2006年8月15日火曜日

アームストロング砲

  『アームストロング砲』、司馬遼太郎の短編なのですが、これがまたべらぼうに面白い。時は幕末、佐賀は肥前鍋島藩において購入、研究されたイギリスの新兵器がアームストロング砲なのですが、日本という東洋の小国のまたその一藩に鬱屈するかのごとく垂れ込めた新技術新知識への渇望がひりひりするように肌にさして、はらはらもすればわくわくもさせて、私は正直『アームストロング砲』には期待していなかったのですが、結果的に大いに印象に残る一編となってしまいました。そういえば、私のはじめて触れた司馬遼太郎といえば『アームストロング砲』に同じく短編集である『人斬り以蔵』。一番頭に収録された『鬼謀の人』にアームストロング砲をもって彰義隊を壊滅させる場面が出ていて、こうして司馬遼太郎の小説は、短編長編を問わず互いに関わりを持ちあって、その時代時代を生き生きとさせてやみません。

しかし幕末もののなんと面白いことでしょうか。人には時代の好き好きというのがどうもあるようで、私の父は戦国から江戸にかけてが好きな模様。対して幕末は好みでない。ところが私は戦国にはどうもピンとくるところがなく、幕末あたりが好みのようです。多分私が幕末を好むのは、学問者の活躍する場面というのが多かれ少なかれ出てくるからなのだろうと思います。世界の新技術新知識を咀嚼吸収しようと学問に打ち込み、そして時代の流れに引き寄せられ、あるものは活躍を見、またあるものは流されるままに消えていく。そうした悲喜こもごもを合わせ、幕末という動乱の時代に生きた人たちの生がいとおしくてたまらない。そんな私ですから、『アームストロング砲』はまさにピンポイントで面白さのつぼに入ったのでしょう。面白かった。本当に面白かったです。

面白かったといえば、司馬遼太郎の大砲関係の話はどうにも面白くできているのか、『人斬り以蔵』に収録の『おお、大砲』もどえらい面白かった。思いがけない展開の妙に、そして不思議な諧謔味。そして最後の一言、

「侍のころは、ばかばかしいことが多かったな」

幕末というのは、古びて形骸化した価値の馬鹿馬鹿しさが、来るべき時代に追放されようとした時代であったのだと思います。そしてアームストロング砲は、まさしく世界の最先端が固陋を打ち破る一弾を放った、この時代を象徴するかのような兵器であったのだろうと思います。

引用

  • 司馬遼太郎『人斬り以蔵』(東京:新潮社,1969年;改版:1987年),218頁。

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