2006年8月17日木曜日

編集王

   実は私は子供の頃からあくの強い漫画であるとかが嫌いで、熱血ものも嫌いで、スポーツものも嫌いで、とにかく敬遠していたんです。でもいつの間にか好みが変わってしまっていたようです。スポーツものには相変わらず好き嫌いが強いのですが、でも今好きで読もうという漫画はあくの強いものが多く、今日本屋で見つけた文庫、思わず手に取って第3巻を一気に読み通してしまって、そのまま書店にあっただけをまとめて買って帰ってきた漫画『編集王』なんてのは、あくの塊みたいな漫画で、しかも暑っ苦しい漫画で、でもちょっとでも見てしまうともう目が離せないという漫画で、面白いんです。もう馬鹿で馬鹿でしかたがないような漫画なんですけど、面白いんです。

実は私は、この漫画を連載時にちょっと読んでいたんです。バイト先、普段めったにこないやつが読み終えた雑誌を控室に捨てるようにして残していく。そうした雑誌は皆の共有物として供覧されて、そうして私は『編集王』を知って、いやあすごいインパクトです。土田世紀の書き込みの緻密さに圧倒されるは、主人公カンパチの熱さ、暴走っぷりにたまげるは、それであれでしょう。なんでか知らんけどいっつもカンパチは裸で、というのはたまたま私がその時読んでたのがマンボ好塚の話だったせいなんですが、けどとにかくなんかカンパチが丸裸で走ってるという印象はずっとぬぐうことができなかった。なので私にとって『編集王』とは、漫画編集男カンパチが裸一貫情熱のあらんかぎりをもって暴走してみせる漫画であったのです。

ちょっと真面目な話。私はこの漫画を読んで驚いたんです。これ、漫画雑誌を作ろうという編集が主役の話であるのですが、それが妙に赤裸々で、夢も希望もないかのようなあからさまな描きよう。ええ、当時私は学生でしたから今に比べてもなお数段甘い夢想に生きていて、そうした私らに突きつけるかのような世知辛い会社社会の描写はどうにも受け入れがたい理不尽さ。それこそ自分たちの業界の恥部をさらすようなことするなんてものすごいこと考えやがるなあと、ほとほとあきれるようで、けれどそれでも描きたいものがあるんだというような勢いというのも同時に感じられるから、たとえ最後に主人公が勝たなかったとしても、苦い現実を飲み込まざるを得ないのだとしても、先を楽しみに楽しみに読んでいた。スリリングだったんですよね。そうかあ、こんなふうにひた向きに漫画に情熱そそいだ編集者があったから漫画の隆盛があったんだ、って勘違いしてた。うん、この勘違いというのは時代背景の話で、私当時はこの話が懐古話だと思ってて、それこそプロジェクトXみたいな感じなんだと思ってたんですね。でも、そうじゃありませんでした。過去のことなんて描いてなかったんだなと、今、一から読み直して思いました。

すまじきものは宮仕といいまして、この漫画見てたら本当にそんなことを思います。善かれと思ってやってることを頭ごなしに潰す人があって、それは結局自分が理解できないからであるとかそういう現実は嫌というほど見てきて、この漫画にもやっぱりそういう話はたんと出てくるから無闇に落胆したり、変にストレスをためてみたりと、多分この漫画の対象読者であったろうサラリーマンなんかには現実味を感じられる話も多かったのではないかと思います。特に若い人には、共感できる話が多いのではないかと。でも、結局これまで着々と作り上げられてきた現実の重みというのは、一介の新人ごときに動かせるようなものでなく、だから自分の思いをありったけに裸で疾走するカンパチの姿が輝いて見えるんじゃないか。あんなに不器用で、思い詰めたら一直線の単細胞青年がそれこそちょっとしたヒーローに見える瞬間があって、そんなときに私は、こざかしいこといってるんじゃなくて、本当は自分も駆け出したいのかも知れないなんて思うのです。

でも、この漫画のヒーローは常勝ではありません。正義でさえありません。社会において一方的な正義はなく、カンパチの側から見れば理不尽でしかないことも、反対側から見れば一定の意味を持っているということが描かれていて、そういった意味では煮えきらず、すきっとせず、苦さの広がるようなこともままあって、でも私はそれだからこそこの漫画は魅力的なのだと思っています。勝ち取ったものといえば、ほんのささやかな仲間内の内心の実質、けれど大勢から見ればなんの意味もない。そうしたことは私たちの暮らす日常にもたくさんあって、けれどカンパチのように脇目も振らずに走れるわけでない私には、そのささやかな勝利さえもつかみ取れない。そうした頭が大きくなってしまった人には、一見馬鹿みたいなカンパチが変にうらやましく見えるのかも知れません。彼同様に、やっぱり自分も駆け出したいのだろうと思ってしまう、そうした危険な魅力をはらんだ漫画が『編集王』なのであります。

  • 土田世紀『編集王』第1巻 (小学館文庫) 東京:小学館,2006年。
  • 土田世紀『編集王』第2巻 (小学館文庫) 東京:小学館,2006年。
  • 土田世紀『編集王』第3巻 (小学館文庫) 東京:小学館,2006年。
  • 土田世紀『編集王』第4巻 (小学館文庫) 東京:小学館,2006年。
  • 以下続刊
  • 土田世紀『編集王』第1巻 (ビッグコミックス ワイド版) 東京:小学館,2000年。
  • 土田世紀『編集王』第2巻 (ビッグコミックス ワイド版) 東京:小学館,2000年。
  • 土田世紀『編集王』第3巻 (ビッグコミックス ワイド版) 東京:小学館,2000年。
  • 土田世紀『編集王』第4巻 (ビッグコミックス ワイド版) 東京:小学館,2000年。
  • 土田世紀『編集王』第1巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1994年。
  • 土田世紀『編集王』第2巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1994年。
  • 土田世紀『編集王』第3巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1994年。
  • 土田世紀『編集王』第4巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1995年。
  • 土田世紀『編集王』第5巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1995年。
  • 土田世紀『編集王』第6巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1995年。
  • 土田世紀『編集王』第7巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1995年。
  • 土田世紀『編集王』第8巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1996年。
  • 土田世紀『編集王』第9巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1996年。
  • 土田世紀『編集王』第10巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1996年。
  • 土田世紀『編集王』第11巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1996年。
  • 土田世紀『編集王』第12巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1996年。
  • 土田世紀『編集王』第13巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1997年。
  • 土田世紀『編集王』第14巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1997年。
  • 土田世紀『編集王』第15巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1997年。
  • 土田世紀『編集王』第16巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,1997年。

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