。

この漫画は、そういう意味で映画みたいです。またある意味、演劇みたいでもあります。ひとつのシチュエーションの中で繰り広げられる科白劇。登場人物一人一人が、自分の失敗から目をそらしていたのが、ひとつの過ちが露呈したことをきっかけに変わっていく。自分の失敗を棚上げして他者を責めるばかりだったのに、自分の失敗も他者の失敗も苦いながら飲み込んで見せて、彼らの世界はきっと変わったのだと思うし、これからも変わっていくのだと思う。そしてそこに見つけ出されるだろう希望である望みであるは、同じくやはり私たち読者が一人一人抱いているものの映しなのだと思います。

だから、私はこの物語に救いがないなどとは思いません。投げっぱなしとも思いません。苦しいばかりとも思いませんし、暗闇の中には光だってあるのだと思う。私たちの胸の奥にも消えずに残る過ちや後悔は、苦さをもろとも飲み下すことでしか乗り越えることはできないのだと、過去に押しやるのではなく今の私の一部であることを自覚しまっすぐ見つめる覚悟ができて、そうしてはじめてこの物語は完結するのだと思います。

  • きづきあきら『モン・スール』(ガムコミックスプラス) 東京:ワニブックス,2006年。
  • きづきあきら『モン・スール』(SEED! COMICS) 東京:ぺんぎん書房,2003年。

引用

  • きづきあきら『モン・スール』(東京:ワニブックス,2006年),213頁。

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